<第二章、チーム>
パフォーマンスチーム
パフォーマンスは、個人の性格の表出という部分的な機能に注目されやすく、全体が見過ごされています。
例えば、パフォーマンスが職業的役割のみを表出し、個人的性質を覆い隠すことはよくありますし(官僚やサービス業など)、個人的性質が個人の表現の意図なく組織全体の表出として利用されることもあります(老舗の和菓子屋では古風な女性が採用され、社風が個人に宿る)。
また、パフォーマーが投企する状況の意味付けは、周囲(複数のパフォーマンス側の参加者)の協力によって作られ維持されていることが多く、表出は全体的なものとなっています(例、家長の威厳は妻の協力なしにありえない)。
まとまりのある全体的な役割遂行に協力する組の人たちを「パフォーマンスチーム」や「チーム」と述語付けます。
自己の内のチーム
エゴは、パフォーマー(行為者)でありながら、同時に自身のオーディエンス(観察者)でもあります。
いわゆる自意識です。
自意識は社会規範に則った行為を、エゴに要求します。
エゴはパフォーマーであるため、先にも述べたように、自らの役割遂行のために、自意識(オーディエンス)に対し秘匿化された領域を持ちます。
エゴが自意識を欺くというこの絶えざる自己欺瞞によって、自己は運行されます。
これを上手く描き出したものが、精神分析の無意識や良心や抑圧の構造です。
人間が時折、自分自身を疎遠に感じる距離は、これに由来するものです。
パフォーマーの行動を規定する内面化された価値基準(良心)は、何らかの社会集団に依拠したものであり、この良心は不在の他者(オーディエンス)として機能します。
行為主体は、自身が積極的には意識していない、信じていない行動基準を密かに持っており、その見えないオーディエンスという審級によって罰せられる立場にあります。
これは個人に限ったことではなく、あるチーム全体が見えないオーディエンスのためにパフォーマンスを為すこともあります。
世間の目から隔絶された空間の中で生きるチームであっても、文化的基準に従った役割遂行が為され、社会的慣習が守られるのは、この見えない他者の目に依ります(例えば無人島で孤立しても多くの社会的慣習は維持される)。
チームの協同
チームの構成員は、チーム全体のパフォーマンスを壊す可能性を常に持っているため、仲間の紐帯的行動に相互依存します。
また、チーム全体がオーディエンスに見せる外面(見かけ)とは別の、チーム内のみで共有される内面をもつため、内輪の者のみの事情に通じた親密さ(情ではない)をもちます。
行為主体が状況を意味付ける際に、演出上の協力を得る共演者がチームメイトであり、この劇の調和を破る者はチームのパフォーマンス全体の印象を混乱させ、意味付けによって得られるものを危険にさらします(例、名門校の不良少年はブランド力の低下を引き起こす)。
チームメイトは、共有する意味付けのために、自分たちの努力を方向付けることに合意している(非形式的に)人々です。
パフォーマー(個人)の目的は、状況に特定の意味付けを与え保持する事、いわばその人のリアリティを構築することです。
個人の探検家のように、自由かつ迅速に意思決定を為すことができます。
それに対し、チームでのパフォーマンスの場合、複数の構成員への配慮が必要となるため拘束的で、意味付けも硬直し、豊かさを失う傾向にあります。
不調和な行動を為すことは、状況の意味付けを妨害する雑音とみなされます。
チームの一員が失敗をしたとしても、オーディエンスの目の前で罰せられる(即時の矯正)ことが少ないのは、それによって内部情報を晒し、外面の印象を壊すことになりかねないからです。
パフォーマンスのメンバーを選ぶ際も、遂行の信頼性が考慮されます。
例えば、来客の際に子供を子供部屋に留まらせ除外するのは、子供が外部印象を壊したり内部の情報を晒す可能性が大きいからです。
また、同じ個人がパフォーマー(チーム)とオーディエンスの両方に所属することは、内部情報の漏洩につながるため、避けられます。
パフォーマーの力関係
パフォーマー間の相互行為においては、舞台装置を準備、統制する側が有利になります。
オーディエンスの入手可能な情報を制御できるからです。
病院内においては患者より医者が、学校では生徒より教師が、商店では客より販売者の方が、戦略的にパフォーマンスを行え、有利に役割を遂行できます。
舞台装置、背景はパフォーマーの一部であり、その統制力を失うことはパフォーマーとしての力を失うことも意味します。
しかし、役割遂行に適した背景が役割の表現を増すように、不適合な背景は表現力を減じるというリスクがあるため、それを隠す必要があります(王女を演じるシーンの舞台美術のクローゼットに、襤褸着があってはいけない)。
チームでのパフォーマンスにおいては、劇の進行を仕切り、演出する立場の人がいます(結婚式での聖職者やスポーツの審判員など)。
演出家は、パフォーマンスにおいて不適合を生じさせるメンバーに制裁を加えたり教育したり慰めたりして、隊列に戻す機能と義務を持ち、感情的支柱として現場の雰囲気を作ります。
また、配役もその仕事であり、ミスキャストの責任も負うことになります。
キャスティングに関してのオーディエンスの要求と、チーム内のメンバーの要求に挟まれ、オーディエンスとパフォーマーの境界上に位置づけられることになります。
チームの成員間において、それぞれに与えられる劇内での優位性が異なります。
演出に関わるような指導的優位性もあれば、劇の主役としての劇的優位性もあります。
例えば、披露宴における劇的優位性を持つ主役は新郎新婦であり、そこを中心にして、脇との関係が固められます。
それに対し、指導的優位性を持つのは会場を準備し演出し仕切り進行する司会者などです。
将軍が指導的優位性を持たず、劇的優位性を中心に担い、実質的最高司令官(指導的優位性)が側近であることは、よくある話です。
チームの意義
まとめると、チームとは、状況の意味付けとその維持において、相互に協調が必要な人々の組み、集合です。
注意しなければならないことは、これは単純な社会組織や社会構造的カテゴリーではなく、状況の意味付けというパフォーマンスに関して形成される集合であるということです。
パフォーマンスチームとは、ある共通のパフォーマンスに向けて結び付けられ、共有の舞台裏を持つ秘密結社のようなものと言えるでしょう。
<第三章、局域>
表-局域
局域とは、知覚における区画の事です。
例えば、厚いガラス壁のこちらと向こうでは、視覚的にはつながっていますが、聴覚的には区切られています。
衝立によって作られた間仕切りの部屋は、聴覚的にはつながっていますが、視覚的には区切られています。
室内を中心とした文明社会では、この局域の空間的区切りと時間的区切りによって作られた多様な時空の箱の中で、パフォーマンスを行い、観察し、状況を意味付けます。
ある特定のパフォーマンスの行われる知覚区分の空間(局域)を「表-局域」と呼びます。
この局域における固定的な部分は、先に述べた外面の舞台装置です。
動的な部分であるパフォーマンスは、この局域において、その挙動の外見が適合的であるよう、一定の基準を保とうとする努力と言えます(個々の俳優が舞台全体に溶け込む自然な演技をするような)。
社会組織を考察する際、多くの場合気付かれていない、そこで使われているパフォーマー自身の身の処し方(適合的努力、舞台に対する敬意)である「作法(decorum)」の基準を明確にすることが重要になります。
例えば、教会のような非日常的な局域における作法の諸規則は際立つため、その厳格さや数の多さが目につきます。
しかし、実のところ、日常生活(日常的局域)においても、それ以上に厳しい作法が要求されています。
例えば、洋服の販売員は、笑顔を絶やさず、所作言動に気を配り、ドレスコードを守り、最低限の販売ノルマを達成しなければなりません。
たとえ暇な時であっても、オーディエンスがいる限り、見かけ(作法)は維持しなければならず(無作法になるので)、無意味に服を畳んだり、綺麗な所を掃除したり、暇な時のためにわざと仕事を残したり、極めて儀礼的なパフォーマンスが行われます。
裏-局域
裏-局域(舞台裏)において、舞台でのパフォーマンスのための準備が為されます。
それは様々な機能を持ち、外面の印象を巧みに作り上げます。
そこには無数の役割のレパートリーや衣装や小道具が収納され、練習やチェックを行う稽古場があります。
部屋着とスリッパでブラブラしながら、舞台の出番の時間まで準備しています。
裏領域は幕によって表領域から隔絶されているのでオーディエンスからは見えませんが、表領域と裏領域は隣接しているので、パフォーマーはいつでも出入りが可能であり舞台裏の仲間から助力を得ることもできます。
周囲が求める役割への要請と、それに応じようとする行為主体をつなぐ緩衝材のような柔軟さを与え、上手くパフォーマンスを統制するのが、裏-局域(舞台裏)の機能です。
もし、舞台裏を与えられなければ、役割遂行は困難を極めます。
透明の箱や透明のマントでマジックをするマジシャンが、決して魔術の印象を生み出せないように、役割に不適合なものを秘匿できる場所なしに、理想的な役割の印象を生み出すことは不可能です。
化粧室を持たない美女が美しくあることは困難であり、社長室を持たない社長が威厳を保つことは困難であるように、役割の理想度が上がるほど舞台裏領域は大きくなり、王様や聖人などに至っては、私的なものがすべて隠され、完全に統制された儀礼的な舞台上でしかオーディエンスの前に現われることはありません。
表裏の区分
それぞれの舞台美術は局域的性格を有し、その場所にある種の呪術的な拘束をパフォーマーに与えます。
例えば、誰もいない聖堂であっても、表-局域的な雰囲気を保持する傾向にありますし、避暑地では人が居ても、ラフな部屋着で歩ける裏-局域的な雰囲気があります。
また、パフォーマーの言動そのものに、局域的性格が付与されているため、同じ場所であっても言動を変えることによって局域を変化させることができます。
例えば、会議の途中で口調を変え、今度の飲み会の話題を振れば、裏領域的な息抜きの時間に変化させることができますし、レストランの隅で給仕達が囁くような私語によって小さな舞台裏空間を作っていることがよくあります。
表-局域と裏-局域の区分は程度の問題であり、具体的状況は常にその混合状態にあります。
たとえレストランの舞台裏であったとしても、ジェンダーとしては表舞台であり、異性の給仕の前で形式的な性別役割を演じています。
チームメイトと舞台裏で、「くつろいでいる自分」を演じていることも多々あります。
人は、自分の所属するチームの舞台裏をネガティブに見て、他チームの裏舞台に関しては見落とす傾向にあります。
自チームの局域に嫌気が差して、他チームに移籍したとしても、結局あまり変わらないことに気付かされます。
第三の局域、局域外
ある特定のパフォーマンスを準拠点とし、表局域と裏局域を設定した場合、その外の第三の局域である「局域外」というものも、同時に生じることになります。
自己は、複数の異なるオーディエンスを持ち、無数の社会役割を演じ分ける俳優であるため、現在進行中の一つのパフォーマンスにスポットを当てた場合、その残りが局域外のものとなります。
パフォーマーもオーディエンスも、現在進行中のパフォーマンスに統合性を与えようとするため、そこに局域外の要素が侵入してくると、印象に矛盾が生じてきます。
例えば、仲間の前で偉そうにしているガキ大将の前に、その母親がやってきて叱って泣いた場合、印象に齟齬が生じ、パフォーマーもオーディエンスも困惑したり幻滅したりすることになります。
この問題を解決するには、役割に応じ、オーディエンスを分離し、局域の統制をはかる必要があります。
そうしなければ、パフォーマーはいかなる投企をなせばよいのかが分からなくなり、また、役割遂行の演出上の効果も失われます。
例えば、教師が自分の子供の担任になることは避けられますし、司祭が海水浴に行く際は自教区の信者のいない所が選ばれます。
現在は優等生になった元不良少年は、悪かった頃の昔の友人をオーディエンスから排除することによって、パフォーマンスが上手く為せます。
パフォーマンスに応じて明確にオーディエンスを分離するようスケジュールを立てることによって、その効果を上げることができます。
<第四章、分裂的役割>
秘密の種類
パフォーマンスの重要な目的は、状況の意味付けを維持することですが、その為には、表出の整合性を破壊する「破壊的情報」をオーディエンスに渡さないよう、「情報統制」に従い、チームはそれを守秘せねばなりません。
秘密は機能別に大分できます。
第一に、パフォーマーの表出する印象と背馳し、端的にそれを破壊する、公然とは認めがたい「暗い秘密」。
第二に、パフォーマー(チーム)が目的とする状態へ有利に進めるための戦略上の秘密計画である「戦略的秘密」。
第三に、それを所有していることが集団の構成員であることを保証するような秘密、排他的機能を有する「部内秘密」。
[例えば、映画の『スタンドバイミー』では、秘密を共有することが友達の絶対条件ですが、そういう種類の秘密です。別にその内容が暗いものや重大なものである必要はありません。第一、第二の秘密が過度に強調される時、第三の秘密の機能(情報共有による結束)がそこに付加されていたりします。]
その他、他者から託された自己に直接関わらない秘密で、それを守秘することが自己(役割印象)の信用に関わるような「信託的秘密」。
例えば、弁護士の有する依頼者に不利な情報-秘密-を晒すことは、弁護士という役割の失墜を生じさせます。
その反対に、自分の信用に関わらない他者の秘密で、いつでも暴露可能な「随意的秘密」。
ですので、他者に秘密を預ける、あるいは所有されている場合は、随意的秘密ではなく信託的秘密として扱わざるを得ないような状況を作る必要があります。
分裂的役割
パフォーマンスにおいては、下に示すように、1.機能、2.情報、3.局域(場所)の間に基本的な相関関係があります。
パフォーマーは「1a-2a-3a(遂行者でありつつ-表裏両情報を所有しつつ-表裏両局域に居られる者)」、オーディエンスは「1b-2b-3b」、部外者は「1c-2c-3c」というように、アルファベットが揃った状態が基本的な相関関係です。
1-機能
a.パフォーマンス遂行者
b.パフォーマンス対象者(観察者)
c.遂行も観察もしない部外者
2-情報
a.表の情報(見せかけのリアリティ)と裏の情報(破壊的情報)を所有する人
b.表の情報のみ所有する人
c.表裏どちらの情報も所有しない人
3-局域(場所)
a.表局域と裏局域の両方に居られる人
b.表局域にのみ居られる人
c.表裏どちらの局域にも居られない人
しかし、この相関性が完全であること(つまりアルファベットが揃う事)は少なく、入れ違い、重複、横断等、実際は複雑に入り組んでいます。
この特殊性が顕著で、特定の意義を獲得し、単純なパフォーマー、オーディエンス、部外者という枢軸的な役割とは別種のひとつの役割として把握できるようなものを、「分裂的役割」と呼びます。
具体例
具体的には、「密告者」「さくら」「覆面調査員」「仲介人」「黒子」などであり、彼らは単純にうわべだけでは計れない予想外の、重層的な機能、情報、場所を有している特殊な存在様態にあります。
例えば、「さくら」は、オーディエンスの機能と場所を有しながらパフォーマーの情報を持つ交錯した様態「1b-2a-3b」にあります。
その他、精神科医や弁護士や美容師のように、裏局域に入ったり破壊的情報を手にすることで、パフォーマーの外面を内側から改善、構築する特別な位置にある専門家や、ただ破壊的情報を傾聴するだけの告解室の司祭や心理カウンセラーや親友、部外者でありながら裏の情報を共有する同胞や同類(病人は同病者の心を知り、業者は同業者の事情を知る)など、様々な分裂的役割が考えられます。