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デシの『人を伸ばす力』(かんたん版)

人生/一般 心理/精神

概要

人間の動機には、「内発的動機づけ」と「外発的動機づけ」という二つのものがあります。
動機づけとは、いわゆるモチベーションのことです。
たとえば、好きでランニングをするランナーは、内的な満足のために「内発的動機づけ」で走り、体育で嫌々走らされる学生は、成績獲得や罰回避のために「外発的動機づけ」で走ります。

一般的には「外発的動機づけ」が生産的であると考えられ用いられるのですが、デシは本書において「内発的動機づけ」の方が優れていることを実証します。
また、人間に自然に備わっている、この内発的動機づけの力を、外発的動機づけで抑え込むことは人を精神的に病ませることを力説します。
その上で、相反するこの「内発的動機づけ」と「外発的動機づけ」を上手く調和させる方法を考察します。

先ずは代表的な実験を二つ取りあげ、感じをつかんでいただき、各動機づけの特徴を記述します。
最後に私たちが内発的であるためのいくつかの方法を紹介します。

実験一

もともと報酬なしで自発的に取り組んでいる活動に対して、外的な報酬が与えられた時、その内発的動機による行動はどう変化するのかを、実験により観察します。

1.面白く飽きのこないパズルを用意します。
2.被験者を二つのグループに分け、一方にはパズルを解くと外的な報酬(お金)を与え、もう一方には何も報酬を与えません。
3.パズルを解く時間の終わると、報酬グループに約束の報酬を与え、隠れて被験者の行動を観察します。

その結果、報酬を与えられたグループは、時間が終了し報酬を与えてくれる人間が退出した時点で、そのパスルをしなくなる率が非常に高いということが分かりました。
反対に、報酬を与えられないグループは、終わりの時間が過ぎても、熱心にパズルを楽しみます。
報酬グループも最初はパスルを純粋に楽しむのですが、報酬を与えられたとたん、さも報酬が目的であったかのようにパズルの楽しさを忘れ、パズルは報酬のための単なる手段であると感じ始めるのです。
常識と違い、報酬が内発的動機づけを低下させるというこの結果は、他の実験によっても確証されました。

外的報酬に依存しはじめると、すべての活動は目的ではなく手段という性質を帯びるようになり、いわゆる疎外という心理状態を生み出します。
報酬によって、人は多くの活動(カネにならないもの)に対する興味を失い、報酬を得るその活動そのものに対しても、当初持っていた熱意や興奮を失っていきます。
人は報酬というものに支配される時、自分の内部との接触を絶ってしまいます。

実験二

動機づけの違いが具体的にどのような差として表れるのか、教育の現場において実験を行いました。

まず、二つに分けた被験者のグループにある学習をさせます。
一方には後でテストをすると告げ、もう一方には後で学習した内容を別の人に教えて貰うと告げます。
前者は統制されていると感じる他律的な文脈で、後者は後に自分が活用するという自律的な文脈での学びです。

結果、テストを最初に告げられた方よりも、テストを告げられなかったグループの方が、学習内容をよく理解してるという結果が出ました。
最初にテストを告げられた方は機械的な暗記においては上回っていましたが、その記憶内容は数日で忘却し、一週間後の再テストにおいては下回りました。
結論として、テストの点数などの評価を目的として学んだ場合、一時的な量では上回っても、十分な情報処理がなされず、本質的な理解に欠いているということです。
本質につながれていない表面的な知識は当然容易に流れ去り、最終的には劣った成績を残すことになります。

多くの実験の結果、内発的動機の方が優れた成果を生み、行為者自身の思考力、創造性、活動力、興味、集中力等が発揮され、社会にも個人にも有益なものがもたらされるのは間違いありません。
報酬や統制によって成果の上がる文脈というのは、非常に限られた範囲内の特殊な事例であり、それを一般化することには問題があります。
また、外発的な動機づけを利用する場合に留意する必要があるのは、報酬を使い出したら、もう後戻りはできないということです。

内発的動機づけとは

頭の数字は、次の見出しの外発的動機づけと対応していますので、比較しながら読んでください。

1.個人の主体を基礎とした自律的なもの、意志的なものです。
2.個人が個人の本質である自由を実現し生きていくために必須のものです。
3.身体の健康を保持するための食欲などと同様に、人間には心の健康を保持するために、自律性への欲求が先天的に備わっています。
この自律性への欲求から生じるものが「内発的動機づけ」であり、ここにおいては目的となるものが、その行為自体に内在しています。
例えば、走りたいから走るランナー。
4.自律性の感覚(行為が私に統合されているというある種の自己同一性)や、自己の本性が発揮された有能感などを得られる内的満足が、求められています。
5.成果は中身を重視したものとなり、創造的な活動となります。
6.行為が主体に統合された意志的なものであり、行為と結果のリンクが本人に理解されており、社会的な物事が有意味的に内在化されています。
7.これは心理学で言う「統合(integration)」で、外的制限や規範(他律)は自己(自律)に統合され、自由と責任を上手く調整でき、社会に開かれながらも確固とした自己を持ちます。
8.自分の内から湧き出る真の自尊感情が生じ、自己は極めて安定的なものとなり、自己の誤りを認められる柔軟性と、正誤を判断する客観的感覚をもちます。
9.他人との関係も相手の人格を尊重した内実を伴うつながりとなり、外的状況に左右されない太い紐帯となります。
友好的な基調であり、ライバルであってもあくまで人格を認め合う関係です。
10.個人の自律を基礎とする人格尊重主義です。

外発的動機づけとは

1.社会や他者を基礎とした他律的なもので、統制的、命令的なものです。
2.社会が秩序と統制を保つために、必須のものです。
3.後天的にインプットされる、社会的なものへの欲望から生じるものが「外発的動機づけ」であり、ここにおいては目的となるものが、その行為の外、自己の外側に存在し、その行為自体は単なる手段でしかありません。
例えば、賞が欲しくて走るランナー。
4.その目的となるものは、外的な報酬であり、金を得ること、罰を避けること、褒められること、貶されないことなど、外的な満足が求められます。
5.成果は外見の結果を重視した皮相的なものとなり、迎合的な活動となります。
6.他者の意志や既成の社会的価値を何の反省も検討もなく取り込んむだけであり、行為と結果のリンクが分断されています。
社会的な物事は、つながりや意味が見えない虚無的なものとして内在化されることになります。
7.これは心理学で言う「取り入れ(Introjection)」で、自己の中にもう一つの自己(他律化された自己)が生じ、自己が自己を抑圧するという自縛状態に陥り、他律が自律を圧し潰します。
8.自尊心は他人の評価や機嫌、社会的な状況次第という外部依存的なものとなり、常に神経をすり減らし、心の奥で自分を軽蔑することになります。
極めて不安定な、想像の産物としての自己イメージに頼る、虚構的自尊感情です。
9.他者とのつながりは、皮相的で利益追求的なものとなり、その関係も外的状況次第で簡単に解消されるものとなります。
潜在的に自己以外のすべては敵対的なものとなり、仲間もあくまで上辺だけの関係です。
10.個人の利益を基礎とする利己主義です。

外発的な意欲というものは、二次的なもの、偽の欲求現象です。
金銭欲や物欲や名誉欲などのように、所有するものに対して欲求という概念を使うことはそもそも誤りです。
食欲は「食物欲」ではなく、性欲は「女欲、男欲」ではないように、金銭や名誉や物に対する欲求の裏には、もっと本質的な心理的欲求というものがあることを知らねばなりません。
金銭や名誉や物への欲求が、本当は一体私のどんな心理的欲求を満たしているのか、その奥にあるものを見極めることが必要です。
実はそれが本質的には、安心への欲求や自己充足感などの心的欲求であったりします。
いわば、それら外発的な欲求は、仮の自己が生み出す仮の欲求だということです。

内発的動機づけを生む条件と方法

その1、選択の機会

内発的動機づけを高める要素は、自由な行為選択の機会です。
たとえ統制的なものであっても、その課題を遂行する際にある程度の自由裁量が許されれば、その活動に熱心さが生じます。

自ら考え選択、意志決定することによって、自分の行為を根拠(意味)付け自己に統合し、納得して活動することができます。
自分に権限(自由)を感じ、同時に責任感が芽生えます。
私という人間は道具や手段ではなく、一人の人間として扱われていると感じるのです。
何の選択権もなく、行為の理由や意味が他者の中にある場合、人は疎外された行為の徒労の中で疲弊し無責任になっていきます。

勿論、選択の機会が与えられても、本人が判断のための十分な情報を持っていなければ、自律性の感覚を得るどころか、それに負担を感じてしまうだけです。
逆に不安の中で安易な決定をし、多くの誤りをおかすことになります。
十分な説明もなしに他者に選択の機会を与えても、意味がありません。

その2、尊重的態度

報酬、罰、強要、監視、競争、評価などの外的動機づけによる統制は、社会を成立させるために少なからず必要なものです。
問題はそれを与える際の“与え方”であり、相手の自律性を損なわないような態度や方法によって、統制の有害性を減ずることができます。

きちんと相手の立場に立って、その統制の意味を語ることで、その行為はその人の自己に統合されます。
例えば「○○するな!」と言う統制的態度ではなく、「○○する気持ちはよく分かる」(相手の主体性を尊重する)、「でも、それをしたら××になってしまうから」(意味を語り行為を統合させる)、「駄目なんだ」(制限する)、というように。

統制を有害にするのは、受け手の心理的な意味づけ(解釈)でもあります。
その行為の意味(根拠や結果とのつながり)が分からなかったり、その行為が単なる他者の意志の実現であると感じる時などに生ずるネガティブな認知です。

態度や与え方次第で、他律的な行為を自己に統合させ、自律的なものへと変換し、その統制色を解除することは可能だということです。
それはすなわち、制限される人を統制のコマとして扱わず、その人格を尊重した上で接し、関係を築くということです。

その3、ベストを尽くす

そもそも動機づけられるためには、自身の行動と結果の間のつながり(リンク)の因果関係を知っている必要があります。
内発、外発問わず、人はある特定の結果が自らの行為によって生ずると感じられなければ、動機づけられることはありません。

私有財産制に基づく市場経済のシステムには、この動機づけの仕組みが強力に作用するよう組み込まれています。
社会の本流にある人とは、この社会的な動機づけのシステム(主に外発的な賞罰)に上手く組み込まれた人達で、お金の稼ぎ方、ステータスの獲得方法、達成感を得る方法などの術を身に付けた人です。
いわゆる「落ちこぼれ」とは、様々な理由でこの動機づけシステムに乗れず、無気力状態に陥っている人です。

この外発的動機づけシステムの中にあって、内発的な満足や真の有能感を得るためには、成績の「トップを目指す」ことではなく、自分にとって意味のある挑戦を見つけ「ベストを尽くす」ことが重要です。

成績がトップ云々というのは、他者の視線(評価)を報酬とした外的なもので、満足としては二次的なものです。
それに囚われすぎると、人間が生来的に持っていた有能感(自律性)への欲求を、虚飾(偽の有能感-偏差値や年収など-)を得るための欲望で覆い隠してしまい、内発的動機づけを低下させます。
他人にとって大切なこと(成績のトップ)ではなく、自分にとって大切なこと(自己の本質の発揮-ベスト-)のために生きることが必要です。

その4、距離を置く

自律的で生産的であるためには、世俗的な既成の価値観から、ある程度距離を置く必要があります。
批判的に意識しなければ、人は世間に知らず知らずのうちに呑み込まれてしまいます。

野球選手の事例
ある優秀な野球選手が、他球団に移籍した時、誰もが彼に期待し、彼もファンに対し大活躍を公言しました。
しかし、成績は惨憺たるもので、スランプに陥ります。
トンネルは長く続き、あるとき彼は諦めます。
「成績にしがみついて、強打者であるという自分の外的価値を保とうとするのはもういい、ただボールをしっかりとらえることだけに懸命になろう」と。
それを機に成績は好転し、自己の能力をまた発揮することができるようになりました。

元々、内発的に野球そのものに興味を持ち有能感を獲得していった人間が、地位や名声を得るにつれて、その目的が外部の評価や報酬に向き、自己の能力の自然な発動を抑圧したと言えます。
それをある種の開き直りによって捨て去り(距離化)、本来の面目躍如とした自分を取り戻したのです。
逆説的ですが、結果を出したければ、結果を意識しない(内の過程に集中する)ということが重要なのです。

 

おわり

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