闘ってから死ね

人生/一般幸福論

 

運命の女神は気まぐれです。[※註1]
何の根拠もなく気分次第で、誰かに幸運を与え、誰かに不運を与えます。
おまけに意地悪なので、不運に喘ぐ人間を見ると、加虐心を煽られ、さらに不運を追加してきます。
まるで少女漫画に出てくる依怙贔屓がハンパないイジメのリーダーのようです。

彼女のイジメのターゲットになると、人は徐々に人間らしさを失っていきます。
古くから人間の本質(人間らしさ)と言われる、思考や愛や笑いや絆などを失い、無機質な物のような存在へと変化していきます。
不運の中では、人間であることを止め物体となることが、最大の防御となるためです。
考えることを止め、誰をも愛さず、笑顔を失い、孤独に浸り、もう何も感じず欲せず期待せず、己が無になることによって、同時に不幸をも無にしてしまおうという、心の自殺です。

しかし、昔の偉い人は言います。
そんな我儘な運命の女神に対しては、抵抗し、人間の力を見せつけ、分からせてやり、むしろ手なずけてやれ、と。
どんな不運に見舞われても、決して挫けず、よく考え、よく笑い、よく愛し、人間らしく生き、人間様の力をフル動因して不運に全力で抵抗し、はじき返し、己の力で女神から幸運を奪い取るのです。
たとえ、死に至るような負け確定の不運であったとしても、死ぬ瞬間まで笑っていられたなら、それはもはや神に対する勝利宣言とも言えます。

全世界のイジメられっ子は、覚悟を決めて、一緒に闘いましょう。

 

おわり

※註1
「運」という不条理で捉えどころのないものを神という形で人格化し、対象化することで、それに対する意志的な行動が可能となり、情熱的な動機付けが発動します。多くの人にとって、神は存在というより機能です。その機能によって、不運な出来事を克服することを目的とするものです。それが不運な状況に居る私を癒す優しい神さまであっても、私に不運な状況を乗り越えさせる反骨的な情熱を燃え上がらせる意地悪な神さまであっても、変わりはありません。目的に対するルートの違いです。

 

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