レヴィ=ストロースの構造主義(2)親族の構造

哲学/思想

(1)のつづき

野生の合理性-インセストタブー

芸術的直感のような不合理なものも、隠れた構造によって規定されているように、私たちが理性的に劣った者として見るいわゆる「未開人」の文化にも、合理的な構造が隠れています。

例えばインセストタブー(近親相姦の禁止)は、未開の文化から現代にいたるまで維持され続けているルールです。
このルールを合理的に説明するために、生物学的遺伝の弊害や、心理学的本能(嫌悪)などが挙げられましたが、どれも納得のいく理由ではありませんでした。
そこでレヴィ=ストロースが提示したのが、交換という隠れた互酬性の構造です。

自然と文化を分けるもの、いわば動物から社会-人へと飛躍するために必要な条件が「交換」という互酬性です。
私(男性)が家族(ないしは部族)内で結婚のパートナーを得られないなら、嫌でも他の家族から娶らねばなりません。
また私の家族内の女性は、外部の家族へと嫁がねばなりません。
これにより必然的に他の家族(部族)とのつながりが生じ、社会形成の基盤となります。

「禁止(タブー)」というものが、本来自己充足的に稼動しているサークル内に必要や欠如を生じさせ、外部との交換(つながり)を生じさせます。
多くの文化で自慰が禁止されるのも、それが自己充足的であって外部とのつながり(社会)を衰退させるからです。
ある未開社会において、山の部族の儀礼において山芋を使うことを禁止され、海の部族の儀礼において魚を使うことを禁じられるのは、神が怒るからでも儀礼では希少な食材を使いたいからではなく、「禁止」によって「交換」という社会的サイクルを回転させるためです。

結婚=交換=社会という制度自体を可能にする根源的条件が「近親相姦の禁止」なのです。
この禁止によって欠如が生じ、この欠如が交換(社会的結びつき)というサイクルを稼動させる原動力として働くわけです。
インセストタブーは野性の本能的嫌悪感情などではなく、以上のような合理的な構造を隠し持っているのです。

 

野生の合理性-トーテミズム

トーテミズムとは、未開民族においてある集団が特定の動植物などの自然のものと特別な関係にあるとする制度です。
私の氏族クマ族のトーテム動物はクマであり、私たちの先祖であるクマを殺すことや食べることは禁止されている、などというようなことです。
それを見た文明人である人々は、未開人は人間と動物の区別すらつかないほど非理性的で無知な自然的存在だととらえてしまいます。

しかし、レヴィ=ストロースはトーテム動物と集団のつながりに合理的必然性があることを見出します。
例えば、対立する部族A族とB族があったとします。
さらにその下に部族を二分する半族が対立しあっていたとします。
図式化すると、Aa族、Ab族、Ba族、Bb族の四集団になります。
分かりやすくするためかなり単純化して、仮に以下のようなトーテム動物であったとします。
Aa-クマ族
Ab-ヤギ族
Ba-タカ族
Bb-インコ族
このトーテム動物相互の関係性の構造と、人間集団相互の関係性の構造が、相同的に合致しているというのが、トーテミズムの隠れた構造です。
A族とB族の対立は、陸上の動物と空中の動物の対立に対応。
Aa族とAb族の対立は、捕食関係の対立に対応。
Ba族、Bb族の対立は、捕食関係の対立に対応。

各集団間の社会的関係性の構造が、各動物の自然界における関係性の構造を通して、直感的に類推できるようになっているということです。
それは情報濃度を高める思考のエコノミーともいえ、文明人以上の合理性を持つ思考法です。

漫画『ドラえもん』のキャラクターの関係性を知らない人に対しいちいちそれを説明するのは大変ですが、ジャイアン・ スネ夫・のび太の関係性を、ライオン・ハイエナ・シカというトーテム動物で表現すれば、一瞬でその世界観を把握できます。

 

(3)へつづく