ラザルスの『ストレスの心理学』(1)認知的評価

心理/精神

第一章、ストレスの概念

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第二章、認知的評価

一節、評価概念の必要性

環境からの刺激に対する人々の解釈は異なり、その反応の仕方には、個人差やグループ差があります。
ある侮辱行為に対し、怒るか、気にしないか、憂鬱になるか等の反応は、人により異なります。
同じような外的条件下における各個人の反応の多様性を理解するためには、出来事と反応の間に介在する「認知的プロセス」を考慮しなければなりません。

生存のために環境の危険性を区別するという生物の基本的な機能は、人間の脳の進化においてより高度で複雑な象徴的認知プロセスによる区別(評価)として働くことになります。
勿論、これは一方的なものではなく、実証主義的な環境からの影響と、人間の認知的側面の双方が交差する、相互作用的なもの(環境×心理=心理的状況)です。
「人間は環境の関数であるが、より重要なのは、状況の認知的構成、状況の選択や修正を通して、環境も人間の関数であることである(Bo Ekehammar)」

二節、ストレス理論における認知的評価

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三節、認知的評価の分類法

評価には、それが現在あるいは未来において有害か無害かに関する評価「一次的評価」と、何が危うくなっており何ができるかに関わる評価「二次的評価」があります。
一次二次と言っても、重要性や時間的先行性を示すものではなく、便宜的な分類です。

・一次的評価

「一次的評価」は、A.無関係、B.無害-肯定的、C.ストレス評価(ストレスフル)、に分かれます。

A.無関係
例えば、物音を立てると飼い犬は耳を立てこちらを見ますが、何もないことが分かると、同じ音(刺激)に対し反応しなくなります。
必要や願望に応じた行動を為すために、それと関係のあるものと無関係なものとの区別(評価)が生じます。

B.無害-肯定的
その事物が肯定的(無害)であり、良好な状態を強化、維持するものであるという評価です。
安心、喜び、幸福、愛情などの快の情動の比率が大きくなります。

C.ストレス評価(ストレスフル)
ストレス評価はさらに三つ(害-喪失、脅威、挑戦)に分かれます。
1.それによって既に損害が生じてしまっている「害-喪失」。
2.未だ生じていないが、将来において害-喪失が予測される「脅威」。直面する事態の有害な面に焦点が当てられており、恐怖、不安、怒りのような否定的な情動で色付けられる。害-喪失と異なり、予測的計画的に対処努力が可能。
3.脅威とは反対に、直面する事態のうちの利得や自己の成長可能性などの有益な面に焦点があてられた「挑戦」。
挑戦の定義は、「習得や利得の機会が優勢であり、同時にある程度のリスクが含まれているストレスフルな評価」です。
熱意、興奮、陽気などの肯定的な情動に色付けられ、未来に対する計画的な対処努力が必要な点では脅威と共通する。

「脅威(認知的要素-有害、感情的要素-否定的)」と「挑戦(認知的要素-有益、感情的要素-肯定的)」は、相反する排他的なものでも、連続体の両極でもなく、同時に起こりうる独立的なものです。
例えば、仕事での昇進は、挑戦と驚異の両方を同時に生じさせます。
この関係は状況に応じて変化するものなので、認知(捉え方)や環境を変える努力によって、脅威中心の評価を挑戦中心の評価へと変化させることもできます。
脅威に比べ挑戦は、社会的適応面において生産的に働きます(意欲と機能の向上、感情的及び身体的健康の増進)。

・二次的評価

「二次的評価」は、一次的評価によって得られた危険性に対し、その対処方法(一体何ができるか)を判断するものです。
可能な対処法の選考、効果的な戦略、遂行可能性の見積もり、効力感の推量、内的要求・外的(環境)要求に従う行動と現実の結果との調停、等に関わる評価を伴う複雑なプロセスです。

ストレスの程度および情動的反応の強さや内容は、単に一時的評価によって生ずるものではなく、二次的評価との相互関係によって決定されます。
例えば、ストレスの程度の場合、二次的評価(対処)が厳しいものであれば、その無力感はあらゆる一時的評価(対象)をストレスフルなものにてしまいますし、反対に一次的評価(対象)が厳しいものであれば、二次的評価(対処)に関わらずストレスフルなものとなってしまいます。
情動反応の内容に関しても、認知的評価(一次的評価×二次的評価)を通して生ずるものであり、結果としてあらわれる特定の情動から、特定の評価パターンへを逆算して導出することが可能です。

・再評価
「再評価」は、新しい情報に基づき、評価が変更されることです。
人間と環境の相互作用を媒介するものが認知的評価のプロセスであり、このフィードバックの連続によって、刻々と評価や反応(情動や行動)は変化していきます。
例えば、最初の評価で生じた私の情動反応(例-怒り)による周囲の状況の変化(例-人々からの非難)で、評価が変化し(再評価)、新たな情動反応(例-罪悪感)が生じたりします。

特にこの再評価が、防衛機制的な認知的対処努力の結果である場合は「防衛的再評価」として区別されます。
内的な欲求によって、強迫的、矛盾的で、評価内容と現実のギャップが伴う、防衛機制的な再評価です。
例えば、過去を現在の都合に合わせて再解釈したり、現在の害や脅威を最小限に評価し直したりします。

四節、認知的評価の研究

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五節、認知的評価の現象学的性質

状況が曖昧であったり、その人に強い心理的障害が生じている時などは、主観的要因が認知を強く歪めますが、状況が明確である場合、客観的環境の知覚や評価に個人差が出ることは少なくなります。
認知的評価とは、あくまで環境的要因(客観)と人格的要因(主観)の相互作用によって生じるものであり、人と環境の関係(認知的評価プロセスという媒介)にスポットをあてるものです。

六節、傷付きやすさの概念

「傷付きやすさ」は認知的評価と密接に関連します。
対処する資質(適応に必要な身体的・心理的・社会的資源、装備)が欠如している場合に、人は脆くなります。
しかし、ストレスを決定するのは、単純に資源の欠如や弱さだけではなく、対象へのコミットメントととの相関関係によるものです。
例えば、ダンサーにとって足首の捻挫は舞台出演に関わり(コミットメント)仕事の断念と結びつく大きな脅威ですが、事務職の人にとってはあまり関わりがなく脅威とはなりません。

七節、無意識の問題

認知的評価のプロセスは、意識に限定されるものではなく、無意識についても考慮する必要があります。
評価というと、意識的、理性的なものと考えられやすいですが、人は評価の基本的要素を自覚せずに判断している場合も多々あるということです。
危険によって脅かされる価値やその基盤となる目的を知らず、あるいは内的要因や環境的(外的)要因を知らずに、脅威が評価されていることがあり、時に脅威が評価されている事すら自覚されていないこともあります。

評価の概念は、深層心理学や精神分析の理論と統合可能です。
コンプレックスや無意識の存在が思考や情動や行動に与える影響を考慮することにより、複雑な人間の問題が扱えるようになりますが、これに倣い、認知的評価のプロセスも意識的で表面的で容易なものに限る必要はないということです。

第三章、評価における人的要因

本章では、認知的評価において最も影響の強い要因である「人的要因」を考察します。
人的要因の中でも特に評価にかかわる「コミットメント」と「信念」という二つの人的特性についてです。

一節、コミットメント

コミットメントは、選択の際の基礎となるものであり、その人自らの内にある価値や理想を維持し目的を達するための行為選択の羅針盤となります。
コミットメントは、何が重要であるかの表現でもあり、その人にとって大切なもの、意味あるもの、賭けられているもの、関心となっているものをあらわしています。
コミットメントは複数のメカニズムで評価を決定します。

・その一
コミットメントはその人の状況を意味付け(いわゆる価値観)、その利害関心に従う評価によって、自身を動かします。
例えば、勝利を目指してコミットする競技者は、他の人が避ける苦しい行動(練習)をなし、他の人が望む楽しい行動(遊興)を控えます。

・その二
コミットメントは刺激に対する感受性を形成することによって、評価に影響を与えます。
これは意識とは異なるレベルで反応し、その環境において何処を重視し、何を手掛かり(導き)とし、刺激として捉えるかの、半ば自動的な機能です。
例えば、良い成績を取ることにコミットしている生徒は、それに無関心な生徒と異なり、自動的に先生の表情(刺激)に過度に敏感になります。
反対に、抑うつ状態の無関心は、圧倒してくる刺激から感受性を解放すために為される正常な働き(重すぎるコミットメントの解除)です。

・その三
コミットメントはその強さ(深さ)に伴う心理的な傷付きやすさを通して、出来事の害や脅威などのストレス評価に影響を与えます。
コミットの強さは潜在的脅威や害を大きくしますが、同時に、それによって生ずる「傷付きやすさ」が、対処努力を持続するよう促す働きをします。

コミットの程度が強くなればその分脅威は増大して人は傷付きやすくなり、コミットの方向性はその人が何に対し脅威を抱き傷付きやすくなるかのコンパスになっているのです。
「コミットの強さ」と「そのコミットに対する結果」の二項の組み合わせで人を分類した場合、「コミットが強く」かつ「結果が悪い」カテゴリーに属する人は、現実的に心身が脆くなる傾向にあり、病気の可能性を増大させたりします。

脅威を増大させるものは、個人のコミットの強さだけでなく、そのコミットの社会的な共有という要素もあります。
例えば、「私は医者になる」と皆に公言した場合、単なる個人の意志より大きな脅威と拘束をもたらすことになります。

コミットメントが作る「傷付きやすさ」は、人を対処努力へと突き動かします。
コミットの強さは努力量を決定し、障害に立ち向かい目的に向かって進むという、人間の機能を保持します。
例えば、重い病気において、諦めることなく困難な状況や辛い治療に耐え抜こうとする「生きようとする意志」を形成する人は、何らかの強いコミット(家族の幸せ、未完の仕事、勝利など)を持っています。
ナチスの収容所から生還した人の多くが何らかの個人的目的(家族の為、復讐の為、証人となる為など)、いわばコミットメントを有していたという事実もこれを支持しています。
行動の誘因を決定するものはコミットメントであり、目的や意志が無かったり不完全であったり抑圧されていたりしていてコミットが弱い場合、誘因の量は行動に影響を与えることはありません。
いかにお金を積もうが、お金に関わる誘因に対してコミットしていない人を動かすことは出来ません。

まとめると、コミットメントは、ストレスの重要な決定要因なのです。
状況の意味を定め、出会う事象に優先順位をもたらし、害や脅威などに対しての感受性の基準となり、対処努力の動機と行動を生じさせます。
コミットメントのパターンを知ることにより、その人が、どのような状況でどの程度傷付き、脅威あるいは挑戦を感じるかが予測可能になります。

二節、信念(Beliefs)

「信念」とは、個人的あるいは文化的に有する、認知におけるベースとなる形態(枠組み、構え、図式)です。
客観的な現実の対象(物・事)を、信念という主観のレンズを通して意味付け解釈し、その人が所有する世界を形成します。
信念は基本的に暗黙のレベルで機能し、外界の事象の認知を形成するため、その評価への影響が見え難くなっています。
しかし、ある信念を失ったり獲得したり、信念の体系に大きな転換が生じた時など、急な変化が生じた場合、評価への影響も顕著に現れます。
希望と絶望が反転したり、有害(脅威)と無害が入れ替わったりします。
信念の変化の差が大きいほど、評価の変化も大きくなります。
この大きな内的変化は当の本人にも気付かれ、その個人の外界とのかかわり方の大きな変化を通して、周囲の人々にも気付かれることになります。

例えば、ある新興宗教に入信し、その集団の信念体系を共有させられると、その人のコミットメントや目標や価値は、大きく転換します。
あらゆる事象はその新興宗教の信念を核としてつながれ、両親は愛すべき者から敵対する者となり、無賃金の長時間労働を喜んで為し、人を騙しお金を集めることに何のためらいも感じなくなります。

さまざまな信念が評価に関係しますが、その中で特に重要な二つの信念「統制に関する信念」「実存的信念」について以下に述べます。

・個人の統制力についての信念(Beliefs About Personal Control)

遭遇する物事の評価がネガティブな「脅威」となるかポジティブな「挑戦」となるかは、状況に対する自身の統制力の影響があります。
自分の統制力に対する自信は脅威を減じ、不信は
傷付きやすさ(コミットメントの強さによる脆さではなく、対処能力の弱さによる脆さ)を生じさせます。
統制には、出来事や状況は自分自身の行動の結果であるという信念(内的統制)と、出来事や状況は他者や因果や運などの外的環境の必然的結果であるという信念(外的統制)がありますが、統制力は主に前者に依拠する信念です。

統制についての信念には、一、特定の文脈において個別に判断される認知的な状況的信念と、二、その人の安定した人格特性といえるような一般的な傾向としての信念(統制についての一般的信念)、があります。
状況が具体的であれば、統制可能性はその状況の特徴によって判断される部分(状況的信念)が多くなり、反対に状況が曖昧であればあるほど、統制可能性はその人の内にある「一般的信念としての統制(統制についての一般的信念)」によって判断される部分が多くなります。
この統制力の評価は、バンデューラの自己効力感と類似した概念であり、接続可能です。

出来事に対する統制能力の信念は、人的要因中心であれ状況要因中心であれ、一般的であれ状況的であれ,錯覚的であれ現実的であれ、評価の仕方や評価の結果や対処行動に大きな影響を与えます。
統制についての信念が一般的である場合は、状況のいかんにかかわらず全ての評価をそれが色付けます。
統制力の信念が小さい場合は、抑うつを伴う場合が多く、反対に大きすぎる場合は、躁状態のように見えます。

・実存的信念(Existential Beliefs)

実存的信念は、困難な状況下でも意味を創出し希望を維持する類の信念です。
神の信仰や自然の秩序や運命や愛など、人生から意味を生じさせるような根源的、全般的信念です。
例えば、ナチスの強制収容所において多くのユダヤ人が宗教的信仰によって絶望的な状況においても希望(人生の意味)を維持し、脅威を減少させたように、私たち一般人も大きな災害や大病を経験した際は、運命や自然の摂理などの概念によって経験をポジティブに意味付け、ストレスを減じます。

実存的信念は、状況の意味を定め対処努力の動機となるコミットメントにも似た概念ですが、本質的に異なります。
コミットメントはその人の好みや願望に関わる情動的で動機的なものですが、信念は真実に関わるもので情動的には中立です。
前者は主に意識的表層的な「選択」に属し、後者は無意識的深層的な認識や選択の「前提」に属します。
例えば、「世界は敵意で満ちている」「世界は愛で満ちている」などという信念そのものは、情動の傾向や枠組みを規定する前提とはなりますが、そのものとしてはあくまで中立です。
そこにコミットメントがかかわることにより、はじめて情動が成立します。
例えば、試合前にケガを負った時(勝利へのコミットメント)に、「私は世界から虐げられている」と鬱になるか、「世界は私に試練を与えた」と挑戦的になるかは、信念×コミットメントによって形成される情動反応です(世界は敵意的×怪我=鬱、世界は愛的×怪我=挑戦)。

コミットメントの多くが無意味なものとなるような危機的な状況に陥る時、その人の芯にある人生に対する信念の影響が極めて大きくなり、時に信念がコミットメントへと収斂します。
実存的信念は、芯からコミットメントや情動を支え続ける源泉となるものであり、いかなる状況でも肯定的な価値や意味を生じさせる可能性を有しています。
[やや分かりにくい概念なので、V・フランクルの著作を参考にしてください]

第四章、評価における状況的要因

単純に出来事(刺激)自体がストレスの大きさを決定するのではなく、そこに個人の様々な状況的要因がかかわることによって、バリエーションに富んだ個人差が生じます。
個人の状況的要因を検討しなければ、ストレス評価のプロセスは正確にとらえることは出来ません。
本章では特にストレス評価に影響を与える状況的要因を六つ(新奇性、予測性、不確実性、時間性、曖昧さ、タイミング)に分類し、考察します。

第一節、新奇性

新しい状況がストレス評価を生じさせるのは、それが過去の体験(損傷や利益)と関連している時のみです。
それは直接的なものに限らず、間接的な経験(見たり読んだり)や推論などによっても生じます。
例えば、漆に似た木に危険を感じるのは、以前漆でかぶれた直接経験を持つ人か、読書や観察や推論などの間接経験によってそれが害になることを知る人だけです。

新しい状況といっても、私たちは他の状況や事物との類似性によってある程度判断しますし、かなり新奇な刺激であっても、既存の図式や抽象概念や体系などの一般的知識によって意味付け理解しようします。
極端な事例を除き、人は新奇な状況の意味を推測する何らかの基礎を有しており、新奇性は単なる状況の特性ではなく、受け手との相関関係によって成立する相対的なものです。

第二節、予測性

ストレスの大きさに影響を与える状況的因子として、その予測性があげられます。
予測のつく刺激の方が、予測のつかない無警告の急な刺激より、選ばれやすい(ストレスの程度が低い)ことが動物実験によって確認されています。
予測可能な刺激の方を選ぶ理由としては、対応可能性、準備可能性がストレッサーに対する不快感を減少させるから、あるいは、危険までの安全な期間(リラックスできる期間)が与えられるから、と考えられます。
ただ、動物と異なり、心理的ストレスが中心となる人間の場合、状況をいかに認知(評価)し反応(対処行動)するかという個人差の考慮が必要となる為、人間のストレス理解としては不十分です。

第三節、不確実性

この予測性を人間の認知モデルとして発展させるために、確率の概念を導入し、「出来事の不確実性」として考察します。
確率の評価には主観的偏見や解釈が混ざる為、不確実性とストレスの対応関係は、安定したものではありません。
しかし、多くの場合、実生活上での出来事においては、半ば安定的に、最高の不確実性(50:50)は、極めてストレスフルなものとなるということです。

ある出来事が起こることを予測した対応と、起こらないことを予測した対応とでは、真逆の方法となることが多く、不確実性という状況は、これら相反する行動のコースの両方を同時に保持しなければならないという精神的混乱を伴います。
不確実性は、矛盾と葛藤を抱えた思考と感情と行動を生じさせ、終わりなき評価と再評価のプロセスの思案の中で挫折感と混沌をもたらし、予期的対処のプロセスを麻痺させます。
さらに、この決定不能の宙づり状態における強い不安の状態そのものが、認知的機能を阻害するという悪循環に陥らせることになります。

第四節、時間性

ストレス評価に影響を与える時間的要因を三つ(切迫度、持続期間、時間的不確実性)に分けて考察します。

・切迫度
切迫度とは、出来事までにどの程度の時間があるかを指し、差し迫っていればいるほど評価はより強烈なものとなります。
特に利害損失が明確となる手がかりがある場合に顕著です。
出来事に対処するための情報の収集や分析を為す時間がない場合、非常に高いレベルの心理的ストレスを生じさせ、保守的で短絡的な意志決定を為す傾向を作り出します。
反対に、出来事の切迫度が少ないと、緊急性は減じ余裕が生じ、評価のプロセスもより複雑なものとなります。
対処を考えたり状況を再評価する時間があることによって、脅威を低めストレスを小さくすることができます。
しかし、時間の経過は脅威との関わり(没頭)の程度も増やすため、この脅威への囚われがストレス反応を強めてしまうという側面もあります。
対処する時間がない場合も、長すぎて脅威に没頭してしまう場合も、共にストレスフルな状況を生じさせます。

・持続期間
切迫度が、出来事が起こるまでの前の時間であるのに対し、持続期間は、起こったストレスフルな出来事自体ががどれくらい続くかを指すものです。
持続的、慢性的なストレス状況は、セリエの適応症候群の概念(警告反応期→抵抗期→疲憊期)に従い、心身共に人を消耗させていきます。
[第一段階の警告反応期は、ストレッサーに出会った最初の緊急反応(ショック)。第二段階の抵抗期は、ストレッサーと抵抗力がバランスを取る適応状態。第三段階の疲憊期は、抵抗(適応)するためのエネルギーが消尽しバランスが崩れ、警告反応期に似た症状が再発する状態(時に死に至る)。]

その反面、慣れによるストレス反応の減少も存在し、それが、消耗によるものか慣れによるものかはひとつの問題です。
人間の慣れ(情動面)には、動物と同じ評価のメカニズム(例、定位反応の馴化)を通じて起こるものもあれば、人間特有の認知的対処行動の結果生ずる場合もあります。
慢性的なストレッサーの存在は、対処方法を学ぶ時間と再評価の機会を与えます。
新しいスキルの獲得、コミットメントの再構築、目的の変更など様々な試みが可能になります。
持続的な出来事の評価は固定したものではなく、対処行動、再評価、環境の変化、の過程の中で、刻々と変化していくということです。
ストレッサー自体の性質にそった、パターン化された影響を受けるのは、脅威の最初の段階です。

・時間的不確実性
時間的な不確実性は、「ある出来事がいつ起こるかわからない」ことを意味します。
先に述べた出来事の不確実性(「ある出来事が起こるかどうかわからない」)とは異なります。
時間的不確実性は、最初は高揚したストレス反応を生じさせますが、この覚醒状態は徐々に低下していきます。
最初の覚醒が注意喚起となり、ストレス反応を減少させる対処行動を発動するためです。
反対に、出来事の生じる時間が分かっている場合は、徐々に覚醒(ストレス反応)の程度が上がり最後(出来事直前)に高揚した覚醒が生じます。

第五節、曖昧さ

実生活で遭遇する出来事の評価の際に与えられる情報は、多くの場合、曖昧で不十分です。
ここでいう「曖昧さ」というのは、環境から与えられる情報の不明瞭さのことであり、「不確実性」は、環境の意味把握における個人の混乱のことです。
環境が曖昧であっても個人としては確信を持つこともあれば、環境は鮮明でも個人としては不確実さを体験することもありえます。

状況の意味を決定するに際して、環境の曖昧さが大きいほど、個人的要因(気質、性向、信条、過去の経験など)の影響が大きくなります。
反対に、状況が明確な場合は、個々人のパーソナリティーの傾向の差は弱く表れます。
もし、その個人に脅威を感じやすいような傾向がある場合は、曖昧さは脅威を作る一つの要因になります。

また、曖昧さそのものに、コントロール感を制限し、危機に対する無力感を大きくする働きがあるため、それ自体が不安を伴う脅威を強める可能性があります。
勿論、曖昧さ(選択肢の多さ、可能性の幅)だけでは脅威は生じず、その曖昧さの向こう側(選択肢、可能性)にその人が何を想定しているかという個人の性向が、脅威の有無や強さを決定します。
[例えば、ファミレスの豊富なメニューには脅威はありませんが、選択する病院によって生死にかかわると想定されている場合、その曖昧さには不安を伴う脅威が生じます。]

その半面、むしろ曖昧さが現実の脅威の可能性をぼかし、脅威を減ずる効果もあり、人は時に明確さより曖昧さを求めることも多くあります。
曖昧さは時に脅威を強め、時に弱めるという二面性があるということです。
曖昧さが脅威につながる場合、人は情報収集や推理や断定によって明確にし脅威を減じ、反対に明確さが脅威につながる場合、人は曖昧さによって脅威をぼかし減じようとします。

第六節、タイミング

ライフサイクルと出来事が関わるタイミングも、ストレス評価に強い影響を与えます。
タイミングによって、小さな出来事が非常に重要な意味を持ったり、大きな出来事が大した問題とならなかったりします。

人間は心の中に、出来事の期待や予定を描いた人生のタイムテーブルのような心理的社会的な時計を持っており、それを正常な「ライフサイクル」として把握しています。
出来事がこのライフサイクルとタイミングがずれて予定外に生ずる時、ストレスフルな出来事、危機として評価されます(ちなみに“予定外に生じないこと”もストレスとなります)。

予定よりも出来事が早すぎたり遅すぎたりした場合、様々な問題が生じます。
ライフサイクルはある程度社会的に共有される概念なので、個人においてそれがずれると、社会的にも適切なサポートや助力や感情的共感が得られません。
また、満足は期待と密接に関わるものなので、期待しない予期せぬ時期に生ずる出来事は、本来得られるはずの満足感や誇りを喪失させます。
早すぎる(あるいは遅すぎる)場合は、予期的対処行動がとれず、準備する機会が失われ、不適切な状態で出来事と対峙せねばならず、より脅威的なものとなります。

ライフサイクルの時刻表は、世代や社会集団によって異なり、例えば、結婚の適切な時期は、生まれた年代や社会階級などによって相当異なります。
また、標準的なライフサイクルとは直接関係しない無数の出来事のタイミング(例、5歳か15歳かで母を失う衝撃は相当異なる)や、概念化されていなかったり無意識に抑圧されていたりする隠されたストレスフルな出来事も、考慮する必要があります。

第七節、まとめ

個人的要因(第三章)と状況的要因(第四章)は、相即不離の相互的な動的関係において認知的プロセスを構成し、ストレス評価および対処行動を導出します。
それぞれを独立した要因として扱ってしまえば、その有効性は失われます。

 

第一部(認知編)おわり

第二部(対処編)へつづく