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アリストテレスの『ニコマコス倫理学』(5)幸福論補足

哲学/思想 宗教/倫理

(4)のつづき

<第十巻>

第六章、幸福論まとめ

幸福とは、「ヘクシス(状態、性向)」ではなく、「エネルゲイア(活動)」です。
眠ったままの人は、いかに幸福な状態にあっても幸福ではありえないように。
活動と言っても、他のもののために為す手段的な活動ではなく、幸福な活動とは、それ自体で望まれ為されるものです。
幸福は欠如なく自足的なものであり、必要(欠如、不足)を内在するような不完全なものではありません(幸福は手段となりえない究極目的)。
それ自体で望まれる活動とは、アレテー(徳、器量)に基づく活動です。

この自足した活動に似たものとして、「遊び」があります。
遊びも無目的であり、それ自体で望まれている(それ自体が目的の)ものです。
例えば、「漁労」はお金や生活のために魚を獲る手段的な活動ですが、「釣り」は魚を獲るという活動そのものを望む遊びとしての活動です。
権力者(有閑階級)が、遊びばかりに時間を費やすのは、彼らが自由な本当の快さ(アレテーに基づく活動の際に生じる)を知らないから、物的身体的な快さ(遊戯の際に生じる)に逃避しているのです。

幸福(アレテーに基づく活動)の条件は、権力の有無ではなく、徳や知性の有無の問題にあるのです。
その人に本来的にそなわっている性向(固有の状態)に基づくもの、アレテー(徳、器量、卓越性)に従う活動こそが、究極目的となるものなのです。
遊びはどちらかというと真面目な活動のための息抜き、休息のためにあるものであり、究極目的にはなりえません。
人生の全生涯の努力と苦しみが、遊びという究極目的のためになされるというのは、不合理です。

幸福な生活とは、他のものの手段となりえないそれ自体が目的の活動であり、それはアレテーに基づく(徳、器量、卓越性)真摯な活動です。

【解説】
例えば、趣味(遊び)を仕事(生活のための活動)にするかどうか迷う人がよくいます。
それ自体が目的の活動である趣味に魅力を感じ、その活動が他のもの(生活)のための手段である仕事を嫌い、分裂している状態です。
多くの人は、この状態にあります。

しかし、中には、仕事そのものに快さを感じ、生活のためというより、むしろ仕事そのものの魅力のために活動を為す人がいます。
仕事が自分の持ち前の才能の発揮であり、そもそも趣味(遊び)に逃避する必要のない人です。
例えば、オオカミ犬が駆け、自らの能力をフルに発揮し獲物を捕る時、真面目な仕事と遊びの自在性の両方が同時に満たされています。
しかし、狩りを許されないペットの狼犬は、投げられたボールやフリスビーを取るという遊びによって、自らの能力の発揮(アレテーに基づく活動)の快さを疑似的に満たすしかありません。

それ自体が目的であり、かつ自らの自性(器量や卓越性、要は自らの能力)の発揮である活動が、幸福を生じさせるわけですが、遊びは前者を満たすことが出来ても後者を満たすことができません。
遊びと真面目が分離しているのではなく、それらが統合された状態が真に幸福であるということです。
永久に何か別の目的のために働かされる奴隷も、永久に遊びの中に閉じこもる暗愚な王様も、真の幸福を得ることはできません。
【解説おわり】

第七章、第八章、観想活動

それぞれの存在にとって固有のもの、自然本性的なものを発揮することが、最も優れ最も快いことです。
人間にとってそれは理性(知性)であり、理性に基づく生活こそが幸福を約束するのです。
もちろんそれは、手段的なものでなく、自足的なものでなければならないので、何か別のもののための手段的な知恵や実践知(例、測量の為の数学や健康のための医学など)ではなく、実利を離れ純粋に知のために思いをはせる「観想活動」こそが、人間の完全な幸福なのです。
諸々の個別的な事柄におけるアレテーに基づく生活は、個々人に関わる人間的な事柄で、二次的な徳、二次的な幸福です。
人間普遍にそなわる理性におけるアレテーに基づく活動(観想)は、一次的な徳、一次的な幸福です。

世俗の実利的なもの(手段的なもの)に煩わさることなく、美や真理や神的なものと戯れる「観想活動」のためには、大きな権力や金が必要だと思われます。
しかし、徳に基づく生活や観想活動のためには、外的なものは適度にあれば十分であり、王のように過剰すぎるほど持つ必要はなく、むしろ過剰な富や権力は時に邪魔なものとなります。
諸々の個別的な事柄におけるアレテーに基づく生活のためには、それなりに外的なものが必要となることはありますが(例、正義を為すために権力や金が必要)、知性という普遍的なアレテーに基づく活動のためには、生活を維持できる程度に適度なもの(外的善)があれば十分です。

第九章、倫理学から政治学へ

以上のように、幸福とはアレテーに基づく活動であり、そのアレテーは主に習慣付けによって形成されることを述べました(第二巻参照)。
習慣付けを生じさせるのは社会であり、法や教育によって人々がアレテー、そして幸福を実現できるようはからうのが政治の仕事です。
政治に携わる人の活動とは、人々が善きものを望み、悪しきものを避けるよう習慣付け、徳へと導き、美しい人生(幸福な生)を送れるようにすることです。
そのために必要なものが政治学です。
次いで政治について考察します。

※本章で『ニコマコス倫理学』は終わり、アリストテレスの別の主著『政治学』に続きます。『政治学』は当サイトでは当分扱うことはないと思います。

 

アリストテレスの『友愛論』へつづく