なぜ後悔するのか
「後悔」とは後になって悔いることですが、基本的にネガティブな意味で使われます。
ポジティブな場合は「反省」であり、前進や学びのための糧としての悔いとなります。
例えば、過去に為した窃盗を後悔し、謝罪に行き被害弁償すれば、後悔は反省へと変化し、自分を一歩人間的に成長させます。
前へ進む進歩が、人間の成長や人生の充実をもたらすという世界観を採用するなら、反省は必須ですが後悔は不要です。
過去はバックミラーのような存在として(未来の進路を決定する際の参考情報を得るための振り返り-反省-として)利用するのが一番効率的です。
後ろに囚われ前(先)を見えなくさせてしまう「後悔」は、危険と不利益を生じさせるだけの不要物にすぎません。
ではなぜ、人間はそんな役に立たない「後悔」ばかりしてしまうのでしょうか。
それには主に二つのパターンあります。
ひとつめは、その人にとって「後悔」が「反省」より利益になると思われている場合。
ふたつめは、不利益になると分かっていながら「後悔」せざるを得ないような環境に居る場合。
パターンA、後悔で得をする人
ある不利益が別の利益へと結びついている場合、その不利益の先にある利益のために、率先して不利益が採られることになります。
例えば、病気になるといつも厳しいお母さんが優しくなり高価なメロンを食べられるなら、その利益と病気の辛さという不利益を天秤にかけ、わざと風邪を引いたりケガをしたりする子供が出てきます。
「後悔」が先へ進む恐怖からの逃避場所になっていたり、「後悔」が告解のような宗教的快楽や選民性を与えてくれていたり、「後悔」がお気に入りのドラマの主人公の模倣になっていたり、「後悔」が周囲の人間を操作するために使われていたりする場合など、後悔によって生じる二次的な利益が後悔自体の一次的な不利益以上の利得を生み出している場合、後悔から抜け出すことは難しくなります。
得になるのなら別にそれはそれでいいのですが、実態はただの主観的な見積もりで損得勘定の誤りであることが多く、客観的には得られる利益より不利益の方が大きいのが普通です。
後悔の裏(先)にある隠れた間接的な二次的利益は把握しづらいことに加え、それは半ば無自覚的な行動であるので、自覚的に正す難しさもあります。
パターンB、後悔せざるを得ないような環境にいる人
お爺ちゃんお婆ちゃんになると、過去の追憶に耽ることが多くなります。
単純に未来のネタが少ないので、必然的に過去の事を考えるしかなくなります。
そんな風に自分の置かれた環境が、自分の思考を拘束する見えない枠組みになっていることがよくあります。
刑務所における独房の機能は、過去以外の考えるネタを囚人から一切奪い取り、強制的に後悔を促すという仕組みになっています。
独房に入ることによって未来も現在も失った囚人は、その環境からして嫌でも過去の事を考えるしかなく、後悔をせざるを得ないような状況に置かれているというわけです。
後悔が不利益だと分かっていながら後悔ばかりする人は、自らこの囚人のような後悔せざるを得ないような環境を作っている場合が多いのです。
具体例で考えてみます。
例えば、恋愛経験で後悔するようなネガティブな事件が生じた場合、次の恋愛(未来)に対する恐怖や不安が大きくなります。
また、それは同時に恋愛に対する消極性を生じさせ、恋愛経験の少なさをももたらします。
これは先の独房の囚人以上に悪い状態です。
未来の事を考えることができず過去の事を考えるしかない上に、過去を考えると言っても経験が少ないため追憶の対象が少なく、その事件のことだけを延々と反復的に考えざるを得ません。
例えば、いじめに遭った際、転校すれば次の学校で良いクラスメートに出会い過去の嫌な経験が希釈されますが、転校せず家に引きこもってしまえば、友人関係の記憶がその嫌な経験のみになり、いじめの記憶のみが頭を占領し反復し続けるという危険な状態になります。
見えない鉄格子によって自ら独房を作ってしまっている状態です。
現在というものは(無邪気な無目的の遊びのような活動を除いて)、基本的に未来のための手段であるので、未来を考えられないということは、活きた現在をも失ってしまうということになります。
未来と現在を失い、過去のカテゴリーのみに囚われ、かつその過去という容器の中には限られたもの(後悔の経験)しか入っていない状態です。
そんな環境では、後悔の経験以外考えられなくなるのは当然です。
ネガティブな経験がネガティブな思考を生み、行動に対してもネガティブになり、さらに心の独房を強化するという悪循環が生じています。
では、一体どうすべきなのでしょうか。
パターンA(いわゆる疾病利得)に関しては心理学の範疇なので心理カウンセラーに任せるとして、問題となるのはパターンB(見えない監獄)の解決方法です。
後悔を無くす方法
その一、後悔を反省にする(過去の再演)
後悔していることが直接回復可能なのであるなら(最初の例の窃盗の弁償のように)、端的にそれを実行し、後悔を反省にすればよいだけなのですが、基本的にしつこくつきまとうような後悔は、すでに回復できなくなったものであることが普通です。
その場合は後悔の事件と同じような状況に飛び込み、再演することが必要になります。
タイムトラベル小説のように、もう一度、あの後悔した時に戻ってやり直す、という感じです。
例えば、恋愛経験において後悔するようなことがあったのなら、その後悔を反省にして、もう一度、新たな恋愛に挑戦し、同じような状況を再演し、次こそ後悔なきよう行動することによって、過去の後悔を再演的に払拭するということです。
その二、後悔を反省にする(未来の糧にする)
直接回復不可能な後悔の経験である場合、かつ過去の再演も困難な場合、それを未来の別の経験の為の糧にして、後悔を反省にすることも可能です。
例えば、恋愛において生じたその後悔の経験を糧にして、恋愛小説家になって成功したり、出家して立派なお坊さんなどになった場合、間接的にその後悔は反省に似た生産的なものへと変化します。
その一(再演)のように、折れた木の枝に再度同じ種類の木の枝を接ぎ木するのではなく、折れた枝とは別の種類の木の枝を接ぎ木し、異なる花を咲かせるような形で、過去の後悔を未来の土台とする方法です。
その三、希釈する(経験の拡大)
先に挙げたイジメの例のように、ネガティブな経験をポジティブな経験で希釈するような形で、後悔を霧散させる方法です。
経験を積めば積むほど、過去の経験は希釈されるとともに、もっと大きな経験と出会い、過去の自分の経験などちっぽけなものであることに気付くことで、後悔を消していく方法です。
その四、希釈する(未来の拡大)
上の方法(経験の拡大)は、数や大きさを増すことによって、後悔の経験を相対的に小さくしていく方法ですが、未来の拡大は未来の経験の可能性の範囲を大きくすることによって、過去の経験を小さくする方法です。
未来の目的に邁進している人にとって、過去の後悔などしている暇はありません。
過去に囚われるということは、裏を返せば、それだけ暇だという事です。
刑務所の囚人のように強制的に未来を奪われているのでないなら、未来の目的へ向かって自分を投げかけていけば、それに従い、後悔も少しずつ消えていきます。
その他、方法は無数にありますが、一般的、経験的によく採られる方法を四つ取り上げました。
おわり