リースマンの『孤独な群集』三つの社会的性格

性格と社会

社会的性格(キャラクターの意)とは、「イタリア人は陽気、日本人は真面目、アメリカ人は実利的」などと言われるような、その社会の成員が一般的にもつ性格特性を表したものです。
社会的性格は、その社会が必要とする特性を獲得するように形成されます。
その社会が上手く機能するために、その成員が為すべき行為をしたくなるような性格を得ることです。
いわば外的(社会的)な要求(命令)が、内的(個人的)な欲求として転化される必要があります。

この社会と性格の結びつきを保証するものが「同調性」です。
本書では、「社会的性格」いう概念を、この「同調性の様式」と同義のものとして扱い、その同調性の様式(社会的性格)が社会環境の変化と、どういう関係にあるかを記述することが目的です。

人口統計学による三つの類型

今回、カテゴリー分けの基準とするものは人口の変化です。
人口成長における三つの段階が、異なった同調性を生み、それぞれに固有の社会的性格を形成します。

第一「高度成長潜在的な社会」
人口曲線の谷(底辺)にある横ばいの部分です。
出生と死亡数が等しく、高い死亡率を減少させる何か(医療や食糧問題の解決など)が起これば人口爆発を生じさせる、潜在的可能性を有する社会です。
この社会における成員は、伝統に従うことによって同調性(社会的性格)を保つ「伝統指向型」であり、そういう社会を「伝統指向に依存する社会」と名付けます。

第二「過渡的人口成長期の社会」
人口曲線の山へ向かう急な上昇部分です。
この社会における成員は、幼児期に社会的目標のセットを内在化する(植えつける)ことによって、その同調性を保つ「内的指向型」であり、そういう社会を「内的指向に依存する社会」と名付けます。

第三「初期的人口減退の社会」
人口曲線の山頂から下降へ向かい始める部分です。
死亡率の減少の後を追って出生率も減少し、成長率は横ばいから徐々に下向きになります。
中年および老年者の多い社会で、出生死亡率が共に低い横ばい状態で、第一段階の横ばい(出生死亡共に高)とは真逆になります。
この社会における成員は、外部の他人の傾向に敏感であることによって同調性を保つ「他人指向型」であり、そういう社会を「他人指向に依存する社会」と名付けます。

以下、これらを一つずつ詳細に見ていきます。

高度成長潜在期・伝統指向型

地球上の多くの地域が未だこの段階にあります。
この社会における死亡率は非常に高いのですが、出生率も高い分、社会は破滅をまぬかれます。
社会を崩壊させるような人口変動を抑える社会的慣行が制度化されているため、その伝統に従うことで社会は安定化されます。
平和的な方法で解決されない場合は、間引き(特に女児)や人口流産、人身御供や組織的な戦争、犯罪等も含め、野蛮(非文明的)な方法が慣習とされます。

各個人は、年齢、氏族、職業、カーストなどの固定した集団の一員として同調性が保証され、その行動様式を学び調和した生活を送ります。
伝統に対する服従は、個人に所属感(アイデンティティー)を与え、先天的に与えられた所属集団の枠組みが個人の人生目標の限界を定め、安定したものとなります。

だからといって、彼らが幸せだというわけではありません。
成長した社会とは別種の不安や競争が存在し、ただ生活や社会の変化のスピードが違う(緩慢である)ということです。
他の社会に比べ、相対的に変化のスピードが遅く、血縁集団への依存度が高く、価値体系が固定しているということであり、テンニエスの言う「ゲマインシャフト」にほぼ対応しています。

この同調性の様式(社会的性格)において、情緒的な面で行動を律するものは「恥」の意識です。

過渡的成長期・内部指向型

死亡と出生率が相対的に安定していた成長潜在的な社会の中で、例えば保健衛生の向上、交通通信の改良、農業技術の革新などの、死亡率を大きく低下させる変化が起きる時、人口が急激に増加します。
社会の慣習的な方法ではこの変化に対応できず、新しい社会組織に見合う、新しい性格構造が必要とされます。
伝統指向の同調性や安定した生き方は一気にひっくり返されることになります。

成員の流動と選択の自由および、いわゆる人・モノ(生産)・金・情報の拡大、そうして伝統的な共同体カテゴリーと安定が壊れていく中で、個人はイニシアティブを必要とされます。
伝統指向(外部)に頼らずに個人として社会の中で生きるこのタイプの人間が「内部指向型」です。
それは個人の方向付けと起動の力が内部にある人間であり、その内部にあるものは青年になるまでに大人によって植え付けらます。
それはある種の宿命のように働き、内部指向型の人間の行動と人生を制御します。

伝統指向型に比べ、人生の選択や手段において自由であるかのように見えますが、具体的な部分においてではなく、一般的な観念の上で制限されることになります。
分かりやすく言うと、伝統は外的で厳密な強制から、内的で一般的な統制へと姿を変え、内側から人間を制限します。

開かれた自由な社会に出ても個人を制御しつづけるために、心理的なジャイロスコープが親や権威によって埋め込まれます。
それは、外的な環境からの不安定な衝撃を受けてもしなやかにバランスを保ち、倒れることなく針路上に乗せておく機能を果たします。

この同調性の様式(社会的性格)において、情緒的な面で行動を律するものは「罪」の意識です。
内面化された権威の審級はフロイトの言う超自我および良心にあたり、そこからの逸脱が罪悪感を生じさせるという面も同様です。

初期的減退期・他人指向型

社会の発展にともない、第一次産業(農林魚業など)の従事者が減少し、次いで製造業従事者も減少し始めます。
児童労働力の必要性がなくなり、就業において高度な知性が必要になってくると、子育てというものが量から質へと変化します。
そうして出生率が低下し、死亡率に追いつくようになると、社会は初期的人口減退期に入ります。
成員は物質的に豊かになり、余暇が増え、中央集権的な官僚制社会の中に生きることになります。

こういう社会の変化の中で、内部指向的な自主性や進取性や禁欲姿勢(ぶれることなきジャイロスコープ)は必要とされなくなり、物質的な環境や個人ではなく、精神的な環境と他人が問題となってきます。
E・フロムの言う「市場的性格」、資本主義社会における市場の需要の変化に合わせて、自分の価値観を適応的に変えていけるような、他人指向の人格特性を持つレーダー型の人間「他人指向型」が生じます。
自立するジャイロスコープではなく、つねに他人(経済、政治、メディアなど全て含む)の意向や流行に敏感に反応するレーダーによって感知したものによって、自分を制御します。

個人の方向付けを決定するのは、つねに他者(同時代人)です。
それは伝統指向型のように狭いサークル内における行動面の意識的な同調ではなく、マスメディアを介した広い他者の信号を、心理的な感受性によって無意識的に身についていく同調性です。
流行に敏感であり、承認欲求が強く、多数者(世論、群集)と共にあることに安心を見出すような人間のあり方です。

この同調性の様式(社会的性格)において、情緒的な面で行動を律するものは「不安」の意識です。

おわりに

ここで描いた社会や人格(性格、キャラクター)は、実在のものではなく、あくまでも類型(一般化されたモデル)であり、研究のための仮設的な構築物です。
また、これら三つの類型に価値の優劣はなく、他人指向が悪いとか、内部指向が良いだとか言うのは、自分の時代的価値観に依って見るアナクロニズムに過ぎません。

最後に、本書のタイトル「孤独な群集」にどういう意味と思いが込められているかを見てみます。
ちなみにここで言われる“内部の可能性”は、内部指向という意味ではありません。内部指向型は外部を内部に取り込んだだけであり、本当の内部(自分)に出会っていません。

もしも、他人指向的な人間が自分がいかに不必要な仕事をしているか、そして、自分自身の考えだの、生活だのというのがそれ自身他人たちのそれと同じようにじつに興味深いものであるということを発見するならば、かれらはもはや群集の中の孤独を仲間集団に頼って、やわらげることをしないでもすむようになるであろう。人間はそれぞれの個人の内部にくめどもつきない可能性を持っているのだ。そのような状態になったとき、人間は自分自身の実感だの、抱負だのにより多くの関心を払うようになるにちがいない。(加藤秀俊訳『孤独な群集』みすず書房、最終項より)