スポンサーリンク

ニーチェのルサンチマン

哲学/思想 心理/精神

生の逆流とルサンチマン

何らかの流れの前に障害物が現れせき止められた時、二つの現象が起こります。
A.その鬱血した流れが反転し逆流する現象。
B.血栓ができた時に生成する異常血管のように、歪んた方向に強引に支流を作り出し流れだす現象。
人間の生のエネルギーの流れにも同様のことが起こり、この反転したり歪められたりした異常な生の流れの中で生きる人がいます。
彼らの歪んだ生の原因、原動力となるものが「ルサンチマン(怨恨、復讐感情の意)」です。

自虐と価値転倒

例えば、人は殴られた時にきちんと殴り返せば、恨みは持ちません(これがニーチェの考える健康な状態です)。
しかし、何らかの障害によってそれが出来ない時、恨みのエネルギーが生じ、その流れる先を強引にでも作り出し発散しようとします。

その流れが真っ直ぐ反転(逆流)して自分に向く場合に起こるのが、いわゆる「自虐」です(先に述べたA)。
自傷行為や自殺、過酷なまでに自分を厳しく追い込む禁欲などは、解消できない誰かに対する怒りと恨みが自分に向いたものであることがよくあります。

自分(内)に真っ直ぐ向かう反転ではなく、歪みねじ曲げられた形で外に向かうものが「価値転倒」です(先に述べたB)。
それは価値を転倒することによって、恨みを裏に隠して解消するレトリック、詐術です。
現実においては弱者であるはずの人が、想像上の価値転倒によって立場を反転し、強者となります。
ここで重要なことは、その想像上の価値転倒が無意識的に行われ、その過程が本人に自覚されないということです。
分かりにくい概念なので、具体例を挙げます。

価値転倒の具体例

・いじめられて可哀相な私がいる。
でも現実で私は弱く、反抗の行動が起こせない。
(ここで無意識的に想像上の価値転倒が行われる)
人をいじめる人は心の病んだ不幸な人だ。
だから可哀相なのは私じゃなくていじめっこの方なんだ!
可哀相ないじめっこが幸せになれるようお祈りしてあげましょう。
(「~してあげる」には相手の上に立つという意味が含まれます。祈りを強調したのは、ルサンチマンがもともとキリスト教批判の文脈の中で扱われた概念だからです。)

・貧乏で苦しい私がいる。
でも現実でお金持ちになれない。
(ここで無意識的に想像上の価値転倒が行われる)
お金持ちの世界は物に追われ、ギスギスしていて心が貧しくなる。
だから本当に貧しいのは私じゃなくてお金持ちの方なんだ!
心の貧しいお金持ちのために、心の裕福な私がお祈りしてあげましょう。

・ある女性とセックスしたい僕がいる。
でも奥手な自分は現実でその女性と関われない。
(ここで無意識的に想像上の価値転倒が行われる)
快楽のためのセックスなど不純だ。
肉体目的の愛など本当の愛じゃない。
本当の愛はプラトニックで肉体関係を必要としない。
だから僕は彼女に群がる男どもを蔑み、ただ遠くから彼女の幸せを祈る。

文化に蔓延するルサンチマン

ルサンチマンから生ずる価値転倒は、フロイトが文化の本質という「昇華」に先行する概念(元ネタのようなもの)です。
それは社会の中で禁じられた自然の欲望を、別の形に変えて解消するテクニックです。
人間の自然な生(性)を抑圧する社会への恨みは、人間の文化の中に深く根付いており、これをまぬかれることは不可能です。
むしろルサンチマンという暗い力(心の内側から強制的に駆り立てられる病的な自発性)を推進力として利用することで、社会は成り立っているからです。

多かれ少なかれ、私たち一般人は、ルサンチマンを原動力として生きています。
例えば、いわゆる反面教師「昔ひどい上司に苦しめられたから私は部下を絶対に大切にする」もルサンチマンです。
なぜなら、本当にその苦しみを解消したいなら、その悪い上司と直接闘い倒さねばならないからです。
それができないから、その恨みと憤りのエネルギーを「部下を大切にすること」によって解消しようとするのです。

「戦争によって私の周りの人たちが多く殺された、だから私は医者になって多くの人の命を救う」と言う医者も、原動力はルサンチマンです。
まさにニーチェその人ですが、両親が高名な聖職者かつ教師であり、厳格な禁欲生活を強制された子どもが、後に過剰なほど奔放に欲望を謳歌することを叫ぶのも、ルサンチマンです。

ルサンチマンの問題点

では、ルサンチマンの何がいったい問題なのでしょうか。

それは第一に想像上の解決であるため、現実を具体的に変えていく可能性を奪われてしまうことです。
いじめがあれば、現実で自分が強くなったり、先生と相談したり、具体的なアクションを起こさなければ、問題は解決しません。
想像上の安易な解決は自分の中だけでの自己欺瞞的なものに終り、永遠に現実は変わりません。

第二にそれが無意識のうちに形成されたものであるため、意識的な制御がきかず、非常に病的で駆り立てられるような衝動のなかで動いてしまうことです。
そこでは客観的な思考力は奪われ、空回りする非建設的で破壊的な行為しか生じません。
あらゆる善意に対して「偽善」と叫ばなければ気がすまぬ人、すべての人間に優しくせねば不安になる人、些細な性や暴力の発露にすら過剰な糾弾で応じる人、等々。

第三に価値が転倒されたり変形されているため、問題ある箇所の改善がずれてしまうということです。
戦争によって苦しめられたなら、戦争を無くすように動き出すのが問題の解決です。
戦争で人が苦しめられたからといって、代わりに医者になって人を救ったとしても、戦争は永遠に終わりません。
医学ではなく、政治の道に進むのが本当の解決です。

ルサンチマンは皆を不幸にする

何かしら自分の生に不全感、漠然とした不幸を感じている人は、一度自分の行いを冷静に振り返って欲しいのです。
そうすると、多くの場合、自分の行為の根に「恨み」があることに気付くからです。

自分を鞭打ち、一生懸命勉強し、倒れるまで努力しないと気が済まない私の人生は、もしかしたら、ぐうたらでだらしなく何もしてくれなかった両親に対しての恨みの攻撃衝動が、自分に向いているだけかもしれません。

動物を虐める人間を許せず、過激なほどの動物愛護活動によって警察のお世話になってしまう私は、もしかしたら、自分自身が過去にクラスでイジメられた際の、クラスメート(いじめっ子及び傍観者)への恨みと攻撃衝動が、その過激な善意の裏に隠れているのかもしれません。

ルサンチマンは人を動かす強い原動力になります。
しかし、その利点以上に多くの問題を引き起こします(先に挙げた三つの問題)。
私は恨み(ルサンチマン)を根に隠し持って、人を愛したとしても、その愛は常に病的で歪んでおり、愛する私も愛される対象も、双方を不幸にしてしまいます。

何を為したとしても、私の行為には恨みによる強烈なバイアス(心的偏見、認知の歪み)がかかっており、客観的な解法が立てられず、それに無自覚なまま、対象を破壊してしまいます。
対象だけでなく、私自身も永久に過去の恨みに囚われたまま解放されることなく、その呪縛に気付けず、穴の開いた樽を満たそうとするような、永遠の不幸の中を生き続けることになります。

真直ぐに生きること

ルサンチマンの問題を解決するには、端的に恨みを持たないということが必要です。
分かりやすく言うと、真っ直ぐに生きるということです。

その方法として、そもそも恨みを持つような状況を作らないことです。
自分の心に正直になり、殴られたら我慢せず殴り返し、ノーと言いたい時はノーと言い、欲しいものがあれば欲する。
“ピストルを突き付けられても、クソッタレと言ってやる(※1)”強さが必要です。
弱者であることがルサンチマンを生じさせる以上、強者であることが必然的に求められるのです。
勿論その主軸となるのは精神的な強さのことであり、いくら身体が強く財力を持っていても、メンタルが弱ければ弱者のままです。

運命を受け容れること

しかし、もし自分の力では手に負えない圧倒的な力によって、恨みを持つような状況が出来てしまったなら(不慮の事故や天災など)、それを運命として受け容れ超然としていられる度量が必要です。
その超人的な度量のための理論的な基礎付けとして、ニーチェは「永劫回帰」の思想を採用します。
私は私の人生から決して逃れられない、この代替不可能な生、この世界、でしか生きられない事に心底気付いた時、人はあらゆる運命に対し、超然と受け容れられる心構えと覚悟ができるのです。

恨みと後悔は同根のものであり、後悔とは自分自信に対して向いた恨みのことです。
恨まず、悔やまず、真っ直ぐに生きる時、人はルサンチマンの鎖から解放され、ようやく澄んだ空気の中で生きることができます(それがニーチェの言う「超人」です)。

健康優良不良少年

ルサンチマンを背負った畜群(ニーチェ曰く一般人のこと)の歪んだ眼から見れば、真っ直ぐさや強さは不良なものに見えてしまいます。
しかし、超人の不良性は、一般的な不良とは真逆のものです。
一般的な不良とは、社会に適応できないルサンチマンを根に持った畜群としての不良にすぎません。
彼らは上手く作る能力がないから、その無能さを、壊すことで代替的に埋め合わせようとする、ルサンチマンに駆られた歪んだ人間(畜群)でしかありません。

それに対し、超人の不良性をどう表現すればよいか分かりませんが、ある漫画の主人公(※2)の言葉を借りれば、「健康優良不良少年」とでも言うほかありません。
それは自身の欲望に対し、真っ直ぐに向き合うような人間のことです。
真っ直ぐでありすぎるがゆえに歪んだ人間たち(畜群)からは不良に見えてしまう不良、健康でありすぎるがゆえに病人たち(畜群)から不健康と見られてしまう健康優良児。

 

おわり

※1…ニーチェオタクのザ・ブルハーツの歌詞。
※2…漫画『AKIRA』の不良少年金田のセリフ。ちなみにライバルの鉄雄はルサンチマンに駆られた暴力性の典型。

 

(関連記事)ニーチェの系譜学

(関連記事)プラトンの『ゴルギアス』カリクレス編

(関連記事)フロイトの『精神分析入門』