絵の上手さの種類

芸術/メディア

上手さの比較

同じカテゴリーの上手さであれば、ある程度比較できますが、カテゴリーが異なると、比較不能になります。
例えば、Lv2.を中心にした上手い絵(画像上、デイビッド・マルケス)と、Lv3.+ Lv4.を中心にした上手い絵(画像下、歌川国芳)では、比較のしようがなく、どちらも戦士として非常に上手く描けています。


Lv1.西洋的写実やLv2.デッサン(パースの正確な絵)などまったく知らない浮世絵師は、Lv3.デザイン力とLv4.個性の表現力で、アメコミの上手さを圧倒しています(注3)。
最初に述べたように、これらに優劣をつけることは、マラソン選手とウエイトリフティングの選手の運動能力に優劣をつけるのと同じくらい無意味です。

[※注3、厳密に言うと国芳個人の個性というより文化的様式-集団的個性-ですが、西洋的写実を客観と定立した上で、その対立枠として個性(主観)的としています。]

上手さの相性

これら上手さの間の相性は、概ね以下の図ようになります。
数字はレベル(Lv)、◎は強い協力関係、○は協力関係、△は状況により協力関係、妨害関係に分かれるものです。

ー、1、2、3、4
1、ー、◎、○、△
2、◎、ー、○、△
3、○、○、ー、○
4、△、△、○、ー

LV1.Lv2.Lv3.は、それぞれ協力関係にあるので、三つすべて獲得してもよいのですが、問題となるのはLV4.とLV1.Lv2.間の関係(△)です。
LV1.Lv2.は主観(個人)的な認知の歪みを除去し、客観的に世界を認識する作業です。
しかし、主観(個人)的な認知の歪みは、個性に直結するものであるため、個性の種類によっては、LV1.Lv2.写実デッサンが、LV4.個性表現としての絵の上手さを殺してしまう可能性がでてきます。
この辺を詳細に見ていきます。

個性表現(LV4.)の種類とデッサンとの相性

まず、個性は形成過程によって二種類に分けられます。
A.自然と生成したものと、B.選択的に獲得されたもの、です。
分かりやすく喩えると、「A.東北弁がチャームポイントの生粋の東北出身のタレント」と、「B.普段は標準語を話すが、流行に合わせて東北弁キャラを演じている器用なタレント」です。
説明の為に戯画的に二極化すると、A.の画家がアンリ・ルソー、B.がパブロ・ピカソです。
よく言われる、素人画家ルソーと本物の画家ピカソという対比はおかしく、どちらかというと本物の画家はルソーで、ピカソは絵の上手いビジネスマンです。
ちなみにピカソは小学生の段階で、デッサンの技能を習得しています(下図)。
選択的に画風をコロコロ変えられる模倣能力の基礎です。

A.自然な個性では、デッサンが有害になる可能性(注4)があり、B.選択的個性では、デッサンが有益に働きます。
A.においては、デッサンの客観性によって個性(主観)的な素地が漂白され、失われます。
B.においては、デッサンの客観性によって素地が中性化し、どんな仮面もかぶりやすくなり、デッサンの模倣能力によって、どんな仮面でも作れるようになります。

A.とB.を比較すると、以下のような特徴があります。
A.は個性を変えにくいので、時代のニーズに応えられず、偶然時代が噛み合うのを待つか、見付けてもらうのを待つか、おらが村の村おこしのように、自己の作風の素晴らしさを自らプレゼンするしかありません。
B.は、自由にキャラ変ができるので、時代のニーズに応えられ、人気作家であり続けることができますが、失敗すると作家としての自己同一性を失う危険があります。

[※注4、自然と生成した個性(A.)を、宝石の原石に喩えるなら、熱処理やカットなどの加工でよりその魅力が増す宝石と、加工を加えると魅力が減ずる宝石(例、ターコイズ)があります。
デッサンがその加工処理の一つの方法として生きる場合と、宝石を壊してしまうパターンがあるということです。]

まとめます。

・既に自分の内に原石(個性)を持っており、かつ写実の加工が不要なタイプの宝石である場合→デッサンは有害

・既に自分の内に原石(個性)を持っており、かつ写実の加工によってより輝く宝石である場合→デッサンはある程度有益(最適な程度で、やりすぎは禁物)

・自分の内に魅力的な原石が見当たらず、ただの既成概念の砂利で埋め尽くされている場合→デッサンは有益、砂利を取り除くための作業として(時々、その過程で奥の方の原石が見つかることがある)

・Aタイプの純粋な画家ではなく、Bタイプの人気画家になりたい場合→デッサンは有益

目的に合わせた絵の勉強を

肖像画家になりたいなら主にLv1、アメコミ作家になりたいなら主にLv2、ファッションイラストレーターになりたいなら主にLv3、ファインアート(芸術絵)であれば主にLv4というような感じで、目的に合わせた絵の上手さを獲得する必要があります。
当たり前すぎることなのですが、絵描きはこの辺に関して無自覚な人が多く、努力が実を結ばないというパターンに陥りやすいのです。
マラソン選手がハードな筋トレをして肉の鎧(重り)をまとっていれば、本人も周囲も無益なことしてると簡単に気付きますが、絵の場合、そういう手段と目的のズレを、本人も周囲も気付くことができません。
理論的に成熟したプロスポーツの世界と異なり、絵の場合、絵の教師自体が学習プロセスや学習法の意味を理解していない人が多く、ほぼ儀式化しているので、鵜呑みにするのはかなり危険です。
「技術は長く、人生は短い(Art is long,life is short.)」ので、技術習得の時間(努力)に対し、常に意識的である必要があります。

 

おわり