問題意識とは何か

人生/一般

問題意識

社会に出て働き出すと、職場の先輩や上司は例外なく「問題意識を持て」などと言います。
世界平和や飢えた子供を救うというような大きな問題解決を仕事にする人ならまだしも、私達のような普通の仕事、毎日定食を作ったり、荷物を運んだり、電話に出たりする作業で「問題意識」とか言われても、正直何を意味しているのかイマイチ分かりません。
本頁ではそれについて考えてみます。

問題意識とは言葉を変えれば、目的意識、課題意識です。
いわば私のなす作業や仕事が、問題の解決や課題の達成になるようにしなければならないということです。
では、問題意識を持たないことで生じるデメリットとは何でしょうか。

 

デメリット1、目的の忘却

基本的に行為というものは、何らかの目的に向けてなされるものですが、それが習慣化されて「慣れ」になると、目的そのものに目が向けられなくなります。
例えば、私が毎日歯を磨く目的は、虫歯にならないための健康への投資であったり、社会人として口臭で他者に不快な思いをさせないためであったりするわけです。
しかし、目的を意識せず、ただ手の慣れだけで歯を磨くようになると、本来の目的を適切に達成できなくなります。
機械的な手の往復運動だけで磨いていると、細かい磨き残しの蓄積が虫歯を生んだり口臭を生んだりします。

いわばこれが問題意識を持っていない状態です。
ハミガキ程度ならまだしも、これが大事な受験勉強や、大きな責任を伴う仕事(例えば航空機パイロット)であった場合、問題意識を持たないことがどれほど危険かは簡単に想像できます。

 

デメリット2、進歩の喪失

目的の達成は、常に次の目的を生じさせます。
そしてその連続によって、私たちは階段を昇るように徐々に高度なことが実現可能になり、進歩していきます。
目的の達成は、次のステップへ進むための課題であり、これが課題意識です。
先に取り上げた目的の忘却は、当然この課題意識の喪失につながり、私は一生、進歩しないことになります。

例えば、女学生のAさんは毎朝習慣として45分ジョギングしています。
同級生で国体の長距離走者を目指すBさんは、毎日授業の後、練習として45分走っています。
一年後、最初は同じく6kmを45分で走っていた両者に倍以上の開き(Aさん45分6km、Bさん45分12km)が出ます。
365日×45分で、同じ225時間ほど走ったにもかかわらず、これだけの差が出るのは、結局、毎日問題意識を持って走っているかどうかの違いの一点です。
今日の行為の結果(タイム)を、次の行為のステップとし、つねに課題意識を持ちながら走った結果生じる差です。

30年経っても同じレベルの仕事をする下働きの料理人と、数年で一流料亭の調理長を任せられる者の違いは、この課題意識の違いです。
課題意識を持たなければ、永遠に同じステップに留まり、課題意識を持てば、どんどんステップを上がっていくことになります。

 

反省と修正のプロセス

この問題意識というものを最も必要とする職業は何かというと、科学者です。
彼らは問題の解決及び課題の達成のエキスパートとも言えます。
「問題意識を持て」という言葉は本質的に「科学的であれ」と似たような関係にあります。
科学のプロセスを分かりやすくいえば、仮説と実験の積み重ね、いわば反省と修正のプロセスです。
なんらかの問題を解決するために仮説を立て、それを実験によって正誤のふるいにかけ、その実験結果のデータを反省材料にして仮説を修正・補強し、最終的に問題解決を可能とする説を生み出します。

彼らには文系にありがちな「考えること」と「動くこと」の分離がありません。
つねに動くこと(実験)は考えたこと(仮説)の具現化であり、考えること(仮説)は動いたこと(実験)の結果から検討されるものです。
科学においては、思考と行動が両の足のようになって、お互いを必要不可欠のものとしながら歩いていきます。
科学が着実に進歩するのはこのためです。

 

具体例

よくドラマや小説などで、単純作業の代名詞のように扱われる仕事である皿洗いの仕事を具体例としてみます。
皿洗いという仕事において問題意識を持つとは、一体、どういうことでしょうか。

洗い場の仕事で目的となる理念といえば、「より早く、より衛生的に、より安全に(食器の破損及び怪我の防止)」などでしょうか。
その目的に向けて、まずどうすればよいかの方法を考え(仮説)、その方法を実行しながら働き(実験)、その日が終われば上手くいった点と駄目だった点を反省し(仮説の修正と補強)、それを元に次の日はたらきます(再実験)。
一日一生懸命働いて(実験)、その実験結果を反省し新しい方法を考え(仮説)、次の日にその仮説を実験しながらまた働く、の繰り返しです。

洗い場程度の作業で大げさな、と思われるかもしれませんが、偉業をなす人の多くは、こういう小さなステップから大切に充実させながらこなしていきます。
実際、このプロセスを踏めば、驚くほどのスピードでその仕事が上達しますし、単純作業ですらまるでゲームを攻略するかのような楽しさと達成感が生じます。

 

物理的な場と心理的な場の違い

問題意識をもたずにただ働くだけでは、かの有名な、延々と繰り返し重い石を運ぶだけのシジフォスの徒労です。
しかし、問題意識を持つ者にとっては、毎日外観は同じことの繰り返しでも、心理的には日々まったく違う状況の中で生きることになります。

例えば、テレビゲームのレースゲームで同じステージを何の問題意識もなく繰り返しやらされれば、それは地獄でしかありません。
けれど、それが同じステージのタイムアタックという問題意識になれば、コースのひとつひとつの細部をより効果的に攻略する試行が生じ、見た目は同じコースでも、毎回アタックする度に、違うコースとして認識されるのです。
万一、それが同じコースと感じられたなら、それは自分が成長していない証拠であり、同じステップを踏んでいる停滞状態だからです。

仕事自体の楽しさと、仕事の上達は比例します。
仕事が楽しくないなら、問題意識を持たずに、あるいは持てない仕事をしている証拠です。
仕事が楽しいのに上達しないなら、それは人間関係などの仕事に付帯する二次的なものを楽しんでいるだけであって、仕事自体はおざなりにしている証拠です。

 

問題意識を持っても停滞するなら、次のステージへ

物事の上達は、上へ上がれば上がるほど、それに必要な努力量が指数関数的に増大します。
90km/hの球速のピッチャーが120km/hの球速になること(30km/hアップ)はたやすいですが、160km/hの球速のピッチャーが10km/hアップの170km/hになるには、その何十倍もの努力が必要です。
トッププロのレベルになれば、紙一重の差を抜け出るために、死ぬほどの努力が必要になるわけです。

どんな仕事でも一般的なレベルのものなら、科学的な反省と修正のプロセスによって確実に上達し、すぐに飽和状態に近くなります。
そうなれば、いくら問題意識を高く持っても、ある種の停滞感から抜け出せなくなります。
その時はもう、次のステージへ移る時です。

自分の今の経験を生かしたより高レベルの同職種の場所へ移るべきか、それともまったく新しい場所へ行くべきかは分かりません。
いずれにせよ、この反省と修正のプロセスを知るかぎり、どんな職種に就いても、ある程度の高いレベルまでは、確実に昇ることができます。
その先にある頂きに立つためには、才能や、運や、環境などの要素が必要になってきますが。

大したレベルでもないのに、才能や、運や、環境のせいにする人がよくいます。
しかし、そういう要素が必要になるのは、もっと高いレベルにいる人達の世界です。
一般的なレベルでそういう言い訳の言葉を持ち出すのは、非常におこがましいことです。
大抵の問題は、問題意識の有無(反省と修正の努力)によって解決します。

 

おわり

 

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