バンデューラの『モデリングの心理学』(1)

心理/精神

※本項の前に必ずスキナーの項(前半部分だけで可)をお読みください。

人は観察によって学ぶ

アルバート・バンデューラのモデリング心理学(観察学習理論)は、主体と外的結果を重視するスキナーの行動主義心理学の理論を、他者と内的過程を含むものへと拡張し、批判的に前進させようとするものです。

例えば、人は皆、お葬式で神妙な顔をします。
これは、子供の頃にそういう状況で笑えば大人に怒られることが嫌子(罰)になったり、悲しそうな顔をしていると大人が抱きしめてくれたりすることが好子(褒美)になったりして、笑うことは弱化され悲しむことは強化されるからだ、というのがスキナーの理屈です。

しかし、バンデューラは、そんな単純な話では済まないだろう、と疑問を投げかけます。
例えば、親戚のお兄ちゃんがお葬式で笑っておばさんに叱られるのを見たり、自分のお姉ちゃんが悲しそうにしていると優しくされているのを見たりして、それが代理的に強化や弱化として働き、“お葬式では悲しそうな顔をする”という行動が私に学習されることもあるはずです。

直接強化と代理強化

動物を対象としている限り、個体が直接的に強化される直接強化のみでとらえてもよいかもしれませんが、人間の場合、むしろモデル(他者)を観察することにより間接的に強化される代理強化の方が機会としては多いと言えます。

日本において「学ぶ(まなぶ、まねぶ)」の語源が「真似る」と同じ様に、世界の多くの言語において学習は見ること(模倣)に関係付けられた意味を持っています。
人間文化における極めて複雑な行動パターンを、個人の直接経験(オペラント行動)の試行錯誤のみで獲得することは不可能であり、範例(モデル)をモデリング(模倣)することにおいてのみ可能となります。

また、その進歩につれて、人はモデルを象徴化した象徴的モデルによっても学ぶ機会も増えていきます。
台所のお母さんをモデルとして料理を学ぶ(真似ぶ)のではなく、料理のテキスト(象徴化された範例)によって学ぶように。

能率的な学び

オペラント条件付けが、なぜこの事実を見落としたかというと、実験室内の環境が極めて安全に配慮されたものであり、失敗が大した危険をもたらさないからです。
現実においては、いちいち個体の試行錯誤による学びに任せている暇などなく、事前の真似びによるぶっつけ本番の行為状況(それに失敗すれば大きな損失を被るような)の方が多く存在します。
危険の多い状況下では、不要な誤りを回避しつつ効率的に遂行するための適切なモデルが不可欠です。

言語という人間にとって本質的なものも、主に模倣によって獲得されるのであり、オペラント条件付けの選択的な強化のみによって発声や語や文法を習得させることは現実的に不可能でしょう。
モデルによって人は、必要な行動の習得過程を大幅に短縮でき、それにより複雑で高度な文化を形成します。

モデリングの三つの機能(効果)

社会的学習理論においては、既存の模倣や同一化(同一視)や取入れなどと呼ばれてきた人間の一致的な行動に関する様々な概念を、「モデリング」というもののひとつの現象(限定的な現れ)とみなします。

そのモデリングの機能(効果)としては以下の三つが挙げられます。

1.「観察学習効果」~観察者は他者の行動を観ることによって、新たな行動パターンを習得し、後に同じ行動が再現可能になります(新しい反応モデルの獲得)。

2.「抑制、脱抑制効果」~学習した反応(行動)が強められたり弱められたりする働きです。
モデルの行動が良い結果(報酬)を生むか悪い結果(罰)生むかの観察によってそれは決定されます。
そのモデルの行動が悪い結果をもたらすのであれば、当然、学ばれたはずの観察者のその行動も減じますが、それを「抑制効果」と呼びます。
また、モデルが悪い行動や禁じられた行動をしても、悪い結果(罰)を受けないことを観れば、抑制は弱められますが、それを「脱抑制効果」と呼びます。

3.「反応促進効果」~例えば、誰かの笑いにつられて私も笑う時など、他人の行動が単純に私の行動を喚起し導く場合、反応促進効果として働きます。
これは別に新しい反応の習得(観察学習)や強化された行動でもなく、罰によって抑制されている行動の脱抑制でもない、第三のカテゴリーとして区別されます。

モデリングの四つの過程

モデルの観察である以上そこに認知の問題が、モデルの再現である以上そこに記憶や象徴化の問題がからんできます。
以下にモデリングにおける四つの過程を記述します。

1.「注意過程」~観察者は先ず、世界の無数の事物から、何を弁別し、モデルとして認知するかの必要に迫られます。
モデルの特徴や機能や価値、観察者の動機や過去の強化や心理的特性など、様々な要因がからみ、何を志向するかが決定されます。

2.「保持過程」~これはモデルとなる事象を観察者の中に保持する過程です。
モデルとなる事象は、即時、観察者に反応(行動)として遂行されるわけではなく、時間的な間隔を開けて再現されるのが普通です。
観察で習得された反応のパターンが、年齢や役割等、社会的に適切な文脈をが得られるまで待って、それが表出(遂行)されることは多くあります。

その保持を支えるものが、イメージと象徴(主に言語)という二つの表象機能です。
特に言語はかなりの長期間、観察事象を保持することが可能であり、正確さや効率の面においても優れています。
認知においては視覚的なイメージよりも言語の方が中心になります。
例えば、家から学校までの通学と言う行動を習得する際、それを視覚イメージによって保持するよりも、右左右右左と、視覚情報を言語によってコード化した方が有効に保持されます。

観察学習の段階においても、言語のような象徴的表象によるコード化は重要な役割を果たします。
モデルを観察する際、言語的なコード化を行なえる者(象徴化のスキルを持つ者)は、そうでない者に比べて再生率はかなり高くなります。
また、保持される観察者の内的表象は、外的なモデルの事象を複製機械のようにコピーし貯蔵するのではなく、記憶及び想起しやすいような形に変換、分類、整理し、統合しやすいように一般(共通)化されたものとなります。

観察学習によって習得された反応(行動)を維持、安定させるために行われるのがリハーサル(長期記憶のための反復練習の意)ですが、これもただの反復ではなく、保持されているモデル事象を再コーディング化、再体制化する積極的な作業です。

3.「運動再生過程」~これはいわゆる遂行の過程です。
いかに正しく学習されたものであっても、観察者にその遂行の能力がない場合、環境が整っていない場合、動機づけが与えられていない場合など、不都合な条件下では行動は生起しません。
これは裏を返せば、遂行なしに学習は成立可能であり、スキナーとは決定的に異なる部分です。

4.「強化、動機づけの過程」~強化や動機づけは以上の三つの過程すべてで働くものです。
それは、何が価値として高いものであるかの選択の枠組みを与え、それを志向し促す活力を与えます。
表出すべき行動の選択と促進、モデルとすべき認知の選択と促進、保持すべきもののコード化やリハーサルの選択と促進。

モデリングの遂行は様々な要因に規定され、それが実際に現れるまでには、認知、記憶、保持、運動、動機といったものを通過するための条件をクリアしなければなりません。
単にモデルの刺激(強化)を与えるだけで反応(一致行動)が生ずるような単純なはなしではありません。
行動のために必要な成分を欠いていれば、反応は決して起こりません。
特に、年少の子供のようにモデリング刺激に直接的に反応する直後模倣ではなく、人間行動の多くを占める、時間を開けて生ずる延滞模倣においてそれが顕著です。

反応の統合による新しい行動の形成

直後模倣でないモデリングにおいて、モデルと行動(反応)が一対一対応になることはむしろ稀で、あるひとつの行動は複数のモデルが範となるのが普通です。
観察者は複数のモデルの様々な反応を統合し、自分独自の行動とします。
新しい行動(反応)様式の創造とは、この模倣の統合の独自性のことでもあり、例えば、一卵性双生児の兄弟であれ、モデリングにおける模倣の異なる組み合わせにより、正反対の性格特性(行動パターン)を生じさせることがあります。
新しい行動は、習得された複数の反応(要素反応)を、新しいパターンに体制化することによって作られます。

具体的に言えば、私は食事の際、口を閉じて咀嚼する両親の模倣と、口を開けて咀嚼する悪友の模倣を統合し、半ば開き気味の“微妙にクチャラー”な人になるかもしれません。
フロイトは自我論において、「私」というものは取り込まれた(モデリングされた)無数の他者であり、その最も強力な他者が“良心”であるという旨のことを述べます。
私という人間は、父の生き方や、母の表情やしぐさ、アニメで見たヒーローや、故郷の人々特有の行動特性など、無数の他者を部分的に模倣しながら統合し形成されたものです。

例えば、バンデューラは、ワーグナーの新しいオペラの創造を、ベートーベンのシンフォニー様式、ウェーバー(『魔弾の射手』の作曲者)の自然的設定、マイアベーアの劇的な技巧、を模倣的に統合したものとみます。
創造者は、他人の業績に頼りつつ、自分独自の統合によって、新しいものを創出するのです。

行動形成の因子

その人を取り巻く人間関係のパターン、いわばどういう人と付き合い、どういう行動を反復的に観察するかということが、行動タイプの大枠を決定します。
だから、新しい行動が生ずる度合いというものは、その人間集団や文化の多様性に依存します。
等質的で閉鎖的な文化においては、モデルも同じような行動様式となるので、模倣が世代間で連鎖しても大きな変化にはなりません。
しかし、モデルの多様性が大きい社会においては、新しく形成される行動パターンも多く、複雑になり、リレーのように伝達されていくモデリングの過程において、その変形は極めて大きいものとなっていきます。

メディアというモデル

年少の子供の模倣学習は行動のモデリングに依りますが、成長に伴う言語機能の発達に従い、言語モデリングが反応(行動)を方向付けるものとなることは先に述べました。

さらに別のモデルとして、視聴覚メディアというものがあります。
大人も子供も、テレビや映画などのモデル(現実と象徴の中間のような)を観ることによって、極めて複雑な行動(態度や情動含む)パターンを習得することを、多くの研究が実証しています。

現在、人々は現実の行動を観るよりも、メディアのモデルに接する時間の方が多いことを考えると、これらのものが行動の形成に重要な役割を果たすことは疑いありません。
むしろ親や教師や地域社会という伝統的なモデルは、影響力を失いつつあります。

媒体の効果

モデリングの過程そのものに媒体の影響は見られませんが、その内容は媒体によって大きく変化します(質、量共に)。
例えば、テレビはそれ自体に観察的な価値があり、物理的に広範囲の人々を、長時間引き付ける機能があります。
また、テレビや映画に出てくるモデルは、理念化された魅力的で分かりやすい人格や行動様式を持ち、観察者個人の動機や経験や心的特性による注意の影響を覆い隠すほどに、意識せず見たことを学ばせる必然的な力を持ちます。

言語よりも視覚メディアや実際の動作の方が、多くの情報量を含むことができますが、象徴機能を必要とするタイプのものには活字メディアの方が有効になります。
視覚モデルは比較的誰にでも直感的な模倣を可能としますが、言語能力を必要とするメディアは限られた範囲の人々にしかモデルたりえません。

 

(2)へつづく