名前とは何か

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名前=存在

事物の存在というものは、基本的にそれに名前を付けることによってはじめて成立します。
なにかある事物が発見された瞬間、個人の頭の中や公けの文書の中などに、必ずそれは言葉として、何らかの形で記されます。
私が認識する「世界」という存在は、国語辞典や百科事典などに記載された無数の言葉(事物)の複雑な組み合わせの網によって構成されています。
人間であれば生まれた時に必ず名前を付けられ、役所の戸籍謄本に登録されます。
事物の存在=名前という側面があり、その生成は同時的です。

具体例

例えば、有名な話ですが、「肩こり」というものが特定の文化特有のもので、肩がこらない国の人たちもたくさんいると言います。
しかし彼らは別に物理的に肩がこっていないわけではなく、それに名前を付けていないから認識できず、「肩こり」がその共同体では存在していないだけのはなしです。

昔、日本のどこかのあるお医者さんが、何となくある肩の張りや違和感に対して「カタコリ」と名付けたその瞬間に、肩こりが生まれます。
いままでなかった「肩こり」が生まれたことによって、肩こりは治すべき症状となり、それにに対しての療法という仕事も生ずるわけです。

医者がある人格特性や身体的特徴や身体的症状に対して、病名を与える(名付ける)ことによって、医者自らが病気を創り出し、同時にその治療行為(仕事)を生み出し、お金を儲けるというマッチポンプ的な方法がよく批判されますが、これも同じ理屈です。
ある日突然、名付けによって、健康だったはずの人が、病人になってしまうのです。

固有の名前=存在の強度

名前には存在の強度というものがあります。
その特別性が強調される固有の名前であればあるほど、その存在感は強さを増します。
「ネコ」では、「動く生物」程度のものでしかありませんが、「ドラえもん」では、単なる野良猫(動物)でない特別な存在として、受容されることになります。
恋人に対して、私だけが使う特別な名前で呼ぶ時、さらにその存在は単なる氏名という固有名詞以上の存在感をもつことになります。
私の眼前に広がる事物の世界の中に、漠然としたテキトーに名付けられているもの、一般的な名前のもの、はっきりとした固有の名前のもの、が段階的にサーモグラフィーの図のように、存在の強度として分布している状態です。

勿論、存在と言っても無数のカテゴリー(種類)があるので、ここで言う存在とはそのうちの一つ、事物が明瞭に把握されており(概念的に)、その事物(言葉)が世界観(心の国語辞典)の中に確固とした位置づけが与えられていることです。
例えば、通学の電車で会う、名前も知らない片思いの異性に対する情緒的な存在感とは、まったく別種のものです。

名前の有無=存在の有無

先に述べたように、事物の存在は、この名付けという作業によって創出することができます。
例えば、物が下に落ちる運動に、誰かが「引力」という名前を与えたことによって、その存在が存在として扱われ、「引力」というものの存在の探求が可能となります。
存在の生成は基本的に発見であり、生産活動による存在の生成の際は、偶然の場合を除き、事前に名前が与えられている計画的なものです。

反対に、名前を無くすことによって、その存在を消失させることもできます。
例えば、戦時中に迫害されたユダヤ人は、強制収容所の門をくぐった瞬間、「名前」を剥奪され、工業製品のように番号で管理され、個人として人間としての存在を喪失させられます。

名前の変更=存在の変更

ここから分かるように、名前の変更は、存在の変更でもあるのです。
例えば、虐待をする両親らが、自分の子供を固有名で呼ばす、「それ」と呼ぶ時、その子供という存在は単なるモノへと格下げされています。

また、名前には生まれた瞬間から、その上に歴史的な意味が積り、蓄積されていきます。
あるネガティブな言葉があったとしても、その言葉が生まれた瞬間は無垢であったのであり、言葉そのものには決して罪はありません。
その言葉に対して持つポジティブあるいはネガティブなイメージは、その文化の歴史経験が積み重なったことから生ずるものです。

ですので、名前を変更することによって、このポジとネガを反転させたり、意味付け(歴史的、経験的蓄積)を変更することができます。
例えば、勉強ができて優しい「出木杉英才」君に、クラスの誰かが仇名をつけ、「ロボット」と、呼び始めれば、出木杉英才という固有の名前に積み重なったポジティブな意味は、「機械人間」という名詞に積み重なったネガティブな意味へとシフトされます。
笑顔が特徴的だったある人気の女性タレントに、ある芸人が「元気の押し売り」という仇名を付けた瞬間に、その好感度はマイナスへと転じていきます。
逆にこれをプラスにする力を持った人が、いわゆるコピーライターです。

プラスでもマイナスでもなく、ただ名前に重なった意味の蓄積をリセットするために行われる改名もあります。
例えば、ダサい鞄の代名詞で売れなかった「セカンドバッグ」も、「クラッチバッグ」と名称変更されることで、市場に出回り再ブームが生じます。
テレビ番組は、内容の構成は昔のもので、タイトルだけ変えられた新番組で溢れています。

おわりに

「名前」は「存在」と同じくらい、重要なものです。
また、「名付け」の力は、学問的大発見から人種差別問題まで、様々な領域で大きな機能を果たしています。
名前というものに自覚的になることで、無駄な問題を回避し、もっと建設的に事物を扱うことができます。

最後に、「みんなのうた」に印象的な歌詞の歌があったので、紹介します。

『ビューティフルネーム』(YouTubeに飛びます)