人間の心と身体は連動しているので、心(思考)を良くするには身体を、身体を良くするには心を整える必要があることを、哲学者のアランは述べます。
この心と身体の相関関係は、医学的にも心理学的にも実証されています。
例えば、人は支配者のような身なりや振る舞い(演技)をしているうちに心(思考)まで支配者的な尊大なものになり、反対に、奴隷のような身なりや振る舞いをしていれば心まで奴隷的な卑屈なものになります。
幸せな時にその心を身体的振る舞いにすれば、そのポジティブな振る舞い(当に「幸せなら手を叩こう」)が心をより幸福にし、好循環の螺旋的上昇が生じます。
不幸な時にその心を振る舞い(重い足取りや溜息など)にすれば、そのネガティブな振る舞いが心をより不幸にし、悪循環の螺旋的下降が生じます。
つまり、心と身体の連動によって、幸福はより幸福に、不幸はより不幸に向かう傾向が生じるという事です。
ということは、手を叩くべきは幸福な時より以上に、不幸な時なのです。
仕事で失敗したり、健康上の問題があったり、人間関係が上手くいかなかったり、何らかの不幸な出来事によって、うつむいてトボトボと歩いている時にこそ、(まるで幸せな人のように)顔を上げリズミカルに歩く必要があるのです。
心と身体の連動の影響力が、状態をひっくり返すほどの力はなかったとしても、少なくとも悪循環の螺旋下降のサイクルを食い止めることはできます。
振る舞いによって不幸な心を幸福な心に出来なかったとしても、(被害妄想的あるいは悲劇的に沈下していく過度な不幸を防ぎ)最低限の不幸の心で留めることができるのです。
現代の日本は不幸(およびそれによって生じる不寛容)な人が多く、幸せな時にそれを態度で示せば(つまり手を叩けば)、”煽り”として捉えられ、袋叩きに合う可能性があります。
ですから、テストの点数が良かっても、子供が生まれて嬉しくても、仕事が好調で楽しくても、周囲の嫉妬を恐れ、あるいは気を遣い、幸せを態度で示すことができず、幸せの螺旋的上昇を生み出せない状況にあります。
日本人は、せっかくの幸せの上昇を自ら制限し最低限の幸せしか享受せず、それでいて不幸の下降は無制限に許しているという最悪の状態なのです。
幸せなら手を叩き、幸せを最大化し、不幸せでも手を叩き、不幸せを最小化させる、などと言えば、いつも手を叩いて笑っているハッピーな感じのヤバイ兄ちゃん(大体タトゥー入ってる)みたいですが、それで良いわけです。
(周囲から見て)アホであることを恐れていれば、たぶん(手を叩くことを禁じ不幸を標準化しようとする今の日本では)幸せにはなれません。
「幸せなら(嫌われる勇気をもって)手を叩こう」「不幸せなら(しんどいけど頑張って)手を叩こう」という感じです。
おわり
