ロックの『市民政府論(統治論第二論)』(4)

哲学/思想 社会/政治

(3)のつづき

第十一章、立法権力の範囲について

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立法権力は政治共同体の最高権力であり、それ以外のいかなる者の命令も、公的に選ばれ任命された立法部の承認なしには、法としての効力も拘束力ももちません。
法律を制定するための絶対条件である“社会の同意”がなければ、いかに強力な権力者によるものであっても、無効です。
外国の権力や国内の下位の権力に何らかの服従の誓いを立てたとしても、立法権力への服従を免れることはできません。
立法権力は、立法部の制定する法を超える義務を負わせることなどなく、究極的には人間の義務はそれに限ります。

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立法権力は、各成員が立法者に委ねた権力であるため、原理的にその力の範囲は、各人が共同体に入る前(自然状態)にもっていた権力以上のものになりえません。
所有するもの以上のものを譲渡することは不可能です。
だから立法部は、臣民の生命を奪ったり、財産を収奪したり、恣意的な隷属状態に置くような、自然法を超え出る絶対的権力を持つことはできません。
この権力は、委ねられた自然法の権力の目的(生命財産自由の保全)以外のものは有さず、公共善、人類の保全のみがその目的です。
自然法の義務は、社会契約の成立とともに消滅するのではなく、成文化された法と公的な刑罰によって、より精緻化されているということです。
自然法は、最高権力者(立法者)を含め例外なく、万人に対して永遠の規範としてあり続けます。

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自然法は成文化されておらず、自然状態においては個々の人間の理性によって、その都度それを自覚せねばならない為、不確実です(特に自分の固有権に直接かかわることの場合)。
そのため人々は、恒常的な法と公認の権威(裁判官)を打ち立て、社会全体の力によって安定的に固有権を保全しようとするのです。
つまり、最高権力(立法権力)は、恒常的な法と公認の権威を用いることが義務付けられた存在であり、決してその権力を私的な法(命令)や恣意的に選ばれた権力者により用いられてはならないのです。

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わざわざ絶対的で恣意的な権力(恒常的法と公認の権威を欠いた権力)に服するために、人々が自らの権利や権力を捨てて集まるということはありえません。
絶対的恣意的権力というものが、そもそも社会や統治の目的と矛盾しているのです。
個々人が武器(自ら防衛する権利)を捨て、ある特定の恣意的な権力者(立法者)にそれを集中すれば、餌食にされるだけです。
10万人の人々各々が単独で恣意的な権力を行使する場合(自然状態における戦争状態)の危険に比べ、10万人の従者を持つ一人の絶対的権力の恣意的な権力の危険は、10万倍になります。
いかなる形態の政治的共同体であれ、支配権力は明文化され宣言され公認された法に基づき、統治せねばなりません。
明らかで確立され公言された「公認の法」があることによって、国民は自分たちの義務をわきまえ安全を確認し、支配者は権力の限度をわきまえ正しい目的を確認し、社会が悪い方向へ外れることを防ぎます。

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固有権(所有権)の保全が統治の最大の目的であるため、いかなる者であれ本人の同意なしに、一部たりともその財産を奪う権利はありません。
最高権力(立法権力)であっても、臣民の資産を恣意的に使ったり、部分的にでも収奪することは、原理的に許されません。
立法権力が交替制の集合体であればあるほど、そのメンバー自らも臣民であるという自覚を失いにくく、この危険が少なくなります。
反対に、立法権力が永続的な集合体であればあるほど、メンバーは自らも臣民であるということを忘れ、他とは異なる利害に授かる特別な者であると考え、臣民の資産を恣意的に利用(収奪)し己の富と権力の増大を図りやすくなります。

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時に政治共同体の維持のために絶対的な権力が必要となることもありますが、それは絶対的であっても恣意的であることは許されません。
例えば、軍隊において部下が、上官の命令に絶対的に服従し死の危険にさえ赴くのは、その命令の内容が権力の根拠である「臣民の保全」という目的の為のものだからです。
しかし、兵士の生命にかかわるような強い権力をもつ上官も、部下の財産に関しては一円たりとも奪うことは許されません。
なぜなら、その一円を収奪するという行為は、権力の原泉である公益という目的に属さない命令および服従だからです。
上官が恣意的に臣民の所有物を奪うこと(固有権の侵害)は、信託された権力の乱用であり、統治社会の基礎を崩壊させるものです。

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統治の維持には大きな費用が必要であるため、国民は政府から保護受ける対価として、財産の一部を政府に支払います。
勿論、これには各人の同意(=多数派の同意)が必要です。
同意がなければ、固有権(所有権)の侵害になるからです。

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法を作る権力は国民から預かったものにすぎないため、立法部はそれを自ら他者に譲渡することは許されません。
立法権力を誰の手に委ねるか(即いかなる統治の形態を選ぶか)を決められるのは、国民のみであり、この立法部の法の下に服することを自ら望んだ国民に対し、外部から口出しすることは出来ません。
法は立法権力に、その立法権力は国民に由来するものでああるため、原理的に、法の由来である立法者は法を作ることは出来ても、国民由来である立法者自体を作ることはできまないのです。

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本章で述べた立法権力の四つの制限を簡単にまとめます。
その一、公認の確立され明文化された法に基づき、恒常的かつ公平な支配でなければならない(場面や人間に応じて異なる基準を用いてはいけません)。
その二、法は究極的に、国民の利益以外を目的としてはならない。
その三、立法部は国民の同意なしに、所有しているものを徴収(課税)してはならない。
その四、立法権の設置は国民のみが可能なのであり、立法部は自ら立法権を他者に譲渡することは出来ない。

第十二章、立法権、執行権、連合権について

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立法権力は、共同体の成員を保全するために、政治的共同体の力を用いる指針を作る権利をもちます。
法の効力は恒常的ではあっても、法を作ること自体は短期間で済むため、立法部が常設である必要はありません。
必要に応じ様々な人が集まり法を作り、制定後には解散し、自ら臣民としてその法に服する、というのが、最も公益と秩序に配慮された方法です。
立法部の常設を避け、法の制定と執行を分離することが必要なのです。
もし、立法部が常時存在し執行権力と併存するなら、立法権力は執行権力を握る誘惑に勝てず、この両権力を握った者は、恣意的に法を利用し(作る際も執行する際も)、公益という統治の目的に反する私的利益のために乱用されることになってしまいます。

144
法の効力は恒常的で、それを常に参照し執行することは絶え間なく行われるため、執行権力は常設である必要があります。
これらの要請により、常設の執行権力と非常設の立法権力として、二者は分離されることになります。

145~148
自然状態を脱した政治的共同体の成員らも、その共同体の外にある他国や外国人に対しては、依然として自然状態の関係にあります。
ですので、共同体の成員と外部のものの間に紛争が生じれば、その成員の権利を預かり保護している共同体全体が、その侵害に対して対処することになります。
これは共同体内の執行権力とは本質的に異なる権力であり、「連合権力(federative power)」と名付けておきます。
連合権力は、対外的に公衆の安全と利益を守るためのものであり(執行権力な内部的なもの)、様々な利害損失をもたらす外部の者との、戦争、和平、盟約、同盟等の外交にあたるものです。
執行権力と連合権力は、多くの部分で結びついていますが、先行的恒常的実定法的な執行権力とは異なる力が要請されます(臣民が秩序を守る規則として計画的に練られたものが実定法)。
どう行動しどう意図し如何様な利害をもたらすかが不確実な外部者を相手に、臨機応変に対応し、的確な判断を下すためには、連合権力を任された者らの「思慮と賢明さ」に負う部分が多くなります。
だからといって、執行権力と連合権力を横並びに分離し、異なる担い手に任せるべきではありません。
共同体の力が分散して弱まり、指揮系統の秩序が脆くなるからです。

第十三章、諸権力の従属関係について

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先述のように、立法権力は全ての権力の上にある最高権力です。
しかし、立法権力は、国民および共同体の保全という目的のために信託された力によって成り立っています。
ですので、立法権力がその目的と約束を守らず、恣意的に振舞い、臣民の固有権を害するなら、その主権性は与えた者(共同体の成員)に取り上げられ、改めて相応しい者に信託され直すことになります。
究極的には、共同体自体が最高の権力(国民主権)であるということです。

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勿論、統治が正しく行われている場合は、常に立法権力が最高の権力です。
成員のために法を作り、公益を保全するために規則を設け、法を破る行為を正す執行権力を与える立場にあるものは、必然的に全てを従属させる位置になければなりません。

151
立法部が常設でなく、執行権力が一人の人間に委ねられており、かつ立法部に参与している(明確に立法部に従属する者でないということ)場合、おおまかな意味では、彼が最高権力者となります。
勿論、彼が人々を従属させる権利も人々が彼に従属する義務も、あくまで法を介して成り立つものです。
人々の恭順は法に従う服従に他ならず、人々が従うのは法権力および政治的共同体の代表(表象)である公的人格としての彼に対してであり、彼という私人にではありません。
彼が法を逸脱したり、公的目的ではなく私的目的によって行動した場合は、その権力と地位を失い、共同体の成員は彼に対し何ら服従の義務を負わなくなります。

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その他、従属的権力には各共同体の状況に応じ、様々な種類ものがありますが、共通して言えることは、彼らは明示的な認可や委任によって与えられた以上の権力は一切もたず、他の何らかの権力に対して常に責任を負っているということです。

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立法権力が常設でなかったとしても、正当な理由があれば、常設の執行権力(あるいは連合権力)からその力を取り戻し、法に反する悪政を処罰する力を保有しています。
複数の人々で構成される非常設の立法権力(一人であれば常設になってしまう)がその力を行使する(集合し法を制定する)時期は、発足時の基本法、あるいは散会時の定め、それら規定なき場合は立法部の任意となります。

154
このように、国民が国民の中から国民の代表者として立法部のメンバーを選ぶ選挙の時期は、あらかじめ定められた時か、必要に応じた任意の時点となります。
前者の場合、執行部は正しい形式に基づき、選出のための指示を事務的に為すだけです。
後者の場合、基本的にその裁量は執行部に委ねられることが多く、国民を害する新たな公共の問題や緊急事態によって既存の法の修正や新法の制定が必要となった時、立法部を招集します。

155
定めあるいは必要によって立法部の招集の時が来ているにもかかわらず、執行部が実力でそれを妨害しようとした場合、執行部は国民と戦争状態に突入します。
国民の信託を裏切った時点で、執行部は権原及び権限を失っており、この妨害行為はただの権限なき武力による侵害行為に他ならず、国民は侵略者との戦争状態に入り、元の権力(公益のために法を作る権利)を取り返します。

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立法部招集解散の権力が執行部に置かれたとしても、それはあくまで立法部から信託されたものでしかありません。
招集と解散が必要となるであろう時期を長期的に予測し、予め計算して定めておくことは難しく、緊急事態には対応不可能です。
その救済策として、常在し公益を見守ることを務めとする者(執行部が適任)に、この権力を信託することになります。
立法部招集解散の定められた期間や機会が、現場の必要より短すぎたり長すぎたり多すぎたり少なすぎたりする際に生ずる共同体への害を防ぐための方策です。

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万物は流転し、人も富も交易も権力も、刻々とその状態を変化させ、栄える都市はやがて衰退し、荒野から新たな都市が成長します。
事物は同一状態を保つことはなく、また、その変化も一様ではありません。
慣習や特権も同様に、状況の変化によって、もはや正当な存在理由が無くなっているにもかかわらず、私的な利害の為に変わることなく存続し続けることがよくあります。
立法部の規模も、時とともに、状況に対し不釣り合いで、不合理なものとなり、反省と修正を促されますが、共同体のあらゆる実定法に先立つ立法部の根源性と、最高権力である立法権力に対する従属関係から、多くの人はそれが是正不可能であると勝手に思い込みます。

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しかし、「人々の安寧こそが最高の法である(キケロ)」という根本的規範に従うなら、立法部を招集する力を持つ執行部が、不釣り合いになった既存の慣行的代表比率を、現状に合った規模に是正することが、本質に立ち返る復活再生、真の意味での立法部の保持ということになります。
むしろ不釣合いを是正せぬままにおくことは、一部の特権化と不平等を生じさせ、国民を侵害することになります。
是正することが国民の利益となり放置することが害になる以上、公益の実現を目的とする統治および立法部の発足当初の原初的根拠および公正な基準に照らせば、この再生が共同体の意志となることに疑いはありません。

 

(5)へつづく