マートンの自己成就的予言

社会/政治

トーマスの公理

社会学者ウィリアム・アイザック・トーマス(1863-1947)が述べた以下の公理は、社会の動きを理解するために重要です。
「もし、人がある状況をリアル(真実、現実)であると定義すれば、それは結果においてもリアルである」
“If men define situations as real, they are real in their consequences.”

人は単に状況の客観的特徴に対して反応するだけでなく、状況がもつ意味にも反応し、時に後者が主になることがあります。
人々がある意味を状況に与えると、続く行動やその結果が、この意味によって規定されることになります。

自己成就的予言

客観的に銀行資産が健全であっても、支払い不能の噂が立ち、預金者がそれを真実だと思い込み、引き出しに殺到すると、その噂(支払い不能)は結果として本当に成ります(預金は貸付にまわされているため、残された支払準備分を超える引き出しが一気に行われた場合、銀行は潰れます)。
銀行の存在は、信用を状況規定として成立しているため、噂によってその状況の定義が変化(信⇒不信)すると、それに伴い結果も変化(存在⇒無)します。
1930年代(世界恐慌)に数百の銀行を襲った悲劇は、客観的な銀行の財政状態によるもの以上に、噂によるパニックの要因が大きかったと推測されます。
同時期に生じた白人と黒人、キリスト教徒とユダヤ教徒間の事件も同様です(後述)。

人々の状況規定(予言、予測)そのものが、状況の構成部分となり、その後の状況の発展に影響を与えます。
これは自然科学の予測では見られない、人間行動特有の問題です。
例えば、ハレー彗星の予測はその軌道に何の影響ももたらしません。
「自己成就的予言」は、誤った状況規定がそれに沿った新しい行動を引き起こし、その誤った概念を結果としてリアル(真実、現実)にしてしまうということを述べたものです。
その効力は、誤謬の支配の永続化です。

試験に失敗するという思い込みが試験に不利な状況を作り出し、結果的に本当に落ちる受験ノイローゼのような個人的予言もあれば、「戦争は不可避である」という複数国間の思い込みが相互反応的に戦争を誘発する状況を強化し合い、結果的に本当に戦争が起こるような社会的予言もあります。

【ミニ解説】
ある状況に従い、人は行動を起こし、その状況に沿った結果をもたらします。
例えば、状況が「安全」であれば、横断歩道を渡り、状況が「危険」であれば停止し、それに伴う結果を得ます。
これは人間行動において常時機能しているものです。
状況には客観的なものと、人間的な定義(規定、意味)付けによる状況があり、自己成就的予言は後者に関わるものです。
また、状況規定には自覚的なものと無自覚的なものがありますが、自己成就的予言は前者に関わるものです。

「自己成就的予言」において本質的なことは、以下の二点です。
一、客観的確実さをもつものではなく、人間的意味付けによる曖昧さを持つ事象(即ち自然科学ではなく社会科学的問題)に関するものであるという点。
二、状況規定が何らかの形で明示(個人は自覚)され、その明示そのものが行動に影響を与えてしまう点。
この状況規定の明示(即ち予言)が、状況規定通りの結果をもたらすというケースが、「自己成就的予言」です。

「自己成就的予言」とは反対に位置するものが、「自己破滅的予言」です(注1.参照)。
例えば、不幸な予測に危機感を覚えた人間が、予測をひっくり返そうと企て、予測した結果がやってこない場合、予言が自己自身の予言によって破滅するという、「自己破滅的予言」となります。
状況規定が状況の構成部分になるという意味で、これら二つは同じものを別の面から見たものです。
予測そのものが人間の行動を変えてしまうため、人間や人間集団(社会)の動きを正確に予測することはできないという、再帰性の問題です。
【解説おわり】

偏見の自己成就

人種的な「偏見」においても自己成就的予言が働き、それらの信念(偏見)はあくまで結果から得られた正確な観察に基づくものとして、経験されています。

例えば、白人は黒人がスト破りをするからという理由で、労働組合から排除しようとします(黒人は粗野で卑しいからストのルールを守れない)。
事実として黒人はスト破りをするので、偏見ではなく正しい見解に思えます。
しかし、その事実を生み出しているのが、他ならぬその偏見そのものだということを見逃しています。
偏見によって黒人は労組に入れてもらえないため、彼らは仕事にあぶれ、ストの際の雇用主からの申し出(スト破り)を断れない状況にあるからです。
実際、黒人の組合加入が許された産業では、黒人によるスト破りは無くなります。
黒人に対する状況規定と、その状況規定を補強する結果が、自己成就的予言の悪循環を生じさせています。

この悪循環を断ち切るのは、循環の引き金になった最初の状況規定(即ち偏見)を放棄して新しい状況規定を導入し、その結果が最初の状況規定の誤りを証明する時です。
しかし、根深い状況規定に疑問を持つことは困難です。
教育活動や啓発宣伝は、副次的な力にしかなりえません。
W・G・サムナーの言う内集団と外集団の問題があるためです。
内集団とは共属している集団(我々)で、外集団とは我々と異なる他者の集団で、その境界線は状況に応じて変化します。
例えば、アメリカの黒人ボクサーであるジョー・ルイスは、人種という観点からは外集団で差別的扱いを受けましたが、米国代表として国家の威信を賭けた戦いで勝利すると、国籍的観点から内集団の一員として迎えられ国民的英雄となります。

道徳錬金術

内集団(白人)は、劣等で無能な黒人の生徒に見合う教育費として、白人の生徒の五分の一しか充てていないというのに、黒人の医者の数が白人の四分の一以下であるという事実を黒人の劣等生の証拠として取り上げているのは、馬鹿げています(当時のミシシッピー州の話)。
しかし、黒人の学歴や職歴の低さが自己成就的予言の拘束によるものであるにせよ、それを克服すれば済むという簡単な話ではありません。

たとえ外集団が内集団の掲げる徳目や能力を獲得したとしても、「道徳錬金術(the moral alchemy)」によって排斥されます。
外集団は何を為そうと問答無用で徹頭徹尾非難されます。
すればするで非難され、しなければしないで非難される、進退両難の境遇にあります。

道徳錬金術の公式は、「同じ行動でもそれを行う者によって評価が異なる」ということです。
例えば、リンカーン(白人、内集団)が夜遅くまで働くと、勤勉、強い意志、忍耐心などとして讃えられ、ユダヤ人や日本人(外集団)が夜遅くまで働くと、強欲、頑固、卑怯などとして蔑まれます。
倹約→ケチ、慎ましさ→怯弱、利発→ずる賢い、勇敢→野蛮、友愛→媚びなど、内集団の徳は外集団の悪徳へとすり替えられます。

内集団の道徳的徳目は、社会的権威(階級)や社会的勢力の体制維持のための城壁であり、彼らはその徳目を独占することによって、己が内集団のアイデンティティーを守ります。
外集団の人間がその徳目を持つことは、内集団に対する侵略行為であり、いかに有徳な人物であっても、道徳錬金術によって悪徳へと転換させられ、外部へ排斥されます。
これは頭で考えて行われる保身のプログラムではなく、直接的な感情としての悪徳(転倒された美徳)への憤怒から生じる排斥です。

勿論、これは被差別者側の外集団は善良だなどと言っているのではなく(黒人にもユダヤ人にも白人に劣らない位不道徳な者がいる)、内集団の人間がこの城壁によって、外集団の成員を普通の人間として扱えなくなっているということです。

解決

適切な制度改革によって、自己成就的予言の悪循環を打ち破ったいくつかの事例(最初の銀行の例で言えは預金保証会社の設立と銀行法の改正による保護)を挙げた後、マートンはこう述べます。

慎重な計画を持ってすれば、自己成就的予言の作用とその社会的悪循環を止めさすことができるという証拠は十分にある。
~制度的、行政的条件がよろしきを得れば、人種間の親和の経験が人種間の葛藤の危惧の念にとって代わることが出来るのである。
こういう変革や、その他これと同種の変革は自動的に生ずるわけではない。危惧の念を実在に転化する自己成就的予言は、慎重な制度的規制が欠如した場合にのみ作用するものである。そして、危惧の念から社会的災厄が生じ、逆に災厄のために危惧の念が強化されるという、両者の悲劇的循環を破るには、人間本性は不変なりという観念に根ざしている社会的宿命論をどうしても拒否しなければならない。
~「われわれが必要かくべかざる制度と呼ぶものは、往々にしてただ単に、われわれがそれに慣れ切ってしまった制度であるにすぎないし、また社会の仕組みについていえば、いろんな社会に住んでいる人間が想像しているより、もっと可能性の範囲は広いのだ(トクヴィル)」
マートン著、森東吾他訳『社会理論と社会構造』みすず書房

 

おわり

 

※注1.

マートンは自己破滅的予言をこう説明します。
「自己成就的予言の反対物は「自殺的予言(自己破滅的予言)」であるが、それはもし予言がなされなかったとすればたどったであろうコースから人間行動を外れさせ、その結果予言の真実さが証明されなくなる場合である。つまり予言が自滅するのである。(同上)」
しかし、これは予言が正しいという前提のもとでのみ成り立つ条件付きの文章です。
予言が自己成就したのか、そもそも予言が正しかっただけなのか。
予言が自己破滅したのか、そもそも予言が間違っていただけなのか。
これらを判断できるのは、最初の状況規定(予言)の正誤を知っている第三者のみです。
先述の銀行の破綻を「自己成就的予言」と言えるのは、正しい銀行の財政状況を知っている者のみです。
黒人の劣等生が、差別的言説の「自己成就的予言」によるものだと言えるのは、白人と黒人を検査してその能力の同等性を知っている研究者のみです。
つまり、正誤(社会科学レベルの正確さ)のはかれない予言に対して、「自己成就的予言」や「自己破滅的予言」の判断を下しても、憶測の域を出ません。
ですから、結果を通して遡行的にそれを証明するしかないという難題をはらんでいるわけです。
マートンが「彼ら(黒人)の組合加入が認められた産業にあっては、罷業破り(スト破り)としての黒人が事実上なくなったことからも(それが自己成就的予言であったことを)察知することができる。」と述べ、黒人に対する予言(偏見)の誤り、即ちそれが自己成就的予言であったことを証明したように、変革の後に結果としてその存在を証明されるのです。
つまり、自己成就的予言の存在は、1.現在において真実を知っている者が、自己成就的予言によって動かされている人を観察する場合と、2.変革の後の結果から遡行的にその存在を証明し真実を知る場合において、保証されるということです。