アリストテレスの『詩学』(3)~最終章迄

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(2)のつづき

 

第十六章、認知の種類

1.印による認知。生まれつきのあざや傷や刻印、首飾り等の外的標識。技法としては稚拙だが、逆転を伴うような場合(例、変装したオデュッセウスの足を洗う侍女がかつての乳母であり、傷痕により正体がばれる)などはすぐれる。

2.作者によって短絡的にこしらえられた認知。主人公自らが自分の正体を告げるなど。このようなものは物語の必然性によってではなく、ただ作者の都合を反映しただけのものであり、何の価値もない。

3.記憶による認知。歌によって昔を思い出し涙する姿によって、その人が誰であるかが知られる、など。

4.推論による認知。「私(エレクトラ)に似た人が来ている。弟のオレステス以外私に似た人はいない。よってオレステスである」というように。

5.観客の誤った推論を利用する複合的認知。観客の誤った推論を誘導するようなおもわせぶりと、それを裏切るような形で用意された真の認知の複合によって生じる認知。
[読者が予想した証拠ではなく、別に用意された証拠によって犯人が発覚する推理小説のように。]

6.最上の認知は、必然的でもっともらしい出来そのものによって生じる認知である。上に挙げた方法のような作りものくささのない、いかにももっともらしい筋の運びの中だからこそ生じる、驚愕を伴う認知である(オイディプス王など)。

 

第十七章、劇作上の心得

制作者は劇中の出来事の現場に本当に居合わせるかのように思い描くことによって、適切なことがらと同時に、矛盾や誤りも発見することができる。

制作者は、劇中の行為をできるかぎり自らが経験的に理解する必要がある。
苦悩を知る者が最も苦悩を、怒りを知る者が最も怒りを巧く再現できるからである。
詩人(創作)には、他者の感情に同化できる恵まれた素直な天分か、霊感的に我を忘れ他者になりきる狂気が必要である。

劇の筋(物語)は、先ず第一段階として普遍・一般的な形(出来事として何が起こるか)で描きだした上で、その上に詳細な肉付け(その出来事はいかにして起こるか)をして、場面を作っていく。
[ここで言う普遍的とは、物語の省略である「あらすじ」ではなく、プロップの物語構造で言うところの「定項」に近いものです。]

 

第十八章、劇作上の心得、その二

悲劇には以下の四つの種類がある。

1.複合劇。逆転と認知から構成される(第十章の複合を主題とした)。
2.苦難劇。苦難を中心に構成される(第十一章の苦難を主題とした)。
3.性格劇。キャラクターを中心に構成される(第十五章の性格を主題とした)。
4.視覚的効果を中心とした劇(第六章の視覚的装飾を主題とした)。

 

第二十三章、叙事詩について

次に、叙述の形式をもとに韻律を用いて再現を行う「叙事詩」を考察する。
叙事詩の場合も悲劇と同様、劇的な原理(第七章から第九章で述べられた統一性と因果的必然性のこと)に則った筋として構成されなければならない。
多くの作家は、叙事詩を歴史の記述と混同し、出来事を単なる時系列(歴史記述の整合性)に従って無分別にならべているだけで、行為間の必然的な因果性によるつながりの整合性(詩作の筋の本質)を忘れているのである(第九章参照)。
また、全体と部分の関係についても考慮しない錯綜したものとなっている(第七章、第八章参照)。

 

第二十四章、叙事詩について、その二

さらに、種類の区分においても悲劇と同様である(第十八章参照)。
単純な筋と複合的な筋、苦難的な筋、性格的な筋。
構成要素に関しても、曲と視覚的装飾を除き、悲劇と同一である(第六章参照)。
当然叙事詩においても優れたものには、逆転や認知や苦難を伴う(例、ホメロスの二作品)。

悲劇と叙事詩の違いは、物語構成における長さ(筋の構成部分となる出来事の数)の違いである。
悲劇は舞台演劇である分、行為において再現できる出来事はひとつであるが、叙事詩は叙述である分、同時になされる複数の行為を再現(描写)することができる。
[要は叙述は出来事の編集が可能なため、例えば、ABCの三つ巴で戦争をする物語の場合、Aの準備風景→Bの準備風景→Cの準備風景→開戦、というように、引き伸ばすことができます。映画も編集が可能なのでクロスカッティングのような技法で出来事の数を倍にすることができますが、これを生の舞台演劇でやることは不可能ではないにしても非常に作為的で不自然であり、そもそも原理的にアリストテレスの悲劇の定義に反します。]

よって叙事詩は悲劇より壮大な作品を作ることができ、なおかつ様々な異なった性質の場面を並行的に描ける分、変化に富み、観客の興味を引きつける。
悲劇を失敗に終わらせる原因のひとつとして、その単調さを挙げられる。

 

第二十六章、叙事詩と悲劇の比較

では、叙事詩と悲劇ではどちらがすぐれているであろうか。

まず、悲劇は叙事詩が持っているものすべてを持っており、それに加え音楽と視覚的装飾による効果を有し、より快よく生き生きとした再現を可能とする。
[第六章の悲劇の六つの構成要素のうち、叙事詩は四つしか持たない。]

さらに悲劇は叙事詩よりも短く凝縮した形で再現(描写)の目的を達成するため、適切で無駄のない引き締まった統一性を持つ。

 

 

※第十九章、第二十章、第二十一章、第二十二章、第二十五章に関しては、主に語法を主題とした考察のため省略いたしました。

 

カタルシスの解釈について