目的論的自然観
例えば、石を手から離すと、必ず下に落ちます。
まるで石が目的を持って、自分のあるべき場所を目指し、運動しているようです。
これは自然のすべての事物に当てはまります。
それだけでなく、自然の諸事物の形態も、目的を持って作られているようです。
水辺に棲むカモの足には、泳ぎやすいように水かきがついており、木に棲むキツツキのくちばしは、餌を採りやすいピンセットのように長くなっています。
そんな風に、自然はすべて合目的的に在ります。
当然、目指すもの(目的)は、諸事物にとって善いものです。
善いものとは、あるべきものが、あるべきところにあろうとする「調和」や「秩序」です。
運動するものは常に欠如(不調和)を抱えており、完全(調和)に向けて満たそうとします。
ガリレオ温度計の中間に浮かぶ玉のように、下にありすぎると上に行こうとし、上にありすぎると下に行こうとし、ちょうどよい釣り合いの場所に至った時、欠如は充たされ静止します。
子犬は凍えれば暖かい場所を探し回り、母犬の場所にたどり着き懐で温められると静止し、安らかな眠りにつきます。
このように、自然の諸事物は、欠如のない最適の状態である「調和」を目指すのです。
自然とは調和への動きそのものであり、この調和を普遍化一般化してとらえられた、事物が目指すべき完全な調和が、「不動の動者(後述)」と呼ばれるものです。
四原因説
物事の真理を知るとは、表面的な知識ではなく、原理原因から知ることです。
人間の知能は、単純な知覚や記憶から、経験知、技術知を経た後、原理原因を知る高度な知へと達します。
そして、この極めてよく出来た合目的的な世界の真理を知るために、アリストテレスは自然の諸事物の原理原因として、四つの要因を取り上げます。
1.「質料因」は諸事物を成り立たせる素材にあたるもの。
例えば、日本家屋の質料因は「木、土、石」。
2.「形相因」は諸事物を成り立たせる本質(何であるか)、定義、形式等の設計図にあたるもの。
例えば、日本家屋の形相因(本質)は「設計図」。
3.「始動因(作用因)」は諸事物の運動や転化に先立つ諸事物。
例えば、日本家屋の始動因は、「大工」。
4.「目的因」は諸事物の運動や転化の向かう目的となるもの。
例えば、日本家屋の目的因は、「居住」。
質料因(物)と形相因(理念)、始動因(はじめ)と目的因(おわり)が対になり、この二つの軸(次元)の絡み合いによって、事物および運動が成り立っています。
形相因と目的因は基本的に同じものを別の側面(次元)から見たものです。
例えば、カモの水かきの形状(形相因)は、「泳ぐためのもの」というその目的(目的因)とハイフン(-)でつながれており、切り離すことができません。
質料と形相の関係
質料と形相の関係は、何を見るかによって異なります。
例えば、人間を現象的(感覚的)物的な面で見た場合、人間の形相は人間特有の形(身体構成)であり、その質料は細胞です。
人間を理念的(思惟的)な定義として見た場合、「理性的動物」となりますが、この時、類である「動物」が質料、種差である「理性的」が形相となります。
ちょっと分かりにくいですが、一般的な概念である「動物」を素材として、特殊化された限定的なものとして「理性的動物」になるという、論理的な意味での質料で、「思惟的質料」とも呼ばれます(言語学的分節をイメージすると分かりやすいかもしれません)。
さらに、この形相と質料の関係は、どこを見るかによっても異なります。
例えば、人間ではなく細胞に視点を当てた場合、「元素」が質料となり、「細胞(細胞特有の構造)」が形相となります。
例えば、人間ではなく動物(動的生物)に視点を当てた場合、類である「生物」が質料となり、種差である「動性(自発的運動)」が形相となります。
ある形相は別の形相の質料であり、ある質料は別の質料の形相であり、質料と形相は類種関係の階層構造をなしています。
前者の例であれば「個体-器官-組織-細胞-元素」という階層構造となり、後者であれば「理性的動物-知能的動物-動的生物-生物-物」というような形になります(あくまで一例です)。
可能態と現実態
「形相(=イデア)」を独立したものとして扱う師のプラトンと異なり、アリストテレスにおいては、先に述べたように、「形相」と「質料」がひとつの事物のうちに内在しています。
そのために導入されたの概念が、「可能態(可能性)」と「現実態(現実性)」です。
静態的なイデア論の世界に、運動や過程や時間の契機を導入することで、その問題点を解消しようとします。
例えば、犬は、まだ母犬の胎内の受精卵の状態の時すでに、遺伝子情報という設計図(犬の本質)である「形相」によって、将来犬として成長することが可能態(可能性)として包蔵されています。
その可能態(可能性)が現実化し、成長した犬となった時、それを現実態(現実性)と呼びます。
運動(転化)
アリストテレスは自然の運動(転化)を四つのものに分けます。
1.位置の移動
2.質の転化(実体に付帯する二次的なものの変化、例-紅葉)
3.量の転化
4.実体の転化(実体そのものの変化、例-生成消滅)
運動(転化)とは、可能性を持ったもの(可能態)が現実性の実現(現実態)へ向かうことで、静止とは、可能性(可能態)が現実性(現実態)へ向かう活動をしていない状態です。
形相と質料が相対的なものであったように、可能態と現実態もそれに呼応し、相対的なものとなっています。
例えば、スギの木はスギの木として見ると、可能態(種子)が生育(転化)し現実化した現実態ですが、家の材木として見ると、家という現実態へ向かう可能態です。
木造建築を形相として見た場合、普段は形相として見られていたスギの木が質料として見られるのと同じことです。
それぞれの関係
現実態と可能態の関係性を言い換えれば、それは目的と手段の関係です。
世界とは、その何層にも重なった「目的-手段(現実態-可能態)」関係の網によって、成り立っています。
例えば、種子(可能態)はスギの木(現実態)を目指し、スギの木(可能態)は材木(現実態)を目指し、材木(可能態)は家(現実態)を目指し、家(可能態)は…。
形相「何であるか」とは、「何のためのものか」という手段-目的(可能態-現実態)に関係を基礎として成立します。
例えば、「かなづち」の本質(形相)は、「釘を打つためのもの」です。
分かりやすく言うと、形相と質料の関係、現実態と可能態の関係、目的と手段の関係は、それぞれ対応しており、それを媒介するものが欠如、運動です。
運動(転化)の原理を強引にまとめると、以下のようになります。
「質料=可能態=手段」→(欠如を埋めるための運動)→「形相=現実態=目的」