プラトンの『ゴルギアス』(5)終幕

哲学/思想 社会/政治

 

(4)のつづき

 

終幕(507d~527e)

ソクラテス
私の述べたいことは以上になる。
賢者たちの言うところでは、天も地も、神も人も、すべてを結びつけるものは秩序や節度なのだ。
なぜ彼らが宇宙をコスモス(調和、秩序)と名付けたか分かるね。

カリクレス
ああ。

ソクラテス
また、君の言うように「不正を受けないこと」を望むなら、必然的に支配者や独裁者の側につかねばならない。
しかし、支配者は自分より優れた者を恐れ、排除しようとする。
あくまで自分の行動や考えに近い者や従う者だけを仲間にする。
支配者と親しくなれるのは、不正を行う彼らと似た品性を持ち、かつ隷属することに何の抵抗も感じないような主体性なき人間だけなのだ。

不正を受けることを恐れる少年は、若い時から支配者と同じものを喜び同じものを嫌うように自らを習慣付け、自分という人格を捨て支配者と同一化しようとする。
確かにそれによって「不正を受けないこと」という目的は達せられる。
しかし、「不正を行わないこと」は達成できないどころか、むしろそれを率先して行い支配者の色に合わせることでしか、自分の地位を確保できなくなる。
「不正を受けない」と言う目的は、やがて「不正を行う」という目的にすり替わる。
結局、それは私の言う最大の害悪(不正をする醜い心)に自分で自分を陥れることであり、不正を受けることを恐れるあまり、自分の心を殺してしまうことになるのだ。

カリクレス
何度も言わせてもらうが、あなたのような生き方をすれば、必ず彼らに殺されるだろう。
この忠告だけは、神に誓って、決して間違いではない。
身体を殺されるくらいなら、心を殺した方がまだマシなのではないのか?
だから私はあなたに弁論術を習えと言うのだ。

ソクラテス
人間の努力は、ただ長く生きながらえるためだけに向けられるべきものではないのだよ。
悪い心を持ったまま長く生きながらえるよりも、善い心を持ち、潔く生き潔く死んだ方がマシではないか。
どれだけの期間生き長らえられるかに汲々とし、くよくよ惜しみながら生きるよりも、死の定めや運命の神を信じてそれに任せ、その定めの期間をいかに善く生きるかに一生懸命になることこそが、真の男子たる者の仕事なのだ。

自分がたまたま住んでいる、世界の片隅の政治形態や支配者の生き方に自己を同化することが、最上の生き方であろうか?
もっと大切なものが他にあるのではないだろうか。

カリクレス
あなたの言うことには、確かに人を肯かせる何かがある。
しかし、私の本音といえば、多くの人々と同じように、やはりあなたの意見を承服することはできない。

ソクラテス
それは弁論家としての君の心の中にあるデモス(民衆)への迎合が、真実を見ることの邪魔をしているからだよ。
素晴らしい知識を持つ君が、徹底的にこの問題を私と共に考察し続けてくれたなら、きっと私たちの意見は一致するだろう。

カリクレス
私の述べることは理想ではなく現実なのだよ、ソクラテス。
あなたが述べる醜い心の下賤でつまらない連中に、あなたはいずれ処刑される。
まるでそれを信じてくれていないようだが、私が語るのは現実なのだよ。

ソクラテス
それは十分予期もしているし、覚悟もしている。
なんら意外なことではない。
苦しみを与える良薬よりも、快楽を与える麻薬の方に大衆は惹かれる。
支配者らは言うだろう。
「皆さん!ソクラテスという男は、子供や病弱な者たちを捕まえては、ナイフで切ったり焼きゴテを当てたり(手術のこと)変なものを飲ませ無理にひもじくさせたりベッドから出られなくします(投薬のこと)。私の方は、さんざんご馳走と快楽を提供してきたと言うのに、こんな男を放っておいてもよいのでしょうか。私たちは彼を告発し、処刑すべきなのです!」
私が治療を施した者たちが元気になって法廷へ戻ってきて、私の無実を証言してくれる頃には、私はもうこの世にはいないだろう。

もし、私の死が君の言うような弁論(おべっか)術の不足によるものなのなら、私は何の悔いもなく平然と死に臨むだろう。
死などというものは、臆病で無知な男でもなければ、何ら恐がるものでもない。
本当に恐ろしいのは、不正を犯したり、魂を損ねることの方なのだから。

[この数年後、カリクレスの予言通り、ソクラテスは告発され処刑されます。]

 

おわり

 

※最後に小さなおとぎ話(ミュートス)が語られますが、割愛します。また、最初にも書きましたが、あくまでこれは本書の内容を対話風にまとめただけであって、抄訳でも編集ものでもありません。