日日是超好日

人生/一般幸福論

 

最近、SNSなどで「今日が一番若い日」という自己啓発的な言葉をよく目にします。
日本の文化人やインフルエンサーが用いて有名になった名言ですが、元はアメリカで流行した言葉のようです(カルト集団シナノンの創始者の名言”Today is the first day of the rest of your life”)。

それとは反対に、「今日は死ぬのにもってこいの日(Today is a good day to die)」というものがあります。
これもアメリカの作家に取り上げられ有名になったインディアンの名言で、元の文脈とは異なる自己啓発的な再解釈がなされています。
常に人生最後の日だと思い、後悔なきよう日々を生きよう、という感じです。

併せて考えると、「今日」は人生最初の日でありながら終わりの日であり、前者は過去を後者は未来を捨象(本質を得るためにあえて捨てる-無駄をそぎ落とす-こと)し、「今を生きる」ことに集中させるものです。
禅仏教の名言で表現するなら「日日是好日(Every day is a good day)」とでもなるでしょうか。

多くの人は、過去や未来と今日と比較し、今日を「悪い日」と考えます。
新入社員は、楽しかった学生時代の日々と今日を比較して悲しむと同時に、未来の夢(目的)と自分の現状とのギャップに苦しみ、二重の意味の涙を流します。
比較をする私の今日は、常に充たされない欠如態であり、「日日是悪日(Every day is a bad day)」となっています。

未来や過去と現在を比較しないチンパンジーは、昨日事故で両脚を失っても、今日のおやつのバナナを全力で喜び楽しみます。
それに引き換え、私は昨日の仕事のミスや明日のプレゼン程度で、今日の食事が喉を通らず楽しめなくなります。
猿は人間と違ってバカだからと思われるかもしれませんが、バカなのは人間の方です。
「バカ」とは知性の無いことではなく、知性を正しくない方(悪い方や誤った方)に使用する者を指す概念だからです。

桜並木を歩く今日、一緒に歩いた亡き妻の記憶によって孤独にうつむき桜が見えない時、私は猿よりバカな者であり、亡き妻の記憶によってより桜を美しく感じる時、私は猿より賢い者となるのです。
お猿さんは、過去や未来に囚われずに純粋に今を楽しむことはできますが、人間のように過去や未来によって現在をより輝かせることはできません。
子供の喜ぶ顔(未来)を思い浮かべながら楽しむお弁当作り(現在)は、単なるお弁当作り以上の経験であり、決してお猿さんには味わえない幸せです。

「日日是悪日(Every day is a bad day)」…現在を常に欠如態として考え、イマを失うバカな者

「日日是好日(Every day is a good day)」…過去や未来と比較せず、イマを純粋に楽しめる者

「日日是超好日(Every day is a very good day)」…過去や未来の思考によって相乗的にイマをより楽しめる賢い者

より具体的に言うと、

誤った知性によって、未来と過去をネガティブに現在と接続し、自ら現在の自分を不幸にするのは「バカな人間」。

知性を用いないことによって、未来と過去を現在に接続せず、無垢で素朴な現在の幸福を味わうのは「自然な人間」。

正しい知性によって、未来と過去をポジティブに現在と接続し、自ら現在の自分を超幸福(素朴な幸福以上の知的幸福)にするのは「英知的な人間」。[註1]

おわり

※註1
「超好日」は「好日」より優れているわけではなく、拡張キットのようなものであり、ベースの好日なしには成り立ちません。
賢くなるためには無知の自覚(無知の知)が必須であるように、誤った知の認識とそれをリセットできる力(戦略的自然人化)によってしか、正しい知は作動しません。
「昨日より状況が悪い今日(ネガティブな昨日と今日の接続)」の場合、「日日是好日」の境地で過去(昨日)から今日を切断し、今日を「好日」にした上で、余裕があったらポジティブに過去や未来と接続し、「超好日」に拡張します。
「悪い」の反動形成として、リセットされずに直接的に生じる躁病的で自棄的な「好い」は、表面上の好さにすぎず、実態はメーターの振り切れた暴走的な「悪い」にすぎません。
「日日是好日」が習慣化すれば、その分余裕も多くなり、「日日是超好日」で居られる時間も増していきます。
いつもご機嫌な人の思考の構造です(知らんけど)。


鳥山明『DRAGON BALL(第三話 悟空海へ走る)』集英社

 

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