マキアヴェリの『君主論』(かんたん版)

<まとめ>

二、
世襲による君主政体の維持は容易である。
伝来の秩序に従い普通に対応する能力があれば問題ない。

三、
新興の君主政体は軍事力によって新しい臣民を獲得するため不安定で、臣民の心を掴めなければ反乱によって失う。
しかし、反乱の鎮圧に成功し、危険分子を一掃すると安定する。

獲得した領土の文化が似たものであれば、そこの君主の血筋を消せばよいだけで、保持は容易である。
しかし、文化に差異ある不安定な地域を得た場合は、征服者自身がそこに住みつき、逐一問題に対応することで、臣民を満足させ反逆者を抑止する必要がある。
別の方法は、一部に植民兵を送り込み、略奪によって費用をまかない、恐怖を隣人に見せつけ従順にすることである。
人は些細な危害には復讐するため、復讐の恐れがなくなるほど徹底的にやらねばならない。

四、
君主政体には、一人の君主とその下僕(大臣など君主の補佐役)によって治める方法があり、君主以外に上位者がいないため、君主の権威は非常に大きい。
団結が堅固でこれを征服することは難しいが、征服に成功しさえすれば、その保持は容易である。

君主政体には、一人の君主と諸侯たち(貴族など)によって治める方法があり、上位者への親愛は、諸侯へと分散されている。
権力が分散しているため征服には易しいが、その保持は難事である。

五、
獲得された地域が自治され自由に慣れていた場合は、それらを壊滅させるか、固有の法を認めつつ支配者との親密を保つ寡頭政(少数者による支配体制)を立てるかであるが、後者の方が容易である。

六、
実力によって君主になった者の困難は、新しい統治の制度の導入である。
改革者は、旧制度の受益者たちを敵に回し、新制度の利益の不確実性が支持者を消極的にさせる。

そこで重要になるのが改革者の実行力になる。
武器もつ預言者は勝利し、武器なき預言者は破滅する。
新しいものを説得によって信じさせることはできても、変わりやすい人間の心をつなぎとめることや、懐疑的な人間を信じさせることはできず、武器による強制力が必要になる。

七、
幸運(あるいは他力)によって、過程の労苦なしに君主になる場合は、何の準備もなく困難に対処していかねばならないため、その保持は極めて難しい。
自らでその地位を保つ術も力も持たず、君主となる前に揃えておくべき基礎を、今から作り上げる能力もない(その君主が大きな力量をもつ者であった場合は不可能ではない)。

八、
残虐な手段によって君主になった者は、幸運や他力ではなく自力で君主への階段を昇りつめる。
しかし、同胞を殺し、裏切り、信義も慈悲も宗教心もない、そんな行動を力量や有能などと呼ぶわけにはいかない。
それにより権力は獲得できるが、栄光を獲得することはできない。

残虐によって政体を保持する為には、残虐行為は一挙に為し、その後は常用せず、可能な限り臣民の利益の擁護に方針を転換し、安心を与えることが必要である。
人々が苦しむ残虐行為の時間を短くし、恩恵はゆっくり味わい感謝の念を起こさせるよう、少しずつ施す。

九、
同朋の好意と支持によって君主が生ずるのは、民衆と貴族の両党派の利益争いにおいて自陣が不利になった時、自分達の中の誰かに名声や評判を集中させ、君主として持ち上げ、それによって都合のよい有利な体制を作ろうとする時である。
民衆は貴族に比べ命令を下しやすく、求める満足も貴族より易しく常識的で、民衆は数が多く敵に回すと危険である。
なので、誰に支持され君主になろうと、民衆を味方につけねばならない。

十二、
軍隊は、自己の軍、傭兵軍、援軍、から成る。
傭兵は秩序なく野心的で忠誠心を欠き、金の為に虚偽の勇敢さを繕い、給金のために散々攻撃を引き延ばした後、戦争が始まると逃げ出す、役立たずである。
仮に傭兵が有能であっても、雇い主を圧迫し、自己の権力の強化を狙う。

十三、
援軍は傭兵と違い優秀だが、援軍の敗北は同時に君主の滅亡を、援軍の勝利は君主が彼らの虜になることを意味する。
援軍の団結力は強く、いかなる時も本来の君主の命令に忠実で優秀である分、非常に危険な存在である。

賢明な君主は自己の軍に専心し、他者の軍によって勝利するよりも、自己の軍によって敗北することを選ぶ。
他者の力による勝利など、真のものではないと考える。

十四、
君主の唯一の職務は軍事に関する事のみであり、軍備以外のものに心を向けた時、政体を失う。
武力を持たない君主は侮られ、武力を持つ者が持たぬ者に従うこともなく、武力を持つ者の中で持たぬものが安全であることも普通ありえない。
君主は平時においても常にそれを考え、戦時において以上の訓練を為し、実践面は当然として、精神・知性面も訓練する必要がある。
平時において安逸に流れず努力し、逆境においてそれを役立て、どんな運命にも耐えられるよう備える。

十五、
現実を考慮せず理想ばかりを追う既存の君主観(君主=有徳者)は、破滅を導く。
すべてにおいて善い活動を目指す理想主義者は、不徳がはびこる現実の中では破滅する。
君主は状況に応じ、善からぬ者にもなりうる術を持たねばならない。
必要なのは、その地位を脅かすような悪評を避けることであり、善人(有徳者)であることではない。
政体を救うために悪徳が必要な場合は、悪評を恐れてはならない。

十六、
見栄のための気前の良さは身を滅ぼす。
本当の気前の良さは地味で実際的で目立たず、評判を得るまでに時間がかかる。
倹約によって地道に財力を強化することによって、侵略者から防衛する軍事力をもち、臣民に重税を課さず、経済がうまく回り、時が経つにつれその豊かさが人々の目に明らかになった時、君主は本当の意味で「気前が良い」という評判が得られる。

十七、
君主は慈悲深くあるべきだが、誤った慈悲は破滅を導く。
平和の実現のためには、時に冷酷を選ばねばならない。
多くの殺戮と略奪を生む無秩序を、慈悲によって放置するより、原因となる少数の者に冷酷な処罰を為す方が、本当の意味で慈悲深いことになる。

君主は、愛されるより恐れられる方がよい。
なぜなら、人間は、恩知らずで、移り気で、嘘吐きで、臆病で、貪欲であるから、君主が恩恵を与えている間は集まり愛してくれるが、いざ危機が訪れたら、裏切り、逃げていく。
人間は愛よりも恐れによってつなぐ方が安定する。
愛される場合、主体は他者であるが、恐れられる場合、主体は君主である。
賢明な君主は自分の意志に属するものに拠って立つべきである。
しかし、憎悪は破滅の種になるため、君主は憎まれないように恐れられなければならない。

十八、
信義を守る誠実な人間は賞賛に値するが、君主はそれだけではいけない。
闘い方には、人間に特有な「法によるもの」と、獣に特有な「力によるもの」があり、現実の闘いでは両方が必要になる。
獣の力といっても、獅子のような力だけでなく狐のような狡猾さも要る。

信義の履行が自分に損害を与えたり、約束の動機が失われた時は、それを守る必要はない。
人間がみな善良であれば守るべきだが、現実の人間は邪悪である。
同じ状況になれば、皆が守らないような信義を、守る必要はない。

君主が優れた資質を実際に持つことは時に危険であり、持っているかのように見せかけることが重要である。
見るからに慈悲深く、信義に厚く、人間性豊かでありながら、必要に応じその逆の人間になる術を知らねばならない。
だから君主はそういう善き資質を持っていない事実を明かしてしまうような言葉や行動を慎まねばならない。
大衆は外見と結果だけで物事を判断するため、君主はそれらさえ備えていればよい。

十九、
軽蔑を避けるため、君主は、堂々とし、重厚で、勇敢で、断固たる態度で、偉大な者として見られるよう気を配らねばならない。
外部からの脅威は優れた軍備によって防ぎ、臣民からの密かな脅威は、君主への敬意によって防がねばならない。
政策によって臣民に満足と安心を与え憎悪を抑え、人格によって臣民からの敬意を得ることによって軽蔑を抑え、内部からの脅威を防ぐのである。

二十一、
君主が尊敬を得るために最も有効なことは、自らが偉大な事業を成功させ、圧倒的な模範を示すことである。
また、同時に、各々の分野で才能を持ち実力を発揮する者を愛する人間であらねばならない。
市民が安んじて生業に専念し能力を発揮できるようにし、政体の繁栄に貢献する者には褒章を与える。

二十二、
ある支配者の知力を量るには、側近を見るのが良い。
彼らが有能かつ忠実であれば、それは君主が見識と支配の術を持っている証拠だから。

では、君主は側近をどう見分け選任するか。
最も有効な方法は、その側近が君主のことを考え行動しているか、自分のことを考え行動しているかを見ることである。

二十三、
君主の身近な危険は追従者(へつらい)である。
追従は、君主の賢明さを損ない、冷静な判断力を失わせる。
しかし、君主に対しどんな真実をも言える状況を作れば、尊敬は失われる。

よい方法は、賢人を選び出し、彼らのみに真実を述べさせることである。
君主が訊ねた事柄についてだけ述べさせ、他の発言は一切許さない。
君主は幅ひろい主題に対し彼らの意見を訊き、その後は自らの独力で考え決断を下す。
そして、遠慮によって真実を述べない助言者に対しては、怒りを露にする。

君主が賢明であるからこそ、よき助言者を選任し保ち、時に苦しい助言をも素直に受け入れ、それらの意見をまとめ上げ決断を下せるのである。
よき助言から君主の賢明さが生まれるのではなく、君主の賢明さから良き助言が生ずるのである。

二十五、
世の中の事柄の半分は運命に、もう半分は人間の自由意志によって支配される。
運命とは荒れ狂う川のようなものであり、備えなき人間は、猛威の前に為すすべなく、それに支配される。
しかし、平時において人間はそれを見越し、堤防や堰などの対策を練り、その猛威の影響を無くすことができる。

運命がその支配力を発揮するのは、人間がそれに抵抗できるような力を備えていない場合だけである。
運命の変転によって滅びるのは、ただその君主が自力ではなく運命に頼って生きていたからである。
自己の行動を変えていける賢明さと勇気があれば、運命は人間を支配しようとはしない。

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