アドラーの個人心理学(かんたん版)

心理/精神

力への意志

人間の行為の原動力となるものをアドラーは「力への意志」と名づけます。
力と言っても暴力のことではなく、生きるためのパワーのようなものです。
前期フロイトが性欲の力(リビド-)に限定したものを拡張して、生命そのものが持つ全体的な力の概念とします。
それは、自分が周りの環境より力を持つことや、今の自分より力を付け成長することなどを志向する、非常に原初的で生命力溢れるポジティブなものです。
力を志向する以上、力のない状態では劣等感(欠乏感のような健康なもの)を、力のある状態では優越感(充足感のような健康なもの)を持ちます。
力のない劣等感の状態(不完全)から、力のある優越性の状態(完全)へと成るように、力への意志は志向します。
アドラーにおける「劣等感」という言葉は、健康的で正常な努力と成長をうながす刺激をさすもので、万人共通の感覚です。

 

劣等コンプレックス

しかし、この健全な劣等感解消のプロセスが、何らかのネガティブな要因によって捻じ曲がり、精神的に不健康なプロセスを生み出す場合、それを「劣等コンプレックス」と呼びます。
例えば私が陸上競技者で、自分より早いランナーが現れたとき、私は普通に健全な劣等感を感じます。
そして、その劣等感を埋めるために努力(練習)して、ライバルのランナーより早く走れるようになることで、健全な優越感をもてるようになります。
これが正常なプロセスです。

これに対しネガティブな解決のプロセスの例を挙げれば、ライバルの悪口(「あいつは隠れてドーピングをしている」など)を流布、妄想することで、相手を自分より低い位置に置き劣等コンプレックスを解消したり、自分の過去の経験を持ち出して「トラウマのせいで私はあいつに勝てない、あのトラウマがなければ問題ないのに…」と偽装された言い訳(劣等の原因を環境のせいにすること)によって解消したりします。

 

ライフスタイル

このそれぞれが持つ生き方の姿勢のようなものをアドラーは「ライフスタイル」と呼びます。
健全なライフスタイルが充足感を生み、劣等コンプレックスを基礎としたネガティブなライフスタイルが神経症を生じさせます。
アドラー心理学の治療の目的は、この不適切な神経症的ライフスタイルの方向を、健康なライフスタイルに導くことです。

患者のライフスタイルを特定する方法としては、現在の状況を知るだけでなく、早期回想によって過去の状況を知ること、夢診断によって補助的なデータを得ること、身体の動きや態度などのメタレベルの情報などを分析すること、などになります。
特に基本的なライフスタイル(原型)が定着する幼児期の記憶を早期回想によって得ることは非常に重要になります。

 

トラウマ

なぜ現在だけでなく過去が重要かと言うと、不適切なライフスタイルというものには、二つのもの(要因)があり、複雑にからみ合っているからです。

ひとつは、先に挙げたネガティブな解消法のように、単純に選択として不適切で誤っているもの。
例えば、偽装された病気を理由にして、現在の問題状況を回避しようとすることなどです。
試験や試合の度に、体調不良になって休む人はよくいます。

もうひとつは、時間の経過や場所(コンテクスト)の変化によって、不適切になってしまったものです。
例えば、過去に遭遇した巨大地震の際に、余震に怯え警戒することは適切な危機回避、生のための目的論的行動(適切なライフスタイル)ですが、その危険が去って10年経った現在でも微震に対して同じような過度な警戒行動をとることは、不適切なスタイルになってしまうからです。
これが(先に挙げたような偽装ではない、本当の)トラウマですが、アドラーはトラウマなどないと単純に言っているのではなく、トラウマという運命論もライフスタイルという目的論に翻訳可能だと言っているのです。

例えば、むかし男性に暴行されたトラウマのせいで、いま男性と恋愛できなくなった人に対し、二つの診断(目的論的解釈)が可能です。
ひとつは偽装されたトラウマ、現在の恋愛の努力から逃げるために、過去の経験を言い訳として持ち出している。
もうひとつは本当のトラウマ、過去の危険(男性)に際しての正常な回避行動がライフスタイルに刷り込まれ、もう危険のない現在においても採用されてしまっている。

 

共通感覚(コモンセンス)

では、この正しいライフスタイルと、誤ったライフスタイルを区別する基準は何なのでしょうか。
それが共通感覚(コモンセンス)の有無です。
共通感覚とは、「他者の目で見て、他者の耳で聞き、他者の心で感じ」られる能力、要は客観的に物事を見られる能力です。
基本的にアドラーの提示する個人心理学の目的は社会適応です。
社会なしに個人は成立しませんし、逆もまた同じです。

自分の心の殻の中だけで問題を擬似的に解決するのではなく、共通感覚を用いて社会とのつながりの中で問題を捉え解決することが正しいあり方です。
先ほどの陸上走者の例で言えば、トラウマを言い訳にして自分の心の中だけで劣等コンプレックスを解消するのではなく、共通感覚を持って社会の土台の中でライバルより早く走れるように練習することです。
優越性の追及に共通感覚がともなえば人生に有益なライフスタイルを生み、優越性を個人の恣意的な感覚でのみ追求すれば神経症的で無益な人生となります。

 

全体論

ちなみにアドラー心理学は、運命(原因論)と自由(目的論)の対立を含んだ全体性の中で人間をとらえます。
人生ゲームのサイコロの目は神様(運命論)が決める、しかしそれに対してどうコマを進めるかは私が決める(目的論)、という風なスタンスです。
フロイトの欲動をより全体的な「力への意志」へと捉え直したように、つねに全体論の立場をとります。
意識も無意識も対立するものではなく共同で同じ目的へ向かう相補的なものであり、夢も現実も、個人も社会も、心も身体も、過去も未来も、原因も目的も、二項対立の関係ではなく、コインの裏表としてひとつのもの(統一的な人間行動)を成立させている分離不可能なものとみなします。

 

おわり

 

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