カントの『純粋理性批判』(2)アンチノミー

(1)のつづき

アンチノミー

アンチノミー(二律背反)とは、相反する二つの命題が矛盾しあいながらも互いに成立している状態です。
一見どちらも正しいが、片方の命題を取るともう片方の命題が成立しないということです。
例えば、すべての盾を貫く矛vsすべての矛を防ぐ盾、宇宙は有限vs宇宙は無限、自由意志vs運命(必然的因果)などです。

このアンチノミーの解決を通して真の命題を導くことが、カント哲学の基本的な方法論です。
テーゼ(正命題)とアンチテーゼ(反命題)の散らす火花から生ずる閃きが、真の命題の発見へとつながる、カント的弁証法です。

第一アンチノミー、時間と空間

古代から時間・空間の有限性と無限性について論争する二律背反命題があります。
カントは第一のアンチノミーとしてこれについて論じます。

正命題「世界は時間・空間的に有限である(時間的始まりと空間的限界を有する)。」
反命題「世界は時間・空間的に無限である(時間的始まりと空間的限界を有しない)。」

<正命題の証明>
もし仮に反命題の通りに時間が無限であったとするなら、どの時点を切り取ったとしても、それまでに無限の時間が経過し、事物の継起や変化がすべて終わってしまっているはずです。
しかし、切り取ったいま現時点において、その先である未来に時間も事物の継起もまだまだひき続き残っています。
だから無限の時間は不可能であり、世界が時間的始まりをもつということは存在の必然的な条件です。
無限=決して終わらない、ということですので、無限の時間が「過ぎ去る」ということがそもそも不可能なのです。

具体的に喩えれば、私たちがキャンバスに円を描く場合、10号や20号サイズなどの額縁で仕切られる限界が事前に確定されているからこそ、その円が存在できます。
もし仮に無限の大きさのキャンバスがあったとして、そこに円を描いた場合、それは直径「無限大」の円になってしまい、円のアウトラインは無限に膨らみ続け、存在(形)として成立しえません。

<反対命題の証明>
もし仮に正命題の通りに時間が有限で始まりがあったとするなら、それ以前に何ものも存在しない虚無、「空虚な時間」があったと想定することになります。
しかし、空虚な時間(虚無)からはどんな事物も生起することは不可能です。
そこにおいては、無から有が生じるための何らの条件も契機も存在しえないためです。
だから世界は始まりをもたず無限なものであるということです。

先ほどの喩えでいえば、仮にキャンバスの枠に限界を確定したとしても、その枠外に画廊や美術館や町などの具体的な限界が存在しない「空虚な空間」が拡がっていたとしたらどうでしょうか。
そのキャンバスは「空虚な空間」に限界づけられ、この「空虚な空間」の中に存在するという、無意味なものになってしまいます。

アンチノミーの解決

これら相対し矛盾する命題を解決するためには、それらを公平に扱う第三者的な立場に身を置くことが必要になります。
その鳥瞰的な立場から見えてくるものが、それら命題を構成する隠れた「前提」です。
基本的に矛盾が起こるのは、そもそもその対象とするものの前提が間違っていることから起こる、仮象的な矛盾でしかありません。

「すべての盾を貫く矛vsすべての矛を防ぐ盾」の問題は、その盾と矛の物理的前提が間違っていることから生ずる矛盾です。
「すべての盾を貫く矛」「すべての矛を防ぐ盾」など、マンガやゲームの伝説の武具としてしか存在しえない想像上のものです。
そういう詩的な誇張として言った商売人の香具師口上を、現実の論理的矛盾ととらえる事がそもそもの前提として間違っているのです。

時間・空間という第一アンチノミーにおいても、その前提である既存の「時間・空間」のとらえかたに問題があるからこそ発生する矛盾です。
その誤った時間・空間の前提を正すために行われたのが、有名なカントの「コペルニクス的転回」です。
時間・空間が外界に存在するものではなく、それらが私たち人間の主観的な感性の形式であるという主張です。
私たちの認識が外界の対象に従うのではなく、対象(客観)の方が認識(主観)に従うという立場を前提とすれば、アンチノミーの矛盾は解決します。

例えば過去においてなされた「色」についての理論的対立も、多くの場合その前提であった「客観的物体は色を持つ」という誤った認識が引き起こす仮象的な対立でした。
この対立を解決するのは、「客観的物体に色があるのではなくて、私たちの網膜の刺激が脳に色を引き起こす」というコペルニクス的転回です。
人間にとって赤いバラの花も、犬にはモノクロに見え、鳥にはもっとカラフルな多彩色に見えています。
色というものも時間・空間同様、外界にあるのではなく、あくまで人間の知覚の形式でしかないわけです。

このアンチノミーという対立物からそれらを総合するような立場を導くことにより、難問を解決するカント的方法論(弁証法)は、ヘーゲルによって集中的に主題化されて引き継がれることになります。