フロイトの『精神分析入門』(かんたん版)

心理/精神

錯誤行為

私たちは日常、多くの錯誤行為をおかします。
言い間違いや忘れ物や失策などです。
意識ではきちんとしているつもりでも、知らず知らずのうちにしてしまう行為。
これを合理的に説明しようとする際にどうしても必要となってくるものが「無意識」の存在という仮説です。

例えば、性的な魅力を感じる異性を家へ招待したとき、玄関で「靴を脱いでください」と言うところを「服を脱いでください」と言い間違える。
嫌いな知人がお店を開いて、お祝いのお菓子を渡すときに、「開店祝い」と書くべきところを、「閉店祝い」や「開店呪い」と書いてしまったりする。
嫌な仕事の書類を受取るときだけ、書類を落としてしまったりお茶をこぼしてしまったりする。

人間には意識的な行為のベクトルをゆがめるもうひとつの力がある、そういう力を仮説することによって、原因不明だった錯誤行為を合理的に説明することができる。
これが無意識の発見へとつながる第一の要素になります。

 

錯誤行為と並んで原因不明なものとして「夢」があります。
これも同じように「無意識」という仮説を立てることによって説明が可能となります。
夢の中の世界でも、普段現実で体験したものが素材となってはいますが、現実からかけ離れたゆがめられた形であらわれます。
その現実経験をゆがめるもうひとつの力が、やはり「無意識」の力です。

例えば、性の問題がタブーとされていたフロイトの時代は、年頃の男女が性的な妄想をすることにすら強い罪悪感を抱いていました。
だから、セックスの快楽を直接夢見ることは許されず、空を飛ぶ夢にゆがめられたりします(例えばジェットコースターの無重力の快楽は性的オルガスムスに似る)。
女性の乳房を夢見る代わりに、ふたつの風船を夢見たり、男性器への興味をきのこ狩りという夢に変形したりします。
また、性の問題だけでなく、女上司のプレッシャーに耐え切れない自尊心の高い男性が、巨大な食虫花(花は女性の象徴 )の化物に追われる夢を見たり、要は意識することの許せないものが夢の中で変形されて現れるのです。

 

神経症

そして第三の人間の原因不明の行為として「神経症的行為」があります。

意識では止めたいと思っても、手の皮がむけるまで手を洗うことを止められない人。
汽車の汽笛の音を聞くと、震えがとまらなくなる人。
眼に異常はないのに、ある状況になると突然眼が見えなくなるという人。

意識上の意図に反した行動、まさに誰か別の人間にでも操られているかのように感じられる、これらの行為を説明するためにも、「無意識」の仮説が必要となります。

 

治療

原因不明の制御不能な無意識的な行為である神経症的症状を止めるためには、原因の説明を可能とし、その行為を意識の制御下に置きコントロールする必要があります。
基本的に無意識は過去の経験の中で記憶の底に沈殿したものです。
特に人間は嫌な経験を忘れようとし、それが意識に上らないように抑圧する防衛本能があります。
そうしなければ、煩いが多すぎて、スムーズに普段の生活が送れなくなってしまいます。
その無意識の底に沈んだ過去の経験が悪さをする際、それを意識に引き上げることによって、制御可能なものとするのです。

例えば、汽車の汽笛を聞くと震えが止まらなくなる人に対し、精神分析的技法(自由連想法や夢の解釈、催眠など)によって過去の記憶を意識へと引き上げます。
小さい頃に人が汽車に引かれてバラバラになる瞬間を見て、強烈な汽笛の音の中で気絶した過去、そのショッキングな記憶を抑圧して無意識の底へと沈めていた事実、これらを本人の意識の中に引き上げ明確にした時、その症状は自然と消失してゆきます。

 

リビドーと快楽原則

人間の行為の源泉となる本能的な力をフロイトは「リビドー」と名付けます。
それは飢餓と類似したもので、快感を追い求める力です。
例えば性的快感に対しての欲求不満が溜まると、人を強くその充足へ向けて駆り立てます。
そして快感がえられ満足すると行動は止み、また新たな快感充足への欲求が高まると、人を行為へと動かします。
この人間の行為のサイクル、生の構造を「快楽原則」と呼びます。

 

現実原則

しかし、社会の中で生きる私たちは、自由に快感原則に従い生きることは許されていません。
今すぐ快感を満たしたいからといって、動物のように手当たり次第に相手を蹂躙すれば、自己の破滅をまねきます。
快感原則は現実社会の要請に従い、それと折り合うように、欲望を延期したり変更すること、いわば経済的な損得計算によって、より快感を安定的に満たせるようにするのです。
こどもが目先のオヤツの快楽を我慢して、より大きな未来の快楽であるオモチャを買うために貯金するように。
この現実との折り合いによって変更された快感原則を「現実原則」と呼びます。

快感原則が無意識のリビドーに従う性本能だとすれば、現実原則は意識である自我に従う自己保存本能です。

 

リビドーの発達段階

1、口愛期・・・快感の受容の中心は口であり、母の乳房を吸うことから欲求充足を得る赤子の時期です。
2、肛門愛期・・・栄養摂取の口愛期に次いで、排泄作用における快感と欲求充足が中心となる幼児の時期です。
ここでは適切な時と場所で排泄することによる社会的評価「いい子」「わるい子」があることや、所有蓄積の快楽とその放出の快楽、などを学びます。
3、エディプスコンプレックス期・・・ここまで母との関係性が中心であった世界に父が登場します。
愛の対象である母を独占したい子供にとって父はライバルであり、かつ母との共生を禁止する強力な力をもつ尊敬すべき対象でもあります。
母を性愛的に愛しつつ父を憎み、かつ父を畏敬の形で愛しつつ無力な母を憎むという両価感情の中にあります。
4、潜伏期・・・エディプスコンプレックスの解決と共に、関心は母と父から離れ、家族から社会へと向き、同世代グループとの関係性が中心になります。
5、思春期・・・身体的成長により、リビドーが性器を中心となり始めます。
いわゆる自立の時期とも重なり、ここにきてようやく一応の完成をみます。

 

神経症の主な原因と治療

1、未成熟な発達段階とそこへの退行。
人間は各発達段階において成熟してから次の段階へ移るわけではなく、未発達であっても時間的な制約によって無理やり次の段階へ進むことになります。
この時、未成熟な段階において卒業しきれない固着が起こります。
そして、無理に先に進んだ後々の段階において、何らかの原因で欲求を満たすことを阻止された時、現段階での解決を目指さずに、そこから逃げて、固着地点に戻ることになります。
いわば自立して故郷を離れた人と違い、未練ある故郷から無理に引き離された人のように、新しい環境で嫌なことがあったら、すぐに故郷に帰ってしまうのです。
当然、今現在の地位(段階)において欲求を満たす正常な方法とはかけ離れた欲求充足の方法になるため、それが神経症的な症状となります。
治療としては、早期回想や転移による再演などによって、その固着地点に戻って問題と対決し、未発達に終わった段階を完成させることです。

2、現実原則の失敗。
現実社会の要請と無意識の欲望であるリビドーにはさまれた自我が、それらを折り合わせることに失敗した時、リビドーは鬱血し、歪んだ形で解消されることになります。
代表的には自我がリビドーを騙す欺瞞的な解決方法「自我の防衛機制一覧(wikipediaに飛びます)」などがあります。
このいびつなリビドーの解消方法が神経症の症状であり、それを正常なものへと修正することが、治療の目的となります。

 

おわり

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