( ´∀`)< オマエガナー

人生/一般幸福論

 

現代は、現実でもネット上でも「批判」というものが大流行しています。[註1]
便所の落書き(旧2ちゃんねる)のレスバトルが一般化してしまった感じです。
それに伴い、皆、批判に対する返しも巧くなり、特によく見かけるのが”批判を自己紹介として切り捨てる”レトリックです。
「ブス」「性格悪い」「頭おかしい」などと批判されれば、「自己紹介乙(オツカレー)」という感じで、批判的言説を批判する側の心の病(精神分析的投影、つまり他者を媒介とした自己紹介)として一蹴する訳です(「性格悪いと言う奴自身が性格悪い」的な論法)。
しかし、この際に生じる「自己紹介」は投影のような単純なものと考えるより、「その人の世界観の表明」として捉えた方がより正確で生産的です。

人間はそれぞれ目的(理想)が異なり、その目的に従って価値基準のスケール(物差し)を心の中に作り、そのスケールの枠組みによって己の世界(世界観)を構築しています。
例えば、北極を目的地にする人は南極に向かう人を己のスケールによって劣ったもの(批判すべき誤ったもの)として評価し、南極を目的地にする人は北極に向かう人を己のスケールによって劣ったものとして評価するような相対的な世界観を個々人がもっています。
批判というものは逆照射的にその個人(批判する側の人)の目的を照らし出すものであり、当にその人の価値基準のスケールと世界観をあらわすもの(つまり自分はいかに生きている者かという自己紹介)となります。
蒼井優を「ブス」と批判する者は「私は日本人的な自然な美しさを美と評価しない」と己のスケールを表明しているだけであり、明日花キララを「ブス」と批判する者は「私は誇張された理念的な美しさを美と評価しない」と己のスケールを表明しているだけにすぎません。

私が誰かに批判された時、その批判内容から「彼は何を理想(目的)に生きている人か」を推察し、私が誰かを批判する時、その批判内容から「私は何を理想(目的)に生きている人か」を推察し、どちらの自己紹介(理想・目的のスケール、世界観)を採用した方が幸せに生きられるかを比較する必要があるのです。
その比較選択によって、はじめてその批判は単なる「口撃」から活きた「批判」となり、私の世界観をより良いものへと作り変える可能性が生じます。
批判内容そのものに目が向いている限り、世界観の変更は生じず、自己顕示(自己紹介)合戦=レスバに終わるだけです。


2chの猫チャン「モナー(オマエモナー)」、拾い画

 

おわり

 

※註1…ここでいう「批判」は、ほぼ「口撃」の意味で使っています(伝統的な哲学的概念とは無縁です)。

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