カントの『純粋理性批判』(1)物自体

哲学/思想

 

理論

まずはじめに世界(もの)があって、それを人間が認識するのではない。
逆に人間の認識能力にあわせて世界(もの)は形づくられ、はじめて存在する。

 

具体的に

生物の知覚で例えてみましょう。

猫の聴覚は人間の3倍以上の範囲の音(~6万ヘルツ以上)を聴くことができます。
だから人間(~2万ヘルツ)には静かな場所でも、猫にとってはとても騒がしい場所であるかもしれません。
人間には眼の前のネズミがおとなしく見えても、猫には高音で鳴いているネズミの声がしっかりと聴こえています。

人間の眼では、赤から紫までの虹色の範囲の可視光線しかとらえることができません。
しかし、ヘビは赤外線の範囲を見ることができます。
人間には真っ暗で何も見えない場所でも、ヘビは暗視ゴーグルをつけたかのようにさまざまな獲物が動いているのが見えます。

人間にとっては赤く美しいバラの花も、犬には単なるモノクロの物体でしかありません。
人間にとっては可愛い黄色のタンポポも、鳥には色とりどりの派手な花に見えています。
あらゆる生物はそれぞれの知覚の形式によって、お互いには想像もできないほど別々の世界を見ているのです。

人間は先天的に持つ認識の形式の範囲内で、かつその形式にあわせて変形されたものだけをとらえられるのです。
カントの言う「コペルニクス的転回」とは、まず世界が存在してそれを人間が認識するという発想から、世界は人間の認識の形式が成立させた現象である、という逆転の発想なのです。

各々の生物によって世界は別々に見られているにしても、その根本には”ただひとつの世界”があるのではないかと思われます。
しかし、もって生まれた感性の形式の範囲内でしか、ものを認識できない人間には、決してそれをとらえることはできません。
認識できはしないが、でも存在はする、物の背後にある見えない基盤のようなものを「物自体」と名づけました。

 

カントによる人間の認識の構造をまとめると

①、物が存在として認識される以前の基体のような、「物自体」。

②、感性の形式である空間と時間によって直感的に①を、ある場所のある時点を占める「あるもの」として、時空内に存在する資格を与えます。

③、悟性の形式であるカテゴリー(分量・性質・関係・様態)に従って概念的に②を、「これこれしかじかのもの」として、具体的に世界の中での地位を配分し、「物」が成立します。

 

 

(2)へつづく