和辻哲郎の『風土』(2)人間の理論

哲学/思想 社会/政治

 

 

(1)のつづき

 

<第一章、風土の基礎理論~第二節、人間存在の風土的規定>

 

人間存在の二重性

風土という現象において人間は己を見出すわけですが、今度はその人間に焦点を当て、考察します。

前項でも述べたように、人間というものの本質は個でありながら全であるという二重存在です。
個人のない社会も、社会のない個人も存在しえず、既存の人間学や社会学のようにそれらを切り離した別個の探究では、その本質を捉えられません。
空間と時間も相即不離なものであるとも述べましたが、既存の人間学は人間の本質構造をただ個人の時間性としてのみ捉えようとする一面的なものとなっています。

そうした人間存在の空間-時間的関連を明らかにすると、おのずと人間の連帯性、社会構造及びその運動としての歴史の形成が開示されます。
空間性-時間性の構造とは、具体的には風土性-歴史性の構造のことです。
ひいては、この構造が人間の二重性(個でありかつ全であるという)を生じさせているのです。

 

人と人との間柄としての人-間

人は自己の人生において死すべき存在です。
しかし、以前述べたように、私というものは、関係性の網目の中でしか存在し得ないものでもあります。
この関係性が「間」であり、人は「人」であると同時に「人-間」なのです。
誰かが死ぬと「間(関係)」が変わり、また誰かが生まれて間が変わり、そうやって人の間は続いていきます。
個人としては「死」に向かいながらも、社会としては「生」に向かう、個人的かつ社会的な存在が人間なのです。

少し分かりにくいですが、仮に個が不死であったならどうなるでしょうか。
全体(社会)としては新陳代謝が停止し、歴史が止まります。
運動というものは、今ある存在を否定し、今を越え出て行くことによって成立します。
いわば個の死は社会の生の成立条件であるということです(身体の個々の細胞が死ぬことによって、私を生かしてくれるように)。

勿論、これは下らない全体主義的な意味で言っているのではありません。
社会が個に死や自己犠牲を強要することは社会の自殺(自傷行為)です。
そうではなく、個が生を最大限活かすことにおいて天寿を全うすることが、より社会を健康に生かすことになります。

 

風土的歴史と歴史的風土

空間は運動によって成立し、運動は空間によって成立します。
物体のココからソコへの移動(運動)可能性が空間であり、その移動は時間なしには成立しません。
時間と空間が決して切り離せないように、歴史性と風土性は相即不離のものです。
「人間は歴史を背負う」などと言いますが、これは言い換えると「人間は風土的過去を背負う」ということです。
さらに厳密に言うと、歴史とは「風土的歴史」であり、風土は「歴史的風土」なのです。

一般に言う「歴史」や「風土」というものは、ここから理念的に取り出された一面的な抽象物でしかありません。
人間学も、そういう二重存在である人間の個の部分だけ取り出して、「間柄」を無視した「人」のみによって人間を把握しようとし、本来の人間を見失っています。
本来、主体は人間存在の空間的-時間的構造を地盤にして成り立つものであり、風土(かつ歴史)から切り離された主体は、機械的な物体(身体)と抽象的な精神や実存として分離し孤立させられます。

風土もまた人間の肉体であるということを忘れてはなりません。
私の所作や言動や志向や容姿や習慣すべてに日本人としての風土が宿っているのであり、何者でもない主体としての実存主義的人間などは、幅のない線のように抽象的にしか存在しえません。

 

ハイデガー批判

ハイデガーの存在と時間に関しての議論(『存在と時間』の項を参照)は、空間(風土、間柄)に関しての議論が抜け落ちています。
例えば、私は未来へ自己をプロジェクトする以前に、間柄や風土(歴史的風土)というものに関わり、それらと共に未来へ向かっています。
私の目の前に存在する「靴」は、未来(目的)へのプロジェクトに規定される「歩くためのもの」ですが、そもそも風土として地面が荒かったり冷たかったりするからこそ靴が必要なのであり、また間柄の文化的習慣からの強制力もあったりして、あくまでもそれ(靴の本質)は未来の目的以前に風土によって規定されているものなのです。
要は風土的な規定が、存在者を成立させる最初の契機を担っているということです。
それは靴の素材や形や履き方に顕にされているのであり、下駄の中に日本という風土的規定が、ゴッホの描く汚れたブーツに西欧の労働者の風土的規定が、自己了解的に開示されるのです。

 

風土における自己の発見

人間は風土において己を客体化し、風土において己を発見します。
私の気分や感情は、受動的な心的状態でも自分で自由に選んだ行為でもなく、風土と間柄に規定されながらそれに応ず私の存在の仕方、あり方なのです。
私が朝、爽やかな気分になる時、それは外部の爽やかなもの(環境)が私の心に与えた性質などではなく、人間の「あり方」なのであって、その風土の爽やかさにおいて私自身をあらわしかつ了解するのです。

そうして人間は風土的規定を背負いながら、ある一定の性格付けの中で自由であれるのであり、そこから歴史がつむぎ出されていきます。
だとすれば、風土の型(類型)は人間の自己了解の型として顕れるのであり、次いでこの型を見ていかねばなりません。
風土と人間の構造一般の考察から、具体性と特殊性におけるその考察へと向かいます。

 

(3)へつづく