マキアヴェリの『君主論』(2)政体論・下

(1)のつづき

第八章、極悪非道な手段によって獲得された君主政体

極悪非道、残虐な手段によって君主になった者の生き方を考察してみると、そこに運(幸運)や他力依存の要素がほとんどない。
無数の困難と危機を自力で乗り越え、ひとつひとつを獲得していき、君主への階段を昇りつめていく。
その後も勇猛かつ危険極まりない数々の決断によって、それを保持する。

しかし、同胞や市民を殺し、友人を裏切り、信義もなく、慈悲の心も欠き、宗教心もない、そんな行動を力量と呼ぶわけにはいかない。
それによって権力は獲得できるだろうが、栄光を獲得することはできず、そんな非人間的な者を卓越した偉人の列に加えることは承認できない。
彼の行為は、運(幸運)だけでなく、力量(有能)にも無縁なのである。

残虐と非道の限りを尽くし成り上がった君主が、此の地で長く安全に生活し、敵を防ぎ、謀反を起こす者も出さずに、平和な時代以上に安定的に政体を保持することがある。
なぜかというと、それは残虐の用い方が上手いからである。
政体を保持する上手い残虐の方法とは、残虐行為は一挙に為し、その後は常用せず、可能な限り臣民の利益の擁護に方針を転換することである。
反対に保持が不可能な下手な残虐の方法とは、初めのうちは僅かな残虐で済ませ、時と共にそれを増大させていくことである。

だから、ある領土を奪い取る時、それに必要な攻撃と加害行動すべてを検討し把握しておかなければならない。
そして、それを一挙に断行し、毎日それを繰り返さぬことで人々を安心させ、同時に恩恵を施し、人心を獲得することである。
残虐への怖気や誤った思考によって、これとは反対の行動(常態化する残虐)を取るなら、常に剣を構えていなければならない上、絶え間ない加害行為によって、臣民は君主を信用せず、君主にとっても信用ならぬ臣民となる。
人々が苦しみを味わう時間を短くするため加害行為は一気に行い、それに対し、恩恵は人々がそれをゆっくり味わい感謝の念を起こさせるよう、少しずつ施すべきである。
それには君主が臣民と同じ地域で生活することがなにより必要である(第三章を参照)。

第九章、市民の支持によって獲得された君主政体

これは自分の同朋市民の好意によって祖国の君主となる場合である(これは幸運や力量や残虐ではなく、好機を利用する策謀によって達せられる)。
この好意とは、民衆の好意によるものか貴族の好意によるものかのどちらかである。
各都市において、民衆は貴族の抑圧からの自由を欲し、貴族は民衆の抑圧を欲する。
この相対する欲望から、三つの帰結(君主制、自由な国政、無秩序)が生ずる。

君主政体が生ずるのは、民衆と貴族の両党派の利益争いにおいて自陣が不利になった時、自分達の中の誰かに名声や評判を集中させ、君主として持ち上げ、それによって都合のよい有利な体制を作ろうとする時である。
この場合、貴族の支持で君主になった者は、自分と同等の有力者に囲まれているため支配には困難が伴うのに対し、民衆の支持による君主は命令を下しやすい。

また、貴族の欲望の満足は誰かを傷つけて(民衆の抑圧)得るものであるのに対し、民衆の欲望の満足はただその抑圧から逃れたいという真面目なものであり、その実現は易しい。
民衆は数が多く敵に回すと危険であるが、貴族の数は少なく敵としてまだ安全である。
最悪の場合、民衆は君主を見捨てるだけだが、貴族は策謀を巡らし刃向かってくる。
いずれに支持され君主になろうと、結論として言えるのは、君主は民衆を味方にしなければならないということである。

第十章、各々の君主政体の戦力をどう量るか

君主政体の特質を知る上で、その君主が自力で対抗できるか、あるいは常に他者の庇護に依存するかを見なければならない。
前者は、豊富な人員と資金によって必要な軍隊を作り、侵略してくるどんな敵とも闘える者を指し、後者は、戦場に出て敵と闘うことができず、城壁の内で防御せざるをえない者のことである(第六章を参照)。

後者について述べるなら、都市の防衛を強化し、蓄えを固め、都市外の地域は一切考慮せず、また、前章で述べたように臣民に対しては適切な措置を講じておくことを勧める。
防備の堅固な都市を持ち、民衆に親しまれている君主を打ち倒すことは何事であり、侵略者には厄介なものと映り避けるからである。

第十一章、聖職者による君主政体(教皇国)

この種の政体の困難はそれの獲得以前にあり、保持に対しては力量も幸運も必要としない。
非常に強力で特別な、宗教に基づく古い制度によって支えられており、君主の生き方に関わらず、地位は安定している。
領土を持ちながら防御せず、臣民を持ちながら統治せず、防御なしでも領土を奪われず、統治なしでも臣民は離反しない。
こういう君主政体のみが安全で幸福であり、それは人知の及ばない超越的な根拠によって支えられているので、特に論ずることはない(皮肉をこめて)。

第十二章、軍隊の種類および傭兵について

前章までで、各君主政体の種類と特質はあらかた述べた。
次いで、攻撃と防御についての一般論を考察していく。
いかなる君主であっても、必要なのはよい基盤、すなわち優れた法律と優れた軍備である。
そこで先ず、軍備について論ずる。

防衛のための軍隊は、自己の軍、傭兵軍、援軍、これらの混成軍かである。
傭兵と援軍は役に立たず、さらに危険でもある。
傭兵は秩序なく、野心的で、忠誠心を欠き、味方の前では勇敢だが敵の前では臆病、人間に対し信義なく神を蔑ろにする。
延命のために攻撃を引き延ばし、平時においてまるで敵のように給金を略奪すし、戦争をしない間は忠実な兵のふりをしているが、いざ戦争がはじまれば逃げ出す。

なぜなら、彼らの目的は金であり、給金程度で命をかけるなどありえないからである。
仮に傭兵が有能であったとしても信用はできない、彼らは雇い主(君主)を圧迫したり、意図に反したり、常に自己の権力の強化と誇示を狙う。

第十三章、援軍および自己の軍について

援軍もまた、役に立たないものである。
傭兵と違い、援軍そのものは優秀であるのだが、それを招き入れる側には常に害をもたらす。
援軍の敗北は自分の滅亡を意味し、援軍の勝利は自分が彼らの虜になることを意味するのは、歴史が実証している。

援軍は傭兵よりも危険である。
彼らの団結力は強く、いかなる時も本来の君主の命令に忠実だからである。
それに対し傭兵は結束しておらず、首謀者が君主への攻撃の権威を作るまで労力と時間がかかり、給金の関係で雇い主を攻撃する機会は限られている。
傭兵が危険なのはその無気力においてであり、援軍が危険なのはその有能さにおいてである。

よって賢明な君主は、これらの軍を避け、自己の軍に専心する。
そして、他者の軍によって勝利するよりも、自己の軍によって敗北することを望み、他者によって獲得した勝利など、真のものではないと考える。
「自己の力に基づかない権力の名声ほど、もろく、不安定なものはない(タキトゥス)」のである。

第十四章、軍事についての君主の責務

君主は戦争、軍事制度、軍事訓練以外の目的も考えも持ってはならず、他の事柄を自分の職務にしてはいけない。
これのみが支配者のなすべき唯一の職務である。
逆に、君主が軍備ではなく優雅な生活に心を向けた時には、政体を失なってきた。
武力を持たない君主は侮られ、また、武力を持つ者が持たぬ者に従うことも、武力を持つ者の中で持たぬものが安全であることも、普通ありえない。

君主は平時においても常にそれらについて考え、戦時において以上の訓練を為さねばならない。
実践面は当然として、精神面も訓練する必要があり、書物などを通して、歴史の中で偉大な人物がどう行動し、どのような策を練り、その勝因(敗因)は何かを考察し、学ばねばならない。
平時においても安逸に流れず努力して得たこれらの宝を、逆境において役立て、どんな運命にも耐えられるよう備えておかねばならない。

(3)へつづく