仏教哲学とは何か(1)存在の本質

はじめに

本項は仏教を理屈でかつ分かりやすく解説することが目的です。
専門用語は可能な限り使わず、具体例に即したものにします。
仏教哲学とは仏教の哲学的な解釈です。
対象となる仏教および解釈する哲学によってその内容は変わってきます。
本項では一般的な大乗仏教を、主に言語哲学と現象学の観点から記述します。

つながりで見る

仏教哲学の本質を一言で言ってしまえば、それは「すべてをつながりで見る」ということです。
当然、複数のものすべてがつながっているのなら、その実、世界にはひとつのものしかないことになってしまいます。
そのひとつの世界「一」の自覚が、悟りと考えられます。

もの(個性)の本質

もの(物、者)の本質「何であるか」を規定するものは、その外側にある「何でないか」です。
ある学者が人間を「羽のない二足歩行の動物」と定義づける時、羽や尾びれや、四足歩行の可能性を排除されることによって、人間は鳥でも魚でも獣でもない動物として、人間という個性(形)を与えられます。

別の項でも挙げた例ですが、深海魚を一気に釣り上げると、からだが破裂してしまいます。
普通、私たちは深海魚のからだは魚自身が形成していると思っていますが、実際は周囲の海水(水圧)が押さえ付けるようにして、成り立っています。
外から押さえるように魚の形を作ってくれていた水圧が無くなったことによって、タガが外れた桶のように深海魚のからだ(外形)はバラバラになってしまうのです。

すべてのもの(個性)は、だまし絵ルビンの壷のように、内と外が同時に影響を与えながら規定しあっており、どちらか一方が変形すれば、必然的にもう一方もそれに合わせて変形してしまうものです。
二つのものはコインの表裏のような、一つのものの両面的な現れでしかありません。
ものの個性は、その内と外の「間」にあるのであり、内側だけで形成されているのではないのです。

例えば、青空を飛ぶ美しい白鳥が、輝く雪の原に降り立つと、雑巾の様に薄汚れた灰色の鳥に見えます。
背景の空の深い青色が白鳥を白く輝かせ、白鳥よりも明るく光る雪の白が鳥を黒ずませて見せるからです。
白鳥の美しさは白鳥自体がその内に持っているものではなく、背景(外)との関係(つながり)そのものが生み出しているイリュージョンでしかありません。

ものの存在の成り立ち

もの(個性)の存在とは、地(背景)から図(形)を浮かび上がらせ、切り取ることです。
例えば、駅前で信号待ちをしている時、眼前に広がる人々の雑踏は、存在としてではなく、ただの漠然としたなんでもないものです。
しかし、隣にいた知人が「見て、あの赤い服の人、安室奈美恵だ!」と言うと、その漠然とした世界から赤い服の女性が図(形)として一気に浮かび上がり、ものとして存在しはじめます。
雑踏から彼女を見つけ出した私は、彼女(図)だけをその背景(地)から切り取り、彼女以外のものはすべて背景(地)として退き、まったく存在として認識されなくなります。

全体的な「一」の世界から、部分的に切り出し、二つに分割(ここでは“安室奈美恵”と“安室奈美恵じゃないもの”)することによって、ものが存在として成立するのです。
壷を図形として切り出せば顔は背景として存在を消し、顔を図形として切り出せば壷は背景として存在を消すように。

もの=図形=個性=本質

ものは、世界というひとつの全体から、ある図形として切り出されることで存在として認識されます。
この図形の個別性(かたち)が個性であり、その図形の個性を言葉で表現したものが、「本質」です。
本質とは、そのものを成立させるために重要な特質のことを言います。

ハクチョウという個性(図形)の本質は、「白い」「鳥」ですが、それではツルだとかペリカンだとか色々いますので、「カモ型」のと追加します。
しかし、それではアヒルとの違いが区別できないので、「首の長い」と付けます。
さらにそれではガチョウとの区別がつかないので、「コブのない」と付けます。
世界という大きなひとつのものから、「ハクチョウ」という個性(図形)を浮かび上がらせる本質とは、「コブのない首長の白いカモ型の鳥」となります(厳密に言うと長くなりすぎるので、カモ型とアバウトに述べました)。

本質も外側によって支えられている

これは上のルビンの壷の形が、壷(内)を描きながら生み出すことも、人間の顔(外)を描きながら生み出すことも出来るように、ハクチョウの本質もすべて反対にひっくり返して表現することが出来ます。
「白い」はその他のものとの比較によって「色のない(モノクロ)」かつ「黒でない」かつ「グレーでない」と表現でき、「鳥」は他の生物との比較において「哺乳類でない」かつ「魚類でない」かつ「両生類でない」…というように、「~ない、~ない」づくしで、外側からその個性を描くことが出来ます。

深海魚がその身体を周りの水(背景)によって物理的に支えられていたように、「ハクチョウ」という概念も、その背景(ハクチョウでない概念たち)に支えられながら形成されているということがよく分かります。

ひとつめのまとめ

いったん、まとめます。
世界という全体から、ある形のものを切り取り、図形(主役)と地(背景)という二つのものに分割することによって、「あるもの」という存在が生まれます。
その「あるもの(図、主体、自己)」は、「あるものでないもの(地、客体、他者)」と表裏一体のもので、「あるもの」の本質とは、その主-従(図-地、自己-他者、主体-客体)の中間のハイフン(-)である薄い膜の中にあるということです。
あるもの(存在)の本質とは、その中間項(-)「つながり(関係性)」そのものの中にあるのであり、決して単体で実在するものではないと言うことです。

(2)へつづく