<第三幕、対カリクレス戦(481c~507c)>
カリクレス
ちょっと待ってくれ、ソクラテス。
あなたはそれを本気で言っているのか?それとも何かの冗談か?
われわれ人間の現実の生き方は、あなたの言う生き方とは正反対のものではないか。
ソクラテス
私は論理的な帰結としてこういう意見を導いたのだよ。
もし反駁するなら、世間一般の意見の合唱で掻き消そうとするのではなく、純粋にその哲学の誤りを論証してくれたまえ。
カリクレス
なんとも得意になってまくし立てる姿は、あなたの難じる雄弁家そっくりだな!
まず、ゴルギアスは世間の目を気遣って、「正義についても教える」と心にもないことを述べ、そこを突かれた。
ポロスも同様に、本音を述べることを恥じて、「不正を受けるよりも加える方が醜い」などということに同意してしまった。
人間は羞恥心や世間の目に負けて、本音を言う勇気を持てないならば、必ずその言動に矛盾が生じる。
ソクラテス、あなたは真実を追究すると言いながら、そういう人の弱みにつけこむ方法で、相手の言説に矛盾を生じさせ勝とうとする、卑劣な人間なのだ!
自然本来の法則と社会における法はまったく別のものなのだよ。
自然本来の性質からして、不正を身に受け身体や財産を損ねることは、自然の生命力を減じる醜いことでしかない。
しかし、社会的な法習慣においては、不正を加えることが醜いとされる。
ソクラテス、あなたはこれらの違いを分かっていながら、議論の中で巧みにすり替え、ポロスをやりこめた。
社会の法の制定者とは、世の大半を占める弱者共であり、自分たち弱者の身の安全と利益をはかる為に法律を作ったのだよ。
本来の自然の中で強い者や有能な者を去勢するために、社会の法や道徳の名の下に、過度な所有や不平等は不正であり、エゴや暴力は悪いものだと決めたのだ。
劣等な弱者どもは社会が「平等」であることによって、強者が本来持つべきものから分け前を得、満足するのだ。
しかし、自然本来の法においては、強さ、有能さ、豊かさ、そういうものが正義であることは、自然界を見れば分かることだ。
自然の法において王者であるライオンを、社会の法は小さな頃から飼いならし、やれ平等を守れ、やれ大人しくしろ、それが正義で美しいと言って型にはめ、子猫のようにしてしまうのだ。
そんな奴隷の頸木から、自然本来において王であった強者を解放し、自然の正義を回復しなければならないのだ。
これが世界の真実の姿なのだよ、ソクラテス。
いつまであなたは哲学などという下らないものに浸っているのだ。
確かに若い頃にはそれなりの効用もあろう。
しかし、いい年をしてまだ哲学などにふける者は、現実社会の中で生きていくためのスキルを磨く時間を失い、せっかくの素質を潰してしまうのだ。
社会常識、コミュニケーション能力、様々な快楽の経験、そういうものを持たず、社会の中でまったく通用しない木偶の坊に成り下がるのだ。
私も哲学の重要さはよく理解している。
しかし、時節をわきまえないあなたの姿は、まるで赤ちゃん言葉をしゃべる大人のように奇妙なのだよ。
こんなことを言うのも、私はあなたにある種の敬意を持っているからなのだ。
せっかく人よりはるかに優る才能を持ちながら、無駄にしている。
そして、きっといつか誰かがあなたを無実の罪で死刑に追い込もうとするだろう。
しかし、今のあなたの力(哲学)では、我が身を守ることも、無実の仲間を助けることもできないだろう。
そんなものが果てして「知恵」などと呼べるだろうか?
ソクラテス
君と出会えたことは、なんと幸運なことだ。
互いの言動を吟味するためには三つの素養がいるが、君はすべてを持っている。
当然必要な能力である「知識」。
相手を本当に思いやる「好意」。
本当に思うことをきちんと伝えられる「素直さ」。
たしかにゴルギアスは相当な知識を持っていたが、君ほどの好意、そして何より本音を語ることをしなかった。
私の魂が本物の黄金か偽金かが、君という試金石を通してはっきりする。
それでは、問答をはじめようか。
カリクレス
ああ。
ソクラテス
君はいま、強い者、力のある者、優れた者を、同じようなものとして語ったが、これらは同義だろうか。
カリクレス
同じだ。
ソクラテス
自然において、一人(匹)の人間(動物)より多数の人間(動物)の方が強いはずだ。
そして、君が言うには、多数者が決めたのが社会の法であると。
さらに強い=優れたであるなら、多数者(強者)の法はすなわち優れた法であり、社会の法は自然本来の法においても立派なものとなる。
そうすると、平等を守ることや、不正をしないことが、単なる社会習慣ではなく、自然本来においても立派な(美しい)ことになる。
君は私が自然の法と社会の法を混同させると言ったが、これらは同じものであるという帰結になる。
カリクレス
ああ、あなたはまた言葉尻の些細な誤りをつかまえて大仰な問題にしようとする!
能力のない烏合の衆が集まったところで、有能な一人より強いとでも言うのか。
格闘家としても有能なあなたが、無能な幼児1000人と格闘しても負けはしまい。
ソクラテス
そう言うと思っていた。
では、一人でも思慮深い有能な者がいれば、思慮のない無能な無数の人間の上に立ち支配する。
それが強者であり優者であると言うのだね。
カリクレス
そう。
私の言う自然の正義とは、優れた人間、思慮ある人間が、凡庸な下らない連中を支配し、彼らより多く持つことだ。
その内容も寝食のような凡庸で下らないものではなく、ポリス(国家)についての深い思慮、それらを具体化する実行力やくじけない勇気、そういうものを備えた強者、優者が、支配者として君臨し、被支配者たちより多く持つ権利を与えられるのだ。
ソクラテス
では、自分自身に対してはどうなのかね。
他人を支配するように、自分を支配することもできるのかね。
カリクレス
あなたは何を言っているのだ?
ソクラテス
そんなに難しいことではない。
克己のようなものだよ。
自己の内にある様々な欲望や快楽に打ち勝ち、支配する者のことだよ。
カリクレス
なんという冗談を!
無能で間抜けなお人好しを、あなたはそんなに良い風に言うとは!
ソクラテス
なぜだね。
カリクレス
はっきり言ってやろう。
人間の正しい生き方とは、欲望を解放し、それを有能さ、勇気や思慮によって最大限にまで増幅させ享受することだ!
無能な弱者どもはそれが出来ないからこそ、有能な者を非難することで自分の無能を覆い隠し、欲望や放埓を醜いことだと罵り、欲望を抑える節制などを美化し正しいことだと言う。
しかし、結局のところ、こんな奴らは、欲望に従う勇気もなく、実行する能力も思慮もない、無能なバカの集まりなのだよ。
ソクラテス、あなたは真実を追究すると言う。
ならば、欲望と放埓それを獲得する力こそが人間の徳であり幸福、反対に、上品ぶった卑屈な奴隷根性の節制や道徳こそが人間の不幸、この事実をしかと見なければならない。
ソクラテス
君はいかにも徹底している。
常人であれば、世間を怖れ、口に出すことの出来ないことを、見事にぶちまけてくれる。
ならば、私からもお願いしておこう。
その徹底的な追求を最後まで貫き通し、人間がいかに生きるべきか、最後の答えが出るまで、私との問答に付き合っていただきたい。
カリクレス
ああ、いいとも。