アーノルドの『教養と無秩序』

社会/政治

 

 

社会の三つの階級

まず、アーノルドは当時のイギリス社会を三つの階級とその俗称とに分けます(本書は1869年刊行)。

1、「野蛮人である貴族階級」、頑固で愚鈍であり、領地で狩猟と野外活動にふける野蛮人のような人々。
2、「俗物である中産階級」、金儲けと自由を好み、低俗な余暇を過ごす俗物。
3、「大衆である労働者階級」、生活に駆られて働くだけのマッス(塊)である大衆。

そして、この中で今後社会を作っていく中心になると思われる中産階級の持つ俗物性を、教養によって救済し、彼らが生み出す社会の無秩序を正すことを目的とします。

 

無秩序

イギリスは産業革命による繁栄によって、物質的に豊かにはなったものの、その反面、人々は非常に利己的になり、精神的に貧しく、機械を信仰する人間の心までが機械のようになってしまいます。
この社会心理を具現化するものとして功利主義が台頭し、理想主義は駆逐されていきます。
そうして、貧しくなった精神に統合されない欲望は、暴れ馬のように無秩序を生み出していきます。
それは急速な自由主義の台頭による社会的混乱です。

生活の関心は、金儲けと自分だけの魂の救済であり(ウェーバーの項を参照)、利己的な利益追求と狭隘なピューリタニズム(カルヴァン派)で溢れていきます。
この金銭崇拝と俗化した宗教的な荒廃の無秩序から人々を救い出すのが「教養」でなのです。

 

教養

教養とは、時代と場所を問わず、考え抜かれた最善の知識であり、それによって、凝り固まった現在の習慣的な思考の中に新しい生命を吹き込むものです。
教養は、人間の調和ある完全さを養い、正しい道を照らしてくれます。

教養は本質的に二つの動因を持っています。
ひとつは事物をあるがままに見ようとする好奇心(ヘレニズム)であり、もうひとつはそれを実践的に活用しようとする道義心(ヘブライズム)です。
人間の完成という意味で、教養と宗教の目的は一致しており、腐敗した宗教に代わり教養を立てようとします。

 

ヘレニズムとヘブライズム

それは、ヨーロッパ思想史における二つの起源、ヘレニズム(ギリシャ思想)とヘブライズム(ユダヤ・キリスト教思想)の精神を併せ持った教養によって、人間の完成(救済)を達成することです。
知性と美の力を基礎とするヘレニズム、律法と道徳的実践と救済を基礎とするヘブライズム、この二つの両輪によってのみ、文化は真っ直ぐ発展することができます。

感情的な物的欲望に対しては、ヘレニズムの知と美を、利己的な自由主義に対しては、ヘブライズムの律法的・道徳的秩序を教授することによって、それらを救済することです。
それは、知性と感情の、秩序と自由の調和によって完成をはかる事であり、決して一方を駆逐することではありません。

教養による自己の完成は、必然的に実践的な知識と道義心を養い、ひいては社会文化の発展に寄与します。
原著のタイトル「Culture and Anarchy」のカルチャーという言葉は、個人的な教養と社会的な文化の両方の意味を併せ持つものです。

 

われわれが必要とするのは、人間性のいっそう調和のとれた発達と、型にはまった観念に対する自由な考え方、意識の自発性、美と光、である。そしてそれらこそ、まさに教養が生み出し育てるものなのだ。人間性の調和のとれた完全さというこの考え方から発し、この世の中でこれまでに達成された最善のものを知り、かつ普及させることによって、人間性がこの完成に近づくのを助けようと試みる(岩波文庫『教養と無秩序』多田英次訳より)