スマイルズの『自助論』(かんたん版)

人生/一般

第一章、自助の精神

天は自ら助くる者を助く。

援助は人を弱くし、自立の精神を挫き、自立の欲求すらなくします。
自分で自分を助ける自助の精神こそ、人間を真に助けるものです。

多くの人は自分の力を信じず、国家(国民国家)に頼ろうとします。
しかし、国家は国民の考えや行動の反映であり、
国家の質は国民の質によって決定されるため、国民一人一人の内からの力によってはじめて社会の進歩は保証されます。
日々、黙々と働く個人の努力のつむぐ糸が、社会という大きな織物を編みあげていき、発展していくのです。

ここで勘違いしてはならないのは、自助の精神というものは、他者の援助や支えを必要ともしますし、社会や先人への感謝も惜しまないということです。
私という人間は、見える形だけでなく、見えない形でも無数の他者や事物の影響、支えによって作られています。
自助の精神とは、自分自身が自分に対しての最良の援助者になるということであり、最良の援助者の位置に他人を置くこと(依存)を避けるということです。

第四章、忍耐と根気

偉大な成果というものは、ごく当たり前の行為の根気強い積み重ねで達成されます。
成功に必要なものは、常識と忍耐と集中力だけです。
偉人と言われる人ほど、天賦の才など信じておらず、たゆまぬ努力と集中力、意欲と忍耐を重んじます。
辛抱強くひとつ事に集中して向き合っていると、問題の本質が浮かび上がり、それが成果につながります。
厳密な意味での「天才(生まれつき優れた者)」にむしろ成功者は少なく、並の才能である者が粘り強く努力した結果生じた優れた業績によって「天才」と呼ばれる人の方が、はるかに多いのです。

しかし、それには時間が必要です。
偉大な成果は急に得られるものではなく、一歩一歩の着実な歩みの遠い先にあるものです。
いかに「待つ」かを知ることが成功の最大の秘訣なのです。
辛抱強く待たねばならない時でも、快活さを失ってはなりません。
快活の精神は、失望や諦めなどのネガティブな感情を駆逐し、待つ力を与えてくれ、仕事に対しての素直な判断力と努力の活力をもたらします。

第五章、好機をつかむ

優れた仕事をする人は、些細な問題もおろそかにせず、注意を向けます。
大発見が努力ではなく、偶然から生じたという逸話がよくありますが、実際そんな偶然で偉業が達せられることは、まずありません。
ニュートンはリンゴの落下によって偶然万有引力を発見したのではなく、長年その問題に専心してきた努力が、リンゴをきっかけとして開花しただけにすぎません。

普段から問題意識を持って努力し、集中している人の目には、世界の本質が見えています。
偉人は高度な事象としか関わらないと思われがちですが、実際はごく当たり前の単純な事象から重要な事実を発見します。
大きなものの存在を小さなものが指し示しており、小さなものが大きなものを生み出します。
小さなものが無駄に見えるのは、その根にある本質が見えていないからです。
やかんの口から蒸気が吹き出す日常の光景は、ちっぽけで無駄なことです。
しかし、普段から努力し観察力を持つ者は、そこに蒸気の力(蒸気機関)を見出し、歴史を変える大発見を成し遂げるのです。
逆に観察力や問題意識を持たない人は、たき木の一本すら見つけることはできません。

事物の本質まで見る真の眼は心の中にあるのであり、賢者には世界は明るく、愚者には暗く見えています。
心眼がない者はただ世界を眺めているだけで何も見ておらず、心眼のある者は事物の連関を見極め本質を射抜きます。
心眼があれば、どんな小さなことの中にも、何らかの有用なものを発見できるのです。
その小さなことの積み重ねによって、偉大な業績が打ち建てられるのです。

大きな成功を収めるために豊かさは必要ありません。
豊かさはその人自身の内から作り出すものであり、偉大な人間はチャンスや環境を、ほんの小さな偶然を利用して、どんどん生み出していきます。
それは、その人の努力によって、小さな偶然をチャンスに変えられるほどに機が熟しているからこそであり、普段何もしていない人間には機会は訪れません。
人間を助けるのは偶然の力ではなく、不断の努力です。
お金や物と違って、今日という日は二度と戻ってきません。
重要だと思える考えがあるのなら、それを実行にうつし、忍耐強く努力することです。

結果しか見ない凡人は、偉大な成果が生まれるまでの努力の過程を知らず、まるで天から与えられたもののように勘違いしています。
むしろ洗練されたものは努力の跡が見えなくなるので、尚更、注意が必要なのです。

その道を歩むことは、他者からの無理解や孤独を伴うものであったりします。
しかし、偉人は多くの場合、移り気で不正確な他人の評価より、自分が確証した真実を重視し、自分の本分を満足させるものから喜びを得ます。

第八章、勇気と活力

「われは道を探す。道なくば道を作る」という古代の名言通り、環境というものは自分自身で作っていくものです。
絶望的に痩せた駄目な土地を肥沃な土地に変えるという話は、現実でも虚構でも無数にあり、運命を自分の力によって切り開いていく姿に、人はうたれます。

現実というものは、頭と身体を共に働かさない限り、変わりません。
変えたいもの(理想)に向かって努力し続けることが人生です。
それに必要なものは意志(勇気)と活力であり、厳しく単調な仕事に押しつぶされることなく、前進していくことです。
成功に必要なものは環境や才能ではなく、強い意志と努力を継続させる活力なのです。
活力によって希望が芽生え、同時に希望によって活力が湧き起こるというサイクルです(その反対をなすものが、無気力と絶望のサイクルです)。
現実の厳しさというものが世界で最も優れた教師であり、勇気を持ってそれに学び、希望に結びつけねばなりません。
臆病さはすべての可能性の芽を摘んでしまいます。

意志というものは可能性への信頼であり、意志薄弱とは不可能性を信じてしまうことです。
ナポレオンが不可能という言葉を嫌ったのは、その言葉を発した時点で、負けが決定(不可能が確定)するからです。
「真の英知とは、確固たる決意のことだ」というのがナポレオンの信条でした。

第十章、お金の力

お金というものは、それ自体は尊くも卑しくもない、単なる道具です。
使い方次第で、その人や人生を良くも悪くもし、お金の使い方はその人の人格の現れです。

善く使えば、精神的、経済的に自立と安心を与えてくれ、それを獲得するための努力自体が教育的価値を持ち、自尊感情、実務力、忍耐力、勤勉、克己、節度、計画性、目的意識など、人間にとって重要な特性や能力が得られます。
お金の正しい使い方は、その人の懸命さ、克己心、先見力の証しです。

反対に、悪く使えば、状況への隷属状態と不安に囚われ、自尊心や自己肯定感を失い、無気力と怠惰と諦めが常態化することになります。
社会の片隅に追いやられ、無知と不満で心は荒み、他人の慈悲にすがる物乞いのような存在となります。
貧困は内からも外からも悪徳に対する抵抗力を弱めます。
困窮は、人間をその場限りの可能性に縛りつけ、別の道を歩む自由を奪っていきます。

自立の基本は倹約です。
倹約の本質は家政全般の秩序付けと管理であり、生活に規則を与えることで無駄を省き、人生を有効に使うことです。
将来のために現在を利用し、欲望を理性によって制御し、後の幸福に向けて計画的に生の資源を使うことです。
倹約は、ケチや吝嗇のように下らない金銭崇拝やカネへの隷属などではなく、道具としてのお金の使い方の能力です。
倹約は自助の精神の最高形態としての現れなのです。

倹約という自己修練によって自立し、自分が自分の主人になることです。
お金はあくまで道具であり、偉人は最低限の資金で十分、人間力を養えます。
目指すのは最大の資産ではなく、最高の人格なのです。
豊かさは財産の多さはではなく、心の中の欲望の落ち着きにあるのです。
下品な虚飾にまみれた金持ちより、つつましい品のある暮らしが本当の豊かさです。
社会や人類を先導する者は、金持ちではなく豊かな人格を持つ人であり、そんな人格者にとっては世俗の成功や金や地位や名誉など、取るに足らないものでしかありません。

第十一章、自己修養

最高の教育とは、自らが自らに対し行う教育(自己修練)です。
自助の修練によって自己の能力が向上していけば、自らを敬う心も自然と高まっていきます。
自己が充足している人には利他心が生じ、自分だけでなく誰かのために働くことに喜びが感じられるようになります。

自分を尊敬できない人は、他人からも尊敬されません。
卑屈な心は卑屈な行動を生み、うつむいてばかりいれば前向きな心にはなれません。
いかに物質的に貧しくとも、自己を尊び、しっかりと前を向いて歩いてゆけば、下劣な誘惑を弾き飛ばし、真っ直ぐに目的へ向かうことができます。
逆境においてこそ、その人の真の力が剥き出しになり、覚醒します。
失敗は問題を明確化し、集中力を高めてくれます。
人間は苦難に耐えぬき、困難に勇敢に立ち向かい、障害を乗り越えることによって鍛えられ、成長していきます。

目標を達成する最善の方法は、必ずそれを達成できると強く思うことです。
その時点でほとんどの障害というものは、自然と消えてなくなります。
裏を返せば、障害や限界というものは、自分の心が生み出しているものなのです。
次いで、とにかくやってみることです。
とにかくやってみなければ、自分にいま何があり何が必要かすらわかりません。
千回も望み憧れることより、勇気を持ってたった一度でも試みることの方が、遥かに価値があります。

第十二章、模範(モデル)

人間という模範は言葉を使わない実践の教師であり、行動による教示は言葉より遥かに説得力があります。
文字(概念)によって学ぶ意識的な学習より、視覚像によって学ぶ無意識的な模倣の学び(真似び)の方に、人は多く影響されます。
人は知らず知らずのうちに、周囲の人間の言動を模倣し、それに似た者になっていきます。
健やかな心は健やかな環境の中で育まれ、荒んだ心は荒んだ環境の中で生じます。
誰かを教育しようとする人(親、教師、上司、等)に対して言える最高の助言は、「汝、自らを改めよ」ということです。

物質的な環境が悪くとも、人格的な環境がよければ、人は立派に育ちます。
貧しいあばら屋でも、人格的に豊かな模範がいれば、そこは優れた学校になります。
社会が上から与える教育よりも、もっと本質的な学びがそこにあります。

人の言動のひとつひとつが、必ず周囲に何らかの影響を与えます。
その影響は、水面の波紋のように広がりながら連鎖していきます。
そうやって、社会という共同体の成員である一人一人の行動が周囲に与える影響が、未来の社会のあり方を作っていくのです。
過去の人々の言動という模範によって生み出された文化に育まれた現代の私たちは、次は未来の世代のあるべき模範としての役割を担っています。
今を生きる私たちは、模範という教育によって次の世代を育て未来を作る責任を負う歴史の制作者なのです。
優れた業績とは、立派な理念を持つ者ではなく、自らの行動によって理念を模範として示す者です。

教育の成果というものは、何を模範とするかということに決定付けられます。
注意深く模範となるような人を探し、自身をその周囲に置くことです。
悪い影響を与えると思われるものを避け、良い模範となるようなものに触れ生きることです。
優れた人と接すれば、必ず良い感化を受けます。

もし、善き模範となるものが周囲に無く、孤独な戦いを強いられるようなら、伝記を読むのが効果的です。
そこに描かれた優れた人格が模範となり、私の人生を変えるきっかけになります。
一人の人間の勇気に満ちた生涯は、同様な思いを持つ者の心に火をつけます。
そうして燃えたもうひとつの火は、また別の者の模範となり、灯火のリレーのように、時代や場所を越え、永遠につながっていきます。

第十三章、人格

世の中で最も価値あるものは、富や権力や名声ではなく、優れた人格です。
人格者は社会の良心となり、国を動かす力となります。
人格は自己修練に努めれば誰にでも手に入るものであり、才能や富とは関係なく、平等に機会が与えられています。

人格という芯を持っていれば、困難や不運にさらされても、気高さと勇気を持って、それに立ち向かうことができます。
本当の人格者は、自分の中心に行動原理があるため、環境に恵まれていようがいまいが、他人の目があろうがあるまいが関係なく、常に正しい行動を取ります。
誰も居ない時にお菓子をくすねなかった少年を褒めた時、彼は言いました。
「いいえ、見ていた人が居ます。僕自身です。僕は自分が悪いことをする瞬間なんて見たくはありません」

人格というものは習慣の集合であるため、優れた人格を得るためには、個々の行動において善い習慣を身につけていくことが必要です。
人間の優れた特性、勇気、優しさ、実直さ等は、全て習慣から生まれるものです。
身体の習慣が行動の反復によって作られるように、精神の習慣も心の中の則に従い反復的に実践することによって作られていきます。
習慣化によって、徐々に難しかったことも容易にできるようになり、身につけたその習慣はそれだけ堅固になり、道を踏み外すことが少なくなります。
各章で述べてきた信条(信念)、自助の精神、自尊心、勤勉、誠実、忍耐等は、あくまでも行動の積み重ねによって習慣にするべきものです。

幸福や不幸でさえ、習慣なのです。
子供の頃から物事をポジティブにとらえるよう習慣付ければ、その後の人生は幸福なものとして構成され、反対にネガティブにとらえるよう習慣付けていれば、不幸な人生が構成されます。
その人の些細な行動から、その人の信条(習慣)とその統合である人格が透けて見えます。
日々の生活は習慣という人格形成の鍛錬の場であり、いかにそれを大切にしていけるかが、人生の成否を左右するのです。

自立した人は、行動原理が確固として自分の中にあるので、相手が誰であろうと同じように振舞います。
他人の目にどう映るかではなく、自分の信条に照らして自分の行動を評価します。
優れた人格者は、人格の大切さを知っているがゆえに、肩書きや損得勘定に惑わされずに、相手の芯にある人格を尊び、礼節をもって接するのです。
自分の信条を軸にして生きる人格者は、金や快楽や見栄のような外的報酬で心を動かされたりせず、常に正直で堂々と振る舞います。

真の強さには優しさが伴い、勇敢な人は寛容で忍耐強く、情けももっています。
分け隔てない「人格」に対しての優しさが紳士の証しであり、その人が社会的地位の低いものに対してどう振舞うかを見れば、その人が人格者かどうかが判別できます。
そういう本物の紳士になるためには、富や地位や身なりは一切関係ありません。
本当の貧者とは金はあっても心の貧しい人であり、たとえ戦争で敵に財産の全てを奪われても、誇りや希望や美徳を失わない者こそが真の富者なのです。

優しさ、思いやり、気遣い、平等、寛容、敬意、礼節等、人格者がこれらのものを大切にするのは、人間誰もが奥底にもつ「人格」を尊重するからであり、これへの信頼は、自分自身の内にある人格の可能性に対する確固たる信頼のあらわれでもあるのです。
人格の完成は人間の最高の目的であり、本書の目指すものはこの一点に集約されます。

 

おわり

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