概要
本書は1964年東京で最初に出版され、後に1970年ロンドン、1971年ニューヨーク、そして逆輸入的に日本語完訳版(田川律訳)が1982年東京新書館より出版されました。
作品自体は1955年から描き集められたものであり、日本で作られた作品が大半を占めています。
本書のインストラクションを含めた1966年ロンドンの個展において、ジョン・レノンと出会います。
タイトルの意味については、小野洋子本人(以下、ヨーコ)が公式サイトの質問コーナーで“グレープフルーツはレモンとオレンジのあいの子です。ちょうど私の頭がアジアと西洋のあいの子のように。ヨーコ2010年6月7日”と、一般向けに簡潔に述べています。
特に付け加えることはありませんが、1970年代初めに自由化されるまで、日本においてグレープフルーツというものは、世間一般にはほとんど知られていない果物であったということです。
本書の内容は広義に、いわゆる「コンセプチュアルアート(概念芸術)」に区分されるもので、それは平たく言えば「コンセプト(概念)」を重視する芸術です。
最も典型的で厳密なものは、文字による概念のみの提示によって完成する作品であり、要は芸術に大切なのはアイデア(概念)のみであって、制作物や制作過程に意味はない、とする立場です。
分かりにくいと思いますので、本書より10点ほど作品を紹介します。
「かくれんぼ」1964年春
みんなが家に帰るまで隠れること。
みんながあなたを忘れるまで隠れること。
みんなが死ぬまで隠れること。「雪」1963年夏
雪が降っていると想像すること。
あらゆる場所に、いつでも雪が降っていると想像する。
誰かと話している時、あなたとその人の間にも雪が降っていると想像する。
相手が雪におおわれてしまったと思ったらその人と話すのをやめる。「風を描く」1961年夏
植物の種子をたくさん入れた袋に穴を開け、風がある場所に吊る。「夕暮れの光を透かす絵」1961年夏
キャンバスの前に瓶をぶら下げる。
西日がキャンバスに当たる位置を選ぶ。
瓶の影がキャンバスの上に絵を生み出す。あるいは何もうつらない。
瓶の中に、酒、水、いなご、蟻、啼く虫、などを入れる。
あるいは空でもいい。「血」1960年春
あなたの血を絵の具にすること。
a.気が遠くなるまで描き続ける。
b.死ぬまで描き続ける。「凧」1963年秋
ギャラリーからモナ・リザを借りてきて、それで凧を作って飛ばす。
a.モナリザの微笑が見えなくなるほど、うんと高く飛ばす。
b.もっと高く飛ばし、モナリザの顔が見えなくなるようにする。
c.凧が点になるまで飛ばす。「頭の中で構築される絵」1962年春
三枚の絵を注意深く眺める。
あなたの頭の中で、三枚の絵をよくまぜ合わせる。「頭の中で構築される絵」1962年春
金槌でガラスのかけらの真中に釘をうつ。
砕かれたかけらを、無作為に選んだ宛名に送ったと想像する。
それが送られた場所と、そのかけらの形とをメモする。「光」1963年秋
空の鞄を持って出る。
丘の頂に行き、できるだけの光をそこへ詰める。
暗くなって家へ帰り、その鞄を、電球の代わりに部屋の中に吊るす。「身体」1961年夏
夕暮れの光の中で、身体が透明になるまで立ちつくすか、眠りにおちるまで立ちつくす。(オノ・ヨーコ著、田川律訳『グレープフルーツ・ブック』新書館より)
想像芸術
原書をお読みいただければ分かると思いますが、すべて命令形で描かれています(訳者によっては「~しなさい」という感情的なニュアンスの混ざった命令として翻訳していますが、ヨーコ自身はレシピ本や説明書のように「~する」という風にテクニカルな指示として訳出しています)。
ですので、本書は「インストラクション・アート(指示芸術)」としても分類されています。
作家はアイデアの指示のみ提示し、鑑賞者がそれを個々の制作行為を通して制作物として具現化し完成する、という芸術のあり方です。
しかし、「概念芸術」も「指示芸術」も、本書の外見のみから分類されたものであり、実際の内容を考慮すると、むしろそれらとは対極のものであるように思われます。
ヨーコが主題とするのは「想像すること」です。
その内容の多くは、コンセプト(概念)やインストラクション(指示)のように実現を前提としたものではなく、想像を前提とした実現不能なものです。
実際、彼女自身が、これらの指示を物として現実化することより、想像によって完成することを強くすすめています。
だから、もし、本書をカテゴライズしなければならないとすれば、それは「概念芸術」でも「指示芸術」でもなく、「想像芸術」とするべきでしょう。
そういう意味で本書を元に作られたジョン・レノンの『イマジン』は、見事にその本質を抽出した作品となっています。
では、ジョンが見たその本質、ヨーコが想像芸術によって為そうとしたこととは何なのでしょうか。
1971年個展での飯村隆彦氏の優れたインタビュー(『ヨーコ・オノ人と作品』水声社153-172項)を中心にその狙いを見てみます。