演技とは何か

芸術/メディア

演技

「演技」とは、人間の行為による再現、模倣です。
アリストテレスが演劇論において述べた「ドラーマ(drama)」の本質です。
いつの時代もどこの場所でも、人は演技を観ることを欲し、広場や劇場や映画館に足をはこびます。

 

人はみな演技者である

「演技なんて作り物(嘘)はくだらない」と言うクールな人がいます。
また、日常においても、感情や動作が大げさな人に対して、演技的だと言って白い目で見ます。
しかし、さらにクールな超クールな人(心理学者など)に言わせれば、「クールな人間は、自分が社会的人格としてクールを演じているという、その演技性に気付いていない自己欺瞞的な人間」なのです。
俳優も一般人も共に演技(仮面)者であり、それを分けるものは劇場の壁だけです。
一般人は壁の内/外で虚構/真実を分節することによって、自分の真実性を自己欺瞞的に確保しようとするわけです。
劇空間内の人「嘘つき」、劇空間外の私「本当」と考えることによって、自分の日常の演技(嘘、仮面)性を自分自身に対し隠すことができます。

演劇関係者の中には、「嘘つきは社会一般の人達の方だ!」などと非難するナイーブな人がいますが、あながち間違っていないのかもしれません。
社会人に成るということは、社会役割という壁のない巨大な劇空間に参入することであり、劇場の壁が見えない分、自身が舞台の上にいることに気付きにくいのです。
むしろ気付いた上で、その虚構性と演劇性を身に引き受けることが、より大人な成人のあり方です。

 

演技の機能

ただ、俳優の演技と社会役割としての演技には決定的な違いがあります。
親方の真似をして大工らしさを身につける徒弟と、大工を演じる俳優は、根本的な部分で異なっています。
それは、アリストテレスが芸術的「再現・模倣(ミーメーシス)」の特質として語った、「本質(何であるか)の抽出機能」です。

ある物を成立させる重要な性質を「本質」といいます。
例えば、ものまね師が研ナオコさんの模倣をする時、鼻の先をテープで引っ張っておでこに貼り付けます。
真似を生業とするプロは、研ナオコの顔の本質を、「ツンと上に尖った鼻とよく見える鼻孔、鼻を上に引かれることによって生じる上唇のへの字型とよく見える前歯」として抽出し、巧く再現します。

私たちが現実の美人より、アルフォンス・ミュシャや小磯良平の描く、再現、模倣された美人画に惹かれるのも、それが現実を巧く整理し、本質的な特徴を抽出したものだからです。
ハイパーリアリズムのような写真そっくりの絵より、線や面や色が巧みに整理されたミュシャの絵の方に巧さを感じるのは、そのためです。

これを極端にまで推し進めたものが、いま流行のアニメ美少女の絵です。
アニメのヒロインというものは、女性というものからその本質を抽出し、それを徹底化(理想化、理念化)したものです。
例えば、女性の身体形の本質(女性らしさ)とは、男性の幅のある肩に対する小さななで肩、男性の逆三角形に対する三角形、男性の直立した胴体に対するくびれ、等です。
ヨーロッパにおけるコルセットとパニエによる身体の成型は、まさに女性形の本質の抽出化です。
ものまね師が研ナオコの顔の本質を上向きの鼻と口と見たように、女性の本質を砂時計のような身体として見るわけです。

 

本物よりも本物らしい嘘

優れた俳優の演技というものは、ただの真似ではなく本質の抽出であり、それ(嘘)は本物よりも本物らしいものとなるのです。

昔、あるオレンジジュース(果汁1%)のキャッチコピーとして、「オレンジよりオレンジ味!」というものがありました。
人間がオレンジをオレンジとして感じる本質的な成分を抽出し、その本質のみに絞って人工的に作り出されたもの(香料など)が、オレンジよりオレンジらしい味のオレンジジュースなのです。

勿論、これに対抗するために、「本物は雑味の中にある」とか言って、あえて雑味あるものを作るメーカーや俳優もいます。
しかし、その雑味が極端になれば、本物とイコールになってしまい、写真と見分けのつかない絵のように、「模倣、再現(ミーメーシス)」としての魅力はなくなります。
意識高くない一般人は、果汁100%の雑味あるオレンジジュースより、ちょうどいい塩梅のなっちゃんオレンジ(果汁40%)の方を好みます(適度に本質抽出された模倣)。
オレンジよりオレンジ味のジュース(果汁1%)は、誇張されたアニメチックな味がして、子供や若者に好かれます(過度に本質抽出して現実離れした模倣)。

 

まとめ

一般人と違い、俳優の演技には、本質抽出機能があるということです。
それが適度であると本物より本物らしくなり、行き過ぎるとものまね師やアニメ絵のように戯画的なり、反対にそれ(本質抽出)をまったくしないなら演技の魅力はゼロになります。
素人を起用した映画などは、演技(行為による模倣)の魅力ではなく、ディテールや筋(物語)やモンタージュなどの別の要素で魅せる作品です。

 

おわり

 

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