プラトンの『ゴルギアス』(2)ポロス編

(1)のつづき

ポロス
どちらにしろ、独裁者のような力を持つ彼らを羨ましいとは思わないのですか?

ソクラテス
惨めな人達に対しては、羨みではなく、憐れみが必要なのだ。

ポロス
憐れなのは、不正に死刑に追い込まれ死んでいく者の方でしょう!

ソクラテス
不正に死刑を加えた者よりはましだよ、ポロス。

ポロス
では、あなたは他人に不正を加えるより、自分が不正を受ける方がよいと言うのですか?

ソクラテス
そういう状況になるのはもちろん嫌だが、どちらかを選ばなければならないとすれば、不正を受ける側を選ぶ。
少なくとも、君の言うような独裁者には成りたくはない。
例えば、君がそういう独裁者のような力を持ったとして、手当たり次第に気に障る者を殺すだろうか?

ポロス
いいえ。
そんなことをする者は、必ずいつかやられます。

ソクラテス
これで分かると思うが、思い通りに振舞うことが善いのはその人の身のためになる時だけなのだよ。

ポロス
たしかにそうです。

ソクラテス
そして私はこう考える。
その人のためになるのはその行為が正(正義)にかなうときであり、身のためにならぬのは不正を行う場合である、と。

ポロス
そんなばかな!
むしろ世の中は、不正な者が幸福を享受し、正しい者が不幸になるのが常でしょう。
そんな証拠はそこかしこに転がっている。

ソクラテス
しかし、その不正を行う者が処罰されたり復讐された場合にはどうか。

ポロス
そんなことになれば、とてつもなく不幸です。

ソクラテス
すると君の意見は、不正を犯しながら罰を受けない時こそ、幸福であるということになる。
しかし、私は逆に、不正を犯しながら罰も報復も受けない時こそより不幸であり、罰を受ける人達の方がまだましだと言おう。

ポロス
ははっ、なんて珍妙な。
不正を暴かれ拷問を受け、身体を切り刻まれ目玉をえぐられ家族ともども火あぶりに処されるのと、不正がばれないまま王位に就き何不自由ない人生を送るのと、どちらが幸福かは誰でも分かることでしょう!
ここに集まって居られる方々に訊ねてみてください。

ソクラテス
いかにも弁論家らしいやり方だね。
しかし、私は聴衆の感情を脅しつけたり、票を集めたりすることには何の興味もない。
いかに目の前の対話者である君一人を、こちらの意見の支持者、証人にできるかだ。
ここで君に問うが、不正を加える側と加えられる側、どちらが醜い者だろうか。

ポロス
もちろん加える側です。

ソクラテス
醜いものは悪いもの、美しいものは善いものだと、君は思わないかね(ここで使われるギリシア語の「美しい」は語義的に「立派な」という意味が含まれます)。

ポロス
思いません。
「美醜」と「善悪」は別のもので、つながりはありませんから。

ソクラテス
例えば、身体が美しいと言う時は、それが有用で機能的にうまく働いている時、あるいはそれを眺める者に喜びを与えるようなある種の快楽がある時だ。
美しい(立派な)ものとは、何らかの有益性、何らかの快楽、あるいはその両方を持つもののことではないかね。

ポロス
すぐれた美の定義だと思います。

ソクラテス
では、美しさの反対である醜さの定義は、何らかの有害性と苦痛をもたらすもの、ということになる。

ポロス
同意します。

ソクラテス
先ほど、君は不正を加える方が受ける方より醜いと言ったが、そうなると不正を加える方が「有害さ」か「苦痛」のどちらかあるいは両方の面において、受ける方より多く持つことになる。

ポロス
そうなりますね。
しかし、「苦痛」の面においては不正を加える者の方が苦痛が多いなどということは、決してありえません。

ソクラテス
ということは、残るのは「有害さ」の面だけということになる。
つまり、不正を加える者は受ける者より、より「醜く」より「害悪」である。
そんなものを君は選ぶのかね。

ポロス
・・・。

ソクラテス
さて、では本題に戻ろう。
不正を犯し罰を受けることは最も不幸だという君の意見と、不正を犯して罰を受けない方がもっと不幸だという私の意見、この対立を検討してみよう。
懲らしめ方を誤らなければ、罰を受けるということは不正を正す正義を受け取るということだ。
先ほど君が不正より正の方が美しい(立派)と述べたように、罰を受ける者はそれによって、より正しく美しくなるということになる。

ポロス
ええ。

ソクラテス
とすると、罰を受ける者は、罰によって有益なものを得る。
私が思うに、ここで受け取る有益さとは、心(魂)が前よりも優れたものになることであるはずだ。
罰を受ける者は心の欠陥から救われる。
「財産と、身体と、心」という人間の大きな三つの要素において、それぞれ対応する悪い状態とは「貧乏、病気、不正」だ。
しかし、この中で最も醜いのは心の劣悪さではなかろうか。

ポロス
まったく、その通りだ。

ソクラテス
先ほどの美醜の定義および不正における苦痛の考察に従うと、最も醜いものは最も害悪になるものである、ということになる。
したがって、心の劣悪さは人間にとって最悪なものであることになる。

ポロス
ええ。

ソクラテス
人を貧乏から解放するのは金儲けの術、病気から解放するのは医者(医術)、では不正から解放するのは何かね。

ポロス
不正を犯すものがいれば、裁判官の下へ連れて行きます。

ソクラテス
司法(正義)において懲らしめるためだね。

ポロス
ええ。

ソクラテス
ところで、身体にせよ心にせよ悪い状態である二者、治療を受けてその悪から解放される者、治療を受けず悪いままでいる者、どちらが惨めだろうか。

ポロス
もちろん、治療を受けない方です。

ソクラテス
けれど、治療を受ける必要のない、元々心や身体に悪いものを持たないことが、最もよい事なのではないかね。

ポロス
ええ。

ソクラテス
と、いうことは、幸福な順に並べれば、心の中に悪を持たない者、心の中に悪を持つが治療する者、心の中に悪を持ち続け解放されない者、ということになる。
この一番不幸な者とは、最初に君が幸福だと言った「不正を犯しながら罰を受けない者」ではないかね。
巧妙に立ち回り、不正によって成り上がった独裁者や弁論家や権力者たちのような。

ポロス
そういうことになります…。

ソクラテス
結局、そういった連中がやっていることは、大きな病気にかかりながら、治療という一時的な苦痛や恐怖から必死で逃げようとしている子供ようなものではないかね。

ポロス
そう見えます。

ソクラテス
そうしたことが起こるのは、子供が医術の重要性を知らないように、彼らが司法の罰の一過的な苦痛の面ばかり見て、その先にある有益性に関して無知であるからだ。
彼らは治療の苦痛から逃避するために、ありとあらゆることを画策し、金や権力や仲間を用い、弁論術で騙そうとする。

ポロス
ええ。

ソクラテス
これで私が最初に言っていたことの方が真実であったことの証人に、君はなってくれるね。

ポロス
そうならざるをえません。

ソクラテス
そもそも一番気をつけるべきことは、心の中に不正の芽が出ないようにすることであり、第二にもし不正を犯してしまったら自ら進んで治療へ向かうことだろう。
君が最初に言ったような使い方、弁論術が不正を覆い隠すための方法になってしまってはいけないのだよ。
弁論術が役に立つのは、不正を告発しそれを明るみに出すために用いられる時なのだ。
治療という苦痛から逃げる者に対し、勇気を持ってその苦痛に立ち向かい、最大の悪である不正から解放され、心の健康を回復させるためにこそ、弁論術は必要なのだ。

ポロス
不思議な話ですが、確かにその通りです。

(ここでカリクレスが割り込んでくる)

(3)へつづく