議論をする際に心得ておくべき三つのこと

実りある議論をする際に、必ず心得ておくべき条件がいくつかあります。
今回はそのうち特に重要な三つの条件を紹介します。
これら条件を満たさない非建設的な議論は口論や口喧嘩に近く、意見交換や合意どころか、むしろそれぞれの意見の中にさらに頑なに閉じこもらせるだけの有害なものに終わります。
叩けば叩くほど、おたがいの釘は深く喰い込みます。

「条件1、自分とは反対あるいは違う意見を持つ人と議論すること」

自分と同じ意見を持つ人たちを集めて議論したところで、自己満足の自己肯定にしかならず、意見として何の前進もありません。
いわば鏡に向かって話しかけているようなもので、他者を媒介としたモノローグ(独り言)に終わります。
(違う意見を持つ者同士の対話がいかに有益かは弁証法の項を参照してください)

「条件2、自分と同じ目的を持つ人と議論すること」

意見は対立しても目的は同じでなければ、議論は成立しません。
それもかなり明確にしておく必要があります。
例えば一見すると皆が同じ目的について議論しているように見えても、実は全然違っていたりします。

「経営危機にある会社を立て直す方法を考える」というテーマで三人の人が議論していたとします。
今の会社を愛する生え抜きのAさんは、漠然と十年後も会社が存続しているような堅実な方策を提示します。
今の会社はあくまでも次のステップへの踏み台として考えているBさんは、とりあえず短期的にでも効果を挙げて自分が即結果を出せるような危険な特効薬のような方策を提示します。
上司の前で自分の能力をアピールしたいだけの出世狙いのCさんは、会社の存続そっちのけでとにかく議論で相手を打ち負かすことに終始し、ひたすらハリボテの方策とレトリックを利用して自分の案を通そうとします。

この状態では議論においてなんの実りもありません。
そもそもおたがいの行き先(目的)が違うため、目的地への正しいルート(手段)の合意など出来るはずがないのです。

インターネット上の議論が不毛な結果しか生まないのは、そもそも議論についての明確な目的の同意がないからです。

「条件3、自分のことはどうでもいい、意見そのものを大切に出来る人と議論すること」

議論においてもっとも大切なものは、意見そのものです。
自分のプライドや羞恥心や負けん気は、ただ自分の意見を曇らせ、相手の貴重な意見を萎縮させようとする当為にしかなりません。
重要なのは、自分の意見より相手の意見の方が有益ならば迷うことなく捨てられる、真理への開かれた姿勢です。
たとえ自分の意見が打ち捨てられたとしても、それはロケットが宇宙へ飛び立つときに捨てられるエンジンと同じで、それがあるからこそ次の意見へとつながっていく、目的地へ到達するための最も重要なものです。
最終的な意見というものは、その裏側に無数の意見を背負って成立しており、ただ最終的に見える部分(ロケットの先端!)だけを重視するのは、非常に幼稚な考えです。

有益な議論に向けて

きちんと議論の条件を整え、実りあるものにしなければ、やがてみな議論に対する信頼を失います。
現在インターネット上に溢れる議論のイメージ、「議論はどんな手段を使ってでも勝てばいい。なぜなら真理が勝つのではなく、勝った者が真理になるからだ」という古代ギリシャ以前の幼稚な詭弁術に逆戻りしてしまっています。

真理など相対的なものだから議論なんて無意味だ、だから勝った者が真理になる。
そんな訳はありません。
相対的なのは真理ではなく、目的の方向性です。
だから議論する各人の目的の方向性を明確に合致させれば、意見は必ずひとつの方向へ収斂します。
「現在の限られた手段の中で納期までに最大の生産量を上げるには」という明確な目的があれば、議論は必ず共通の意見(真理)へたどり着きます。

議論において最終意見が相対的になるのは、明確にかつ具体的に目的設定をしていないためです。
答えが出ないのは、問題の立て方が悪いためです。