無笑(むしょう)の愛

人生/一般幸福論

 

この世界に「無償の愛(自利の無い利他)」など、現実的にはあり得ません。
現実的な利他的な行為(愛や善行)とは、自と他の(種類の違う)利が両立する(いわゆるWIN-WIN)状態を指します。
例えば、アンパンマンが自分の身体を犠牲にして餓えた他人を助ける時、他人はお腹を満たし、アンパンマンは心を満たし、利他と自利が同時に成立しています。

利の種類が同じだと、我欲(自利)と愛(利他)がバッティングし矛盾が生じる為、上の例(お腹と心)のように、必ず違う種類の利得である必要があります。
もし、他者のWINが無い(一見)利他的行為をなす時、私はただの偽善者となります。
もし、自己のWINが無い(一見)利他的行為をなす時、私はただの奴隷となります。

見返りを求めない真の愛(自利なき利他)というのは、利得の種類が異なることから生じる見誤りです。
アンパンマンが無償の愛と言われるのは、心は見えないものだからであり、人助けによって彼の心が満たされるという自利の部分が気付かれにくいためです。
(偶然の要素を除けば)無償の愛には、例外なく、何らかの見えにくい自利が、その動因としてあります。
つまり、「ギブアンドテイク(自利と利他の両立)」のテイク(自利)の部分が見えにくい特殊な様態が「無償の愛」と呼ばれるものです。

「それじゃあ単なる取引(交換)と変わらん、アンパンマン的な愛や善行の何が素晴らしいんだよ!」という問いが生じてきます。
それに対しては、サン=テグジュペリ的な「見えない大切なもの」を、「即物的なもの(金や食い物や勲章や女など)」より重視する稀有な行為だから、と答えます。
無償の愛(自利なき利他)だからではなく、心や絆や美や真理や正義や倫理などの「見えない大切なもの」を得るために、その対価として即物的なものを支払うことのできる人だから尊いのです。

『星の王子さま』1943年

正しく機能している愛には、必ず互いの笑顔があります。
世間で無償の愛と言われる多くのものは、私の笑顔が無かったり(奴隷化)、他者の笑顔が無かったり(偽善化)する、無笑の愛となってしまっています。
無笑は愛の機能不全のバロメーターであるのです。

 

おわり

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