抽象の絵画
一般的な定義としては、具体的で何が描いてあるかよく分かる具象絵画に対する、抽象的で何が描いてあるかよく分からないものが抽象絵画です。
けれどそんな外側だけの表面的な定義では、抽象絵画の何であるかという中身(本質)が見えてきません。
まず、抽象化とは一体なんでしょうか。
例えば私が具体的なものしか知らない原始人だとします。
私は目の前の山を見て、竪穴住居の屋根を見て、石器の尖頭を見て、朝顔の花びらを見ます。
何かそこに共通の形態的な本質(ある事物を成立させるために必須な性質を本質といいます)があることに気付き、「三角形」というものが浮かび上がります。
あるものから不要なものを削ぎ落とし、そこから本質として抽出する象(かたち)が、「抽象」です。
抽象化とはそのものの本質や理念の抽出であるため、理念化ともいえます。
例えば、アニメーションのヒロインというものは、大抵女性というものの中からその本質を抽出し、理念化(抽象化)したものです。
その女性の形体の本質(女性らしさ)とは一般にどういうものでしょうか。
男性の幅のある肩に対する小さななで肩、男性の逆三角形に対する三角形、男性の直立した胴体に対するくびれ、等々。
ヨーロッパにおけるコルセットとパニエによる身体の成型は、まさに女性形の理念化です。
さらにこの理念化を突き進めれば、コカコーラの瓶や砂時計のような形になり、しまいにはトイレのマークのようになります(たぶんこれ以上の理念化は不可能でしょう)。
(画像左-アニメ映画『美女と野獣』ポストカード)
私が日本画の龍の壁画に美を感じて、そこから無駄なものを削ぎ落とし、その龍の美の本質を抽出していったとき、残るものは抽象的な有機的曲線美かもしれません。
禅の庭めぐりを趣味としている人が求めているものは、それらの庭に共通する本質的な構成美なのかもしれません。
このように絵画の各要素の本質を抽出していけば、抽象化された根源的な構成(コンポジション)とフォルムと色が残ります。
絵画から徹底的に無駄なものを削ぎ落とし、ストイックに本質を追求していけば、必然的に抽象絵画へとたどり着きます。
(画像上-無料素材煙の写真ネガ反転、画像下-柳亮『続黄金分割』より)
絵画の抽象
しかし絵画は、フォルムと色と構成によってのみできているわけではありません。
それらの要素は写真や映画や彫刻、服飾、建築など、他の芸術分野にもあるからです。
絵画を絵画たらしめている最重要の本質は、「絵の具で描かれたもの」ということです。
絵具の素材感(マチエール)と、手で描くという行為そのものです。
描くという行為の本質を抽出すればアクションペインティングのような抽象絵画になり、絵の具の本質を抽出すればその素材感(マチエール)と有機的偶然性を重視するアンフォルメルのような抽象絵画になります。
(画像左-足で描く白髪一雄、画像右-ジュールズ・オリツキー)
抽象絵画というものは、抽象的な外観で描かれた絵画という意味で「抽象の絵画」であると同時に、絵画の本質を抽出したという意味で「絵画の抽象」でもあるわけです。
前者の奇抜な外観のみに眼を奪われて後者のような本質的な中身を忘れてしまえば、抽象絵画は何が描いてあるかよく分からないものであると同時に、何を伝えようとする表現の当為なのかよく分からないものになってしまいます。
※より詳しく理解したい方は、グリーンバーグの媒体特殊性の項をご覧下さい。