ホッブズの『リヴァイアサン』

社会/政治

万人の万人に対する闘争

もし、国家や法というものの存在しない世界であったとしたら、人間は一体どういう状態にあるかという問いからはじまります。
そういう「自然状態」においては、個々バラバラの人間の諸能力に大差はなく、各個人の自己保存と快楽の追求において激しくぶつかり合うことになります。
各人の「自然権」、すなわち「自身の生命を維持するために、自身の意志する通りに自身の力を使用する自由であり、自身の判断力と理性において最適の手段と考えるであろう、どんなことでもおこなう自由」を行使しあう闘争世界「万人の万人に対する闘争」状態です。

万人の戦争状態においては、勤労のための余裕などありません。
つねに不安と不確実性にさらされ、共同する力を持たない孤独な人間に、建設的な実りなど期待することは出来ません。
共通の権力がないところには共通の基準やルールはなく、そこにおいては何事も不正ではありえず、善悪や正不正の観念すら存在しえません。
せまい鳥かごに無数に入れられた鳥のように、羽ばたく度にお互いを傷付け合う、いわば死ぬまで止まぬ不断の戦争状態です。

この死の恐怖の中で、人々を平和に向かわせる諸情念が起こります。
安全で快適な生活に対する希望であり、それを共同の勤労によって獲得しようという意欲です。
理性は、合理的な平和の諸条項「自然法」を生み出し、人々はそれによって協定へとみちびかれます。

 

リヴァイアサン

「コモンウェルス(共通善)」という合議体に各人の自然権を譲渡する代わりに、各人の自然権の目的である自己保存の権利を保護されるという社会契約により、国家権力が成立します。
各人が武器(闘争)を「コモンウェルス」に預け、代わりに平和を破る者に対しては、各人ではなく「コモンウェルス」が制裁を加えることになります。
この「コモンウェルス」こそが、神に次いで強い力をもつ旧約聖書の怪獣「リヴァイアサン」として譬えられるものです。
本書『リヴァイアサン』の表紙絵では、小さな無数の人間が集合したひとつの巨大な人格体として描かれています。
すべての意志をひとつの意志にし、すべての力をひとつの力に与え、同意や和合以上の彼らすべての真の統一体、いわゆる主権です。
国家権力の意志は各人の意志でもあるため、それに背くことは自分に背くことでもあり、抵抗は否定されます。
こうして、人間の「自然状態」という仮説から、国家権力の正当性が演繹的に帰結するわけです。
この「コモンウェルス」は、後にルソーにおける「一般意志」として批判的に洗練される社会契約説の礎となっています。

 

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