イノベーションとは何か
ドラッカーの言うイノベーションとは、単なる「素材」に有用性や富を創造する能力を与え、それを「資源」にする創造的な行為(革新)を指します。
ボーキサイトという厄介な素材に対し、人間が利用の方法を見つけ経済的な価値を与えた時、はじめてそれは資源(アルミの原料)となります。
また、既存の資源に存する富の創出能力を飛躍的に増大させるのもイノベーションです。
イノベーションとは、日本でよく誤解されているように技術革新(テクノロジカルイノベーション)によってもたらされるだけでなく、多くの場合は新しいアイデアや発想の転換、組み合わせの妙などによって引き起こされる非常に射程範囲の広いものです。
新聞広告や保険制度などがそのよい例です。
ここでいう「資源」とはたんなる物質を指すのではなく、人間の欲求や社会的関係性などの無形のものなども含むわけです。
人間の安全への欲求という見えない素材を、保険制度というイノベーションがそれを資源に変え、富の創出をもたらします。
そしてこのイノベーションのチャンスとなるものが、「変化」です。
イノベーションとは、意識的に変化を探し、その変化の意味を分析し、それを体系的に利用することです。
具体的にまとめれば、このイノベーションの機会となるものは七つのカテゴリーに分けられます。
第一の機会、予期せぬ成功と失敗の利用
たとえば私がパン屋をはじめたとします。
こだわりの材料と通好みの本格派な味、自分の知識と技術を全てをつめこんだパンです。
その分価格は高く売りにくいだろうが、時間と共に客はつくだろう、という試算をもとに開店します。
しかし、予想に反しよく売れ、好調も継続し、自分のパンに自信をもちます。
しかし、ある常連客の一言で、自分の考えが間違いであることに気付きます。
「あなたの店の店員はとても愛想がよく気持ちいい、近所のコンビ二の無愛想な店員の顔を見るより、少々高いがこちらで買ったほうが、気持ちよく出勤できる」と。
お客さんの求めていたものは私のこだわりの味ではなく、販売員の笑顔であると。
お客さんが買っていたのは、私のパンではなく、販売員のサービスであると。
さて、私はここで起こった予期せぬイノベーションの機会に対しどうすべきでしょうか。
私のプライドを傷つけるこの事実を無視し、あくまでこだわりのパンにエネルギーを集中し、偶然揃っていた愛想のよい販売員たちがバイトを辞めた時に店が終わってしまうという選択。
あるいは私はこの予期せぬ機会を利用し、よりよい接客サービスの充実に力を注ぎ、店のさらなる繁盛を目指すという選択。
この予期せぬ成功というものは気付くことも難しいですが、それを認めることはもっと難しく勇気が要ります。
現実をありのままに見る気付きの姿勢、間違いを認める謙虚さと勇気、あらたに具体的な方針を立て直す労力。
多くの場合それらに怖気づいて、結局この機会をみすみす逃すことになり、いずれこの資源は誰かにかっさらわれます。
しかし、マネジメントにおいて重要なのはその無謬性ではなく、適切な分析と判断力のはずです。
予期せぬ成功という機会は、自身の事業の意義と自身の市場の定義についての変更をせまる、いわばイノベーションに対しての要求であり、私はそれに応答する義務があるのです。
この予期せぬ成功によって見出されるイノベーションの機会は、裏を返せば反対の予期せぬ失敗によってもあぶりだされます。
単に無能であることによる失敗ではなく、綿密に計画され慎重に実行した事業が失敗した時、この失敗そのものがその機会の存在を教えてくれることになります。
仮に私が良質なパンの販売を完璧だと思えるくらいに計画し実行してもそれが失敗に終わった時、製品やマーケティングの前提、あるいは顧客の価値観や認識などが大きく変化していることに気付かせてくれます。
それらの変化こそがイノベーションの機会(チャンス)です。
通常、予期せぬ失敗に直面すると、より注意深く検討しそのプロジェクトを精緻にしようとするわけですが、それは間違いなのです。
まず外へ出て、よく見聞きし、その失敗を生じさせた現実の変化や認識のギャップのリアルを真剣に受け止め、それをイノベーションの機会の兆候としてとらえなければならないのです。
予期せぬものは、私自身の既成概念や自己満足を打ち砕いてくれるからこそ、イノベーションの宝庫となりうるのです。
第二の機会、ギャップを探す
現実と既成の理念(理想)とのギャップ(乖離や不整合)の認識が、イノベーションの機会を指し示す兆候となります。
断層のわずかなひずみの不安定状態を見付け、それが後に大きな地殻変動へとつながる兆候であると見抜く地震学者のように。
このギャップは予期せぬ成功と同様にプロセスの内部に存在するため、内部者には眼前の事実としてはっきり認識しやすいはずですが、それは裏を返せば不整合に対しての慣れが生じていることでもあり、時にそれに気付くことに困難がともないます。
このギャップ(ひずみ)はいくつかに分類できます。
A、業績ギャップ…事業にとって有利な条件が揃っているにもかかわらず、本来容易に上げられるはずの業績が得られない時には、そこに何らかのギャップが存在しています。
B、認識ギャップ…事業内部の人が現実についての誤った認識をもつ時、必然的に成果の期待できない方向へ努力が費やされます。
真剣な努力が事態を改善せずむしろ悪化させるような場合、そこには認識と現実との間にギャップが生じており、それに気付き認識と努力の方向を変えるだけで、今までよりはるかに大きな成果が簡単に上げられるようになります。
C、価値観ギャップ…消費者の価値観に関する、認識ギャップです。
作り手・売り手が顧客の価値観に対して持つ独断的な認識と、リアルな現実とのギャップです。
それは「素人の顧客の欲するものなど、プロである販売者側が理性的に熟知している」という傲慢から生じます。
しかし、実際は販売者が提供していると思っている価値を買っている消費者はほとんどいません。
むしろ上述のパン屋の例のように、消費者は常に販売者の想定とは違う価値を買っており、ここに供給者側のと受容者側の価値のギャップが存在しています。
販売者側が「消費者は不合理であり品質に対する正しい対価を払わない」と憤る時、問題はその販売者の価値の認識の方にあるのです。
D、プロセスギャップ…何らかの活動においてそれが合理的であるなら、必然的にそのプロセスも流れるように進むはずです。
しかしその工程の中にある種のひずみや断層が存在し、プロセスの円滑な流れを妨げる時、そこにイノベーションの機会としての兆候が表れています。
このギャップを見ることができるのはプロセス内部に居る者に限るため、外部の者は彼らの声に真剣に耳を傾けるしかありません。