九鬼周造の『「いき」の構造』(通常版)

芸術/メディア 言語/論理

<第三章、「いき」の外延的構造>

※難しいのが面倒な方は本章を飛ばして四章へ進んで下さい。

全体像

次は外延的意味を探っていきます。

「いき」に関係する類似の意味をもつ概念は、主に「上品」「派手」「渋味」です。
例えば、「いきな男」と「しぶい男」は似ているようで何か違います。
さらにこれら存在様態の反対概念も並べると、こうなります。

「意気」⇔「野暮」
「上品」⇔「下品」
「派手」⇔「地味」
「渋味」⇔「甘味」

そして、これら八つの概念を弁別するための特性として、以下ABCの三つの次元(六つの特性)が挙げられます。

A.その態度(存在様態)が成立するのは、何に基づく公共空間(状況)か。
「人間性一般に基づく」or「異性という特殊に基づく」

B.その態度(存在様態)は、何に対して(関して)のものか。
「自己に関してのもの(価値評価的なもの)」or「他者に対してのもの(価値中立的なもの)」
分かりやすく言うと、前者が自己を反省的に評価する視点から見た存在様態で、後者が他者に対しての自己の在り様です。

C.その態度(存在様態)の程度の区別。
「正の価値、積極」or「負の価値、消極」
価値評価的では正負の価値という上下間の優劣によって、価値中立的では価値判断を含まない積極性消極性という単なる個性によって区別されます。

これら三段階の分岐を経て分けられた八つの概念が、下になります。
分かりやすくするため、本書の記述を変更しています。
ABC三つの次元に系統樹的な類種関係の優劣はなく、後の六面体の図にあるように、同格のものです。

以下、(A.)という風に括弧内のアルファベット一字で、A.B.C.どの次元の区別によるものかを、併せて記していきます。

上品、下品

上品と下品は、そのもの自身の品質の区別(価値評価)です(B.)。
品柄の優れたものか劣ったものかということです。
「上品」と「いき」は、趣味の卓越(正の価値)という点では似ていますが(C.)、媚態(異性との関り)の有無という点で異なります(A.)。

派手、地味

派手と地味は、他人に対しての自己の在り様です(B.)。
それが積極的であるか消極的であるかという、自己主張の強さの問題です(C.)。
派手、地味それぞれのよさがあり、そこに上下の価値判断はなく、それは積極性-消極性の区別によるものです。
「派手」と「いき」は似ているようですが、「いき」は異性に特化したものであり(A.)、価値判断を含む自己の性質です。

意気、野暮

いきと野暮は異性間における自己の在り様です(A.)。
ある特殊な洗練の有無が、そのものに対し評価的に判定されています(B.C.)。
人情に通じ、異性間という特殊な社会をよく理解し、垢抜けた人が「いき」であり、「野暮-やぼ-」という言葉は、人情に通じない「野夫-やぶ-」(教養もマナーもない田舎者の百姓のこと)が変化したものです。

甘味、渋味

甘味と渋味は、異性との関係における(A.)、他人に対しての自己の在り様です(B.)。
果実の甘味が生物をひきつけ侵入させ、渋味が生物を退け侵入を防ぐように、他人に対して甘い態度や甘えた態度をとる人は積極的に他者と関係を持とうとし、他人に対して渋い態度をとる人は他者との関係に消極的です(C.)。
派手や地味などと同様、甘味と渋味に一定の価値判断はなく、その価値付けはその置かれる背景や状況により異なります。
地味と渋味は、他人に対する消極的様態として共通しており、似たように感じますが、地味が人間一般の性質であるのに対し、渋味は異性間という特殊な公共空間で生じるものである分、艶があります。

ちなみに、前章において、異性との「甘い」夢が破れて、「いき」が生じることを述べました。
しかし、「いき」の意気地と諦めが深まりある限度を超えると「渋味」になります。
逆にこれらが弱まると「いき」は「甘味」に還ります。

趣味の直六面体

これらの構造は、下のように直六面体の図として表すことができます。

上下の面が各趣味様態の成立の基礎となる両公共空間(上面が人性的一般性、下面が異性的特殊性)を表します。
これが先のA.の次元です。
そして、それらの面を対角線上に切った断面によってできる二面(P-Oで交差する)が「対自性(価値評価的なもの)」「対他性(価値中立的なもの)」を表します。
これが先のB.の次元です。
これら八個の趣味の八つの頂点は、すべて何らかの対立関係で結ぶことができます。
例えば、「意気」を頂点として、他のすべての七つの頂点と結び、対立関係を表すことができます。
意気-渋味、意気-野暮、意気-下品・・・。

この直六面体に、他の同系の様々な趣味を関数的に配置し、以下のような図形(二次元あるいは三次元)として表現することができます。

・「さび」は、O-上品-地味の三角形と、P-意気-渋味の三角形を底面とする三角柱。
・「雅(みやび)」は、上品-地味-渋味-Oを頂点とする四面体。
・「味(あじ)」は、甘味-意気-渋味の三角形。
・「乙(おつ)」は、甘味-意気-渋味-下品を頂点とする四面体。
・「きざ」は、派手-下品の直線。
・「色っぽさ」は、 上面左側半分の矩形(甘味、意気、Pを通る長方形)ですが、この上面(異性的特殊性)の色っぽさが下面(人性的一般性)に射影を作る場合、底面前半分の矩形(派手、下品、Oを通る長方形)となります。

各趣味は己が図形のうち(表面あるいは内部)のどこか一定点に存するということです。
この点は静止したものではなく、時間経過的な運動線としても考えられています。
例えば、先に述べた(見出し3-5、最終段落)ように、甘味から意気の方を通って渋味へ至る折線や放物線が「味(あじ)」です。
いま眼前にある「味」のある趣は、その内に酸いも甘いも渋いも含んだひとつの軌跡、航跡(みお)の先端点(現在点)として存在してるのです。
ちなみに「いき」の味は酸味として喩えられています。

 

<第四章、「いき」の自然的表現>

「いき」の具体的な把握

前章まででは、意識に現れる概念的な「いき」の意味を探ってきました。
次いで、具体物のうちに現われる客観的表現をとった「いき」をその上に基礎付け、「いき」の全体的な意味を把握する必要があります。
客観的表現には、自然的な表現と芸術的な表現がありますが、本章では自然的な表現のうちの身体表現に限定して考察します。
以下、いくつかの例を挙げます。

姿勢

姿勢を軽く崩すことのうちに「いき」の表現があります。
直立(自立)した姿勢の一元的平衡が、異性へ向かう能動性として傾き、異性を受け入れる受動性として崩れ、「いき」の本質となる二元性(媚態)が実現されます。
大胆に崩すことではなく、軽く崩すことによって抑制と節度を保ち、もうひとつの「いき」の本質である非現実的理想性を実現します。
大胆に腰を振るような西洋風の媚態は、「意気地」の理想主義を壊してしまうのです。
直立でも倒れすぎても駄目で、絶妙にバランスを保った傾斜や曲線です。
鳥居清長の絵に、それらが見事に表現されています(下図、鳥居清長筆、四條河原夕凉躰、三枚続左)。

装い

西洋風のあからさまな裸体よりも、うすもの(夏の着物)から透ける緋の襦袢(レディスのインナー)、無造作に着た湯上り姿、左褄によって覗く素足。
[左褄は着物の左側を腰辺りで軽く持って左脚を少し見せながら歩く媚態ですが、襦袢(下着)の結びが右にあるので左を持つのは侵入拒否の証しです。色を売る花魁に限っては男性が手を入れやすいよう右褄です。]
肩や背中が大胆に露出する西洋風のドレスや濃い化粧ではなく、ちらりと見せる抜き衣紋(着物の後襟を少し後方へ傾けうなじを見せる着付け)や奥ゆかしい薄化粧。

媚態(受容)と意気地(拒否)が同時に表れたそんな姿に、日本の「いき」が具現化されています。
一元的な均衡(私だけの世界)が、「媚態」によって二元性(私とあなた)へと開かれつつも、行き過ぎて私とあなたが合一して消失することがないように、「意気地」と「諦め」によって節度と抑制を保った絶妙な状態が「いき」ということです。

 

<第五章、「いき」の芸術的表現>

模様

自然的表現を模倣する具象芸術より、抽象化された芸術(抽象絵画やテキスタイルの模様や建築の構成など)の方が、よりその表現の本質を抽出したものになります(抽象絵画の項を参照)。
本書ではそのうち、模様と建築と音楽が取りあげられますが、本頁では明快な模様についての考察のみ扱います。

・「いき」の二元性を最も純粋に表す図形は平行線です。決して交わることのない絶対化された二元性がそこにあります。

・曲線は温かみがあり、円いものは愛の表現が露骨であり、「いき」には適しません。例えば、からみつく蔓のように抱擁する身体を抽象化すれば、すべて曲線で表現されます。それとは反対に「いき」は冷たくすっきりした稜をもつ直線図形によって表されます。もし、兵隊の隊列が直線ではなく曲線であれば、舞踏が始まってしまい、闘いになりません。

・色彩が彩度を失い色の淡さそのものが残った灰色には「いき」の諦めが表れ、愛の象徴である原色の赤が渋く垢抜けた時に生じる茶色には「いき」の垢抜けた色気が表れ、夕暮れの際に徐々に景色が色を失い最後に残る冷たい青色などには「いき」の失われていく明るい心が表されています。要するにいきな色とは、華やかな体験の後の消極的残像です。彩やかな暖色の興奮の後に冷やかな色に沈むのです。

形と色を構成要素とする模様の芸術の場合、主に形によって「いき」の二元性(媚態と意気地)が表現され、色によって諦めが表現され、それらが統一した全体として、「いき」な模様が成立するのです。

 

おわり