知の考古学者
私たちにとって当たり前すぎて省みられることすらないものの隠れた前提や、その生成の歴史を明らかにすることが、フーコーの目的です。
考古学者のような手際で、隠れたものを推理し、今は見えない過去を発掘していきます。
ニーチェが道徳成立の過程をその系譜学によって描き出したように、フーコーは「人間、心、同一性、真理、主体、自由、身体、性、等々」普遍的で当然とされるものが、実はある特定の条件化において生じた特殊なものでしかないことを教えてくれます。
狂気の歴史~古代からルネサンス
古代ギリシャにおいて狂気は理性を超えた神がかり的なものであり、矮小な人間に対しより根源的なものを啓示する重要なものと見られていました。
その価値観は長い歴史の間維持され、14世紀から16世紀ルネサンス期においても、狂人(狂気)は社会的に受け容れられ、ある程度自由に生き、語ることが許されていました。
むしろ知識人(理性)は狂気との対話のなかに真理の原石を見出し、それを文化へと磨き上げました。
シェークスピアの『リア王』はその典型で、そこにおいて描かれる狂気は精神の病ではなく、理性よりもさらに高い理性の証として描かれています。
狂気の歴史~17世紀
17世紀になると、勤勉な労働をよしとする経済活動を主体とした社会観が台頭してきます。
それに伴い、救貧院や感化院の名の下にあらゆる雑多な貧困者(乞食、放蕩者、老人、身体障碍者、狂人、等々)をひとつの場所に閉じ込めることになります。
マックス=ウェーバーが著したように、宗教改革によって労働というものの価値が根本的に変質します。
労働とは信仰の証しであり、それが救済の道になります。
貧しさを神聖なものととらえるそれまでの感性(清貧)は、ここにおいては道徳的な堕落と観られるようになります。
貧困とは社会に適応できない不適格者の証しであり、怠惰で劣等な道徳の欠如した人間とされ、彼らには真面目な労働者(社会人)となるべく矯正と強制労働が与えられます。
ここにおいて西欧社会は二つの空間「理性的で社会的な正常な人間」と「非理性的で反社会的な異常な人間」に隔てられることになります。
監禁の対象は徐々に広がり、無信仰者、同性愛者、性病患者、自殺志願者、錬金術師など、多くの人々が後者の人間として社会から排除され、隔離されることになります。
この時代において狂気は、雑多な非理性の集まりの中のひとつの部分でしかありません。
狂気の歴史~18世紀から現代
18世紀にはそうした恣意的な監禁が非難されはじめます。
社会的な労働力不足の問題もあいまって、非理性の空間を覆っていた檻の中から彼らは徐々に解放されていきます。
この解放に伴い、雑多な非理性的な人間の集まりは細かく分類され、各々がその分類に従ったしかるべき社会的場所へ移動することになります(例えば病人は医療の場へ)。
しかし、狂人だけは非理性の空間に最後まで残され、危険な者として非人間的な扱いで監禁され続けます。
18世紀末から19世紀初頭にかけてイギリスの宗教家サミュエル=テュークとフランスの医師フィリップ=ピネルによって、ようやく狂人の解放が試みられます。
彼らは狂人の置かれた劣悪な環境が問題であるとし、博愛と治療の精神において、狂人は田舎の田園での共同生活や清潔で解放的な保護施設へと生活の場を移されます。
しかし、これは事実上解放というよりも、より理性的で厳格な「非理性」に対する拘束と管理の技術となります。
彼らが作った狂人専用の施設とは、社会的な道徳規範に従うことを強制された完全な拘束の場であり、狂人たちは終日監視の下に日々の細かい生活規則を遵守することを余儀なくされます。
監禁施設のように鎖で身体を縛るよりも、精神を縛った方が合理的なのです。
治癒とは理性に対しての服従であり、道徳主体となることです。
ここにおいて、狂人(狂気)に対する理性の特権的な地位が確保され、狂気を観察対象とする科学も成立します。
心理学の誕生
この理性と狂気の分断と、さらに狂気を背景化し主体としての地位を奪う従属化によって、社会は狂気を生きながらに抹殺することに成功します。
はじめから狂人(狂気)などいなかったのです。
狂人とは積極的な存在ではなく、単なる理性の欠如した欠陥品でしかないのです。
しかし、裏を返せば、これによって人々は自分が正気であることを、つねに自分は狂人でないという姿見によってしか確認しえない、ある種の疎外状態に陥ります。
人はたえず自らの内の狂気の存在に疑いの目を光らせることになり、この正気と狂気の二重性の反復運動が、必然的に「心の科学」なるものを生み出すことになります。
私たちが心理学(精神医学含む広義の)的な意味でいう「心」というものは、以上のような監禁の歴史の中で生じたいち時代の産物でしかなく、私たちが思うほど普遍的なものではありません。
心理学の誕生によって狂気は疾患と認識されたのではなく、狂気を道徳のサディズムによって治癒すべきものとするこの歴史過程の帰結が、心理学誕生のための成立条件を与えたということです。
狂気は、未開の状態では、発見されることはありえません。狂気は、ある社会のなかにしか存在しないのです。つまり、狂気というのは、狂気(とされるもの)を孤立させるような感情のあり方、狂気(とされるもの)を排除し、つかまえさせるような反感(嫌悪)のかたちがなければ、存在しないのです。(『ミシェル・フーコー思考集成Ⅰ』筑摩書房より)