和辻哲郎の『風土』(3)風土の類型

社会/政治

 

 

(2)のつづき

 

<第二章、三つの類型>

 

風土の類型

和辻は風土の類型として三つのもの「モンスーン」「砂漠」「牧場」を挙げます。
さらにモンスーンの詳細として中国と日本を考察します(字数の都合上、本頁では日本のみ解説します)。

 

モンスーン

地理的には東アジアの沿岸一帯がモンスーン域であり、モンスーン(季節風)の特徴は強い暑熱と湿気の結合です。
特に湿気の耐え難さと防ぎ難さにこの地域の人間は難儀するわけですが、これらは生物にとっては非常によい条件であり、動植物の生は充満し繁栄します。
しかし、暑熱と結合した湿潤は自然の暴威を生み出します。
大雨、暴風、洪水、旱魃という巨大で圧倒的な暴力の前に、ただ人間を忍従的にします。

生に敵対的な砂漠の乾燥と違い、水は生への恵みです。
しかし、時にその見方が暴威になり荒れ狂います。
それは親に依存しながらも時に親の暴威にさらされる子供のように、受容的な我慢の態度を形成します。
モンスーン的人間の構造を規定するものは「湿潤」であり、それが受容的・忍従的な特性(あり方)として顕れ把握されます。

 

砂漠

地理的には西アジアを中心とする砂漠地帯を指し、その特徴は強い「乾燥」です。
水は恵みとして受容的に与えられるものではなく、自ら自然の脅威と闘いつつ捜し求めなければなりません。
また、限られた草地や泉は人間間の争いを生み、人間の脅威とも闘わなければなりません。
人と世界との関わりは対抗的な闘争関係としてあり、人は自然の中に恵み(生)ではなく死を見ます。
人は生を自分自身で作っていかねばならず、その脅威は、依存する親を持たない捨て子のように、敵対的な環境との生存競争の中にある脅威なのです。
まず、砂漠的人間のひとつめの特性(あり方)は、対抗的・戦闘的なものとして捉えられます。

これらの闘いにおいて人は一人では生きられず団結し、砂漠的人間は共同態においてあります。
人間と世界だけでなく、人間と他の人間世界に対する関わりにおいても生きる二重のあり方においてあります。
個が生き延びるためには、全体意志(部族、社会集団)への服従と忠実さが不可欠になり、部族の敗北は自分個人の死も意味する強い全体性が顕れます。
砂漠的人間は戦闘的であると同時に服従的であり、非常に社会的で歴史的な存在としてあります。
砂漠的人間の構造を規定するものは「乾燥」であり、それが戦闘的・服従的なあり方として顕れます。

 

牧場

ヨーロッパの緑(牧草)の豊かな風土の特徴を「牧場」と捉えます。
鉄・石炭・機械工業なども牧場の延長であり、原理的に工場も「牧場的」なものなのです。
モンスーンの「湿潤」、砂漠の「乾燥」に対し、ヨーロッパはそれらの総合された「湿潤かつ乾燥」と規定できます。
ヨーロッパでは夏は乾燥期で冬は雨期ですが、砂漠のような乾燥やモンスーンのような暑熱の湿潤に見られる特異なものではありません。

ヨーロッパの夏の乾燥下では雑草が育ちません。
日本人に「夏草」と呼ばれる繁殖力の強い雑草は、その生命力の源である夏の湿潤を欠くため、育ちにくいのです。
こうして牧草を駆逐する雑草が少ないヨーロッパでは、豊かな牧場という風土が形成されます。

また、農業労働において非常に重要な作業が草取り(雑草の駆除)です。
これを怠れば、耕地は一瞬にして荒地と化します。
日本などでは暑熱と湿度の強烈な一番苦しい時期にこの雑草と闘わなければなりません。
それに対しヨーロッパではこの自然との闘いが不要であり、土地は反抗することなく従順なものとして人間に従います。

それだけでなく、湿潤と暑熱が結びつかないという事は、それらの結合によって生じる大雨、洪水、暴風などの自然の暴威が少ないということであり、そういう面でも自然は従順なのです。

自然がおとなしければ、それだけ自然の中の規則も発見しやすく、「自然が人間に従う」という発想も生じやすくなります。
また、そこから発見された規則によって自然に対応していくと、より自然が従順になっていき、さらなる規則の探究が容易になります。
ヨーロッパの自然科学が、まさに牧場的風土の産物であることが理解できます。
日本のように常に自然の暴威に追われる自然災害国では、生まれにくい感覚です。

さらに和辻は、ヨーロッパの東に位置するギリシャ的明朗と、西に位置する西欧の陰鬱とを、風土を通して対比的に考察します。

「真昼」とも称されるギリシャの明るく乾いた風土が、陰影という覆いのない事物の露わな姿を見るという、風土的なあり方を生じさせます。
それは、見えざる「不合理性」よりも見える「合理性」に同化する真昼の精神であり、「見る」ことを重視するギリシャ的精神です。
ギリシャ的自然は、従順で明朗で合理的なものです。

それに対し、西欧は緯度と天候の関係で日光に乏しく、薄暗い陰鬱な風土を持ちます。
例えば、ドイツ、フランス、イタリア(南欧)の順に南へ下ると、日光の強まりと共に、人間の気質も興奮的なものとなっていきます。
シュペングラーの説くアポロン的な心(明朗)と、ファウスト的な心(陰鬱)は、ヨーロッパの陽の強さの地理上の対比(南東のギリシャと北西のドイツ)としても合致します。
陰鬱な曇りの空間は、物の姿を不明瞭にし、陰は無限の深さを指標し、内面性への沈潜を引き起こします。
内面的な「精神」を重視し、神秘性への志向が強くなり、光を求め苦悩する陰鬱なゲーテのファウストなどにそれが典型的に示され、この地域におけるキリスト教文化の深まりなども、その風土に関わってくることです。

 

(4)へつづく