なぜ正直者は馬鹿を見る(損をする)のか~社会編

人生/一般

(1)のつづき

恐いのは嘘吐きより無知の人

本当の嘘吐きというのは数が限られていますので、それ単体では恐さも限られています。
しかし、嘘吐きと無知な人が結びついた時、世界は嘘で埋め尽くされ、正直者は十字砲火の絶望的な状態の中で孤独な戦いを強いられることになります。
無知な人は非常に嘘吐きに引っ掛かりやすいので(正直者はズルの力が使えないので、無知な人を嘘吐きに奪われやすい)、世の中は「少数の嘘吐き」+「嘘吐きに騙されて嘘吐きに加担する大多数の無知な人」vs「少数の正直者」で構成されることになります。

ナチズムのような全体主義がこの典型ですが、無知の人が嘘吐きに取り込まれれば圧倒的な数になり、正直者に勝ち目などありません。
ソフィスト(嘘吐き)+大衆(無知の人)の圧倒的な合力に負けて、孤軍奮闘していたソクラテス(正直者)は処刑されたように。
歴史上、こういう事例は数えきれないほどあります。

正直者が損をする社会を作り出している力の大半が、無知の人々なのです。
もし、無知の人々に正しい知識があれば、嘘吐きに騙されなくなります。
大衆が無知であればあるだけ、「嘘吐きが得をし、正直者が損をする社会」になりやすくなるのです。

無知の人々を啓蒙する

嘘吐きと戦って倒すヒーロー的方法だけでは、解決は非常に限定的です。
もし、正直者が損をする社会全体を変えるのであれば、無知の人々を啓蒙して彼らを有知者にし、嘘吐きに取り込まれないようにして防ぐ方が効果的です。
心理学的知識を悪用し、彼女を騙した先の例のアイツを恨むより前に、僕が彼女にその知識を与えていれば、騙されることはなかったはずです。
騙される(いわば嘘吐きが嘘によって利得を得る)ような状態が生じるのは、騙す側-騙される側の間に知識の格差がある時のみです。
同等の知識を持った相手を騙すことは至難の業です。

大衆を啓蒙し、無知から有知の状態にすることによって、嘘吐きの「ズルの力」の必殺技は封じ込められてしまうのです。
社会の知的水準が上がり、大衆が知識を得れば得るほど、「嘘吐きが得をする社会(正直者が損をする社会)」の可能性や規模が小さくなっていくのです。
勿論、これは均等な底上げでなければなりません。
ただ一部の人の知が増えるだけであれば、彼らは取り残された無知な人々を騙す「嘘吐き」に成ってしまう危険性があるからです。

なぜ嘘吐きが得をすることはいけないのか

基本的に、正直者が得る利益は、生産的に働き、社会に何らかのプラスをもたらす対価として、与えられるものです。
それに対し、嘘で得る利益は、基本的に正直者が生産したプラスをかすめ取ることによって成立する、非生産的なものです。
短期的かつ個人的かつ実利的な利益を上げるだけであれば、嘘吐きの方法は非常に効果的なのですが、長期的、あるいは全体的、あるいは人格的な豊かさに関しては、それはマイナスに働きます。

正直に働く人が多い社会であればあるほど、社会全体の生産性は上がり、社会全体が豊かになっていきます。
逆に嘘吐きで利益を得る人が社会に多くなればなるほど、社会に生産的なプラスを与えてくれる正直者が居なくなっていき、社会全体が貧しくなります。
嘘吐きも、最初は沢山の利益が得られる(奪える)のですが、嘘吐きが増え正直者が少なくなり、嘘吐きが富み正直者が貧しくなってくると、社会全体の生産性が落ちるので、嘘吐きの盗り分も減っていき、最終的に社会は草も生えない荒地になります。
嘘吐きの方法では、社会全体の不利益になり、嘘吐き個人も長期的には貧しくなっていき、嘘のゲームに明け暮れているうちに人々は人格的にも荒んでいきます。

皆、真面目に働くことをやめ、真っ当なものを作ることをやめ、人間性を磨くことをやめ、人間の全てのアイデアはいかに嘘や詭弁によって皆を出し抜き、利益を奪い取るかの方策を考える為だけに使われることになります。
もし、持続可能性というものを考えるなら、「正直者が損をする」社会のままではいけないわけです。

啓蒙以外の方法

「嘘吐きが得をし、正直者が損をする社会」とは、「人格的価値の低い者が経済的に富み、人格的価値の高い者が経済的に貧しくなる社会」です。
要は人格的価値と実利的価値が背反する仕組みの社会です。

昔の人は、嘘吐きによる利益追求が共同体を破滅させることを経験的に理解していたので、それを防ぐために「正直」を優れた人格的価値として定めました。
正直によって、ある程度の信用が保証されていなければ、共同体は安定的に存続しないのです。
つまり、私的刹那的に実利的価値を実現する力(嘘吐き)と反対に、それを抑制する公的長期的に利益を実現する力(正直)が人格的価値として設定されているので、この両者は背反して当然なのです。

この嘘吐きと正直の対立を解決しようと、これまで様々な模索が為されてきました。
人々を知的に成長させることで、嘘の可能性を小さくしていこうとする人(先の啓蒙)。
正直という人格的価値そのものを見直すことによって、実利と合致させようとする人。
経済システムを変えて、正直と実利と合致させようとする人。
正直が嘘吐きより実利的にも勝っていることを証明しようとする人。
正直を評価する失われた審級(神様、ご先祖様)を、別の形で復活させようとする人、等々。

おわりに

いま、世界を見渡せば、嘘吐きの独壇場であり、少数の正直者は間抜けな原始人扱いです。
皆、パイの奪い合いに明け暮れて、パイ自体を作る人が居なくなりつつある状態です。
もし、あなたが、私的刹那的実利的なものが人生のすべてであると思うのなら、嘘吐きの力を最大限利用し、パイ争奪戦の勝者を目指すべきです。
公的長期的人格的なものに価値を見出す人なら、正直に生き、奪われるのを覚悟でパイを作り続ける側にまわるべきです。
どちらの生き方が幸せかは私にはわかりませんが、両極端な選択が不幸をもたらす確率は、かなり高いと思われます。

 

おわり