マズローの人間性心理学

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自己実現論

前項の欲求段階説の最終階層にいたった自己実現的人間の分析がマズローの大きな課題となります。
旧来の精神分析学のように病理的人間の分析によってのみえられた人間像ではかなりの偏りが生ずるため、健康的で優れた人間を分析することによってさらに包括的でバランスのとれた人間像を描き出すことが可能となります。
極端な病理的症例が分析に大きな成果をもたらすように、極端に健康的と思える人々(人間の能力を限界にまで発揮したようないわゆる天才や社会的成功者や人格的完成者など)が分析対象となります。

以下にそれによって得られた自己実現的人間の人格特性をいくつかにまとめ記述します。

客観的認識

欠乏から生ずる欲求がすべて充たされているため、認知のゆがみ(バイアス)が少なく、自己利害を離れ現実をより客観的に把握することができます。
自身の実存に対してゆるぎない信頼をもっているため未知なものや失敗に対して怖じ気づくことなく、不安定さへの強い耐性により知的好奇心や挑戦の精神が損なわれず、アクティブな知的活動をもちます。

また、価値判断の定規となりやすい利己利益から解放されているため、ありのままの自己や偏見なき他者の姿、および自然の事物の受容へとつながり、超然としたおおらかさをもちます。
自己の欠点を隠すための偽のペルソナ(仮面)や、利己利益の為に他者に貼る偏見というレッテルが必要なく、老いや不運など環境から生ずる事物に対しても素直に受容し対応します。

経験に開かれており常に斬新なものの見方をし、レッテル貼りされない認識は小さな差異の変化も感受します。
利害関心によって狭められた視野内のみの認識ではなく全体を見、日々の繰り返しの生活の中にも小さな変化を見だし豊かな感受性を保ちます。

自律と創造

自己表出に対しての不安やそれに対する他者からの評価への依存心がないため、柔軟で屈託ない自発性と創造性をもちます。

他者からの名声や評価や期待に惑わされることなく、かつ他者からの否定的評価も客観的に受容し問題解決の糧にします。
無意味な罵声やいわれなき中傷、同調圧力にあった場合には躊躇することなく孤高の道を選びとる強さがあります。

つねに環境に依存する欠乏欲求では「対応的行動」という受動的行動様式に支配され、独自性を発揮することが難しくなりまが、成長欲求では「表現的行動」というかたちで独自性と創造性を自律的に発揮することとなります。

モチベーションが名声や金や権力などの外発的で不安定なものではなく、内発的な動機付けという自律したものであるため、永続的で安定的な活動力が供給されます(デシの項を参照)。

目的意識

自己の問題への関心は充たされているため、我を忘れて外部の問題に挑戦するようになります。
いわゆる自己中心ではなく問題中心の生き方です。
自己の「やりたいこと」と「やるべきこと」が一致し、遊びと仕事の境界が薄れ、問題に熱中し、そこに何ものにも勝る喜びと生きがいを感じるようになります。

自己の視点から離れより広い鳥瞰的な視点からながめるため、目的-手段関係が明瞭に把握され、判断力と決断力が増し、問題解決への可能性が開けます。
広い視点は柔軟な問題設定と対応力を生み、手段-目的間を自由に往来する意識は、単なる手段をすらそれ自体目的とし、楽しむことができます(アリストテレスの項を参照)。

コモンセンス

自己の利害や皮相的なプライド(自我の障壁)への関心をもたないため、他者とのより広い共感関係を築くことのできる可能性をもちます。
より高い自己実現者にいたると、共感は近親者から人類や万物にまで拡大し、遠い国の悲劇や環境問題に対しても問題意識をもつような普遍的な感性(コモンセンス)をもつこととなります。

利害関係という表面的なつながりから離れているだけでなく、あるがままの自己や他者を受け容れる度量があるため、他者や現実とのより深い生きたつながりをもつことができます。
他者からの敵意や裏切り、人間不信に陥るような不安定な出来事よりも、自己(ひいては他者)への揺ぎない信頼と覚悟が強いため、よりアクティブに関係の構築へ向かうことができます。

本当の自己の尊重は他者の尊重へつながり(自己を愛せない者は他者をも愛せない-フロムの項を参照)、自己の充足は他者へ力を貸す余裕を与え、より民主的な人格構造をもちます。

至高経験

自己実現的な価値が達成されてくると、至高経験というより高次の経験領域に踏み込みます。
我を忘れるような陶酔の体験をともなう極度の集中状態と充実感、それは喩えるなら、子供が無我夢中になって遊ぶような喜びと幸福の経験や、本当に美しいものを見て呆然となるような審美的体験や、他者と一体となる共感や愛の中で我-汝の垣根が瓦解するような合一経験に似ています。
二項対立的な既成の価値観は瓦解し、悟りにも似た叡智(鈴木大拙の項を参照)の中で、自己という狭い殻から抜け出し、より純粋な経験の中で世界とつながります。

あくまでもこれは一部の自己実現的人間に与えられた特別な境地で、一般には精神的に健康で快活な人間性がその特質となります。

 

おわり

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