テイラーの『科学的管理法の原理』

経済/ビジネス

<序章>

本書のねらい

形のある目に見えるモノの無駄は認識されやすいので、人間に強い反省を促します。
しかし、形の残らない人間行動の無駄を認識するには、記憶や想像によって推理しなければなりません。
モノの浪費より、人間の浪費の方がはるかに重要な問題です。

それを理解できない多くの管理者は即戦力ばかりを求め、自分達で計画的に人材を育てようとはしません。
天才的な逸材より、平凡な人材の効率化され組織化された戦力の方が強力なのです。
今までのように人材を第一に考えるのではなく、これからは「仕組み(システム)」をそこに据える必要があります。

本書の狙いは以下の三つです。
人間の日常的な行動の無駄によって、組織全体がいかに大きな損失を受けるかの事例による指摘。
この非効率の解消は非凡な人材を探すことではなく、凡庸な人材の体系的な管理にあることの解説。
管理(マネジメント)とは科学であり、それはいち個人の日常的行動から大企業の業務まで、すべてに適用される原理であることの認識。

 

<第一章、科学的管理法とは何か>

目的

マネジメントの目的は仕事の能率を最大限に高め、雇用主と働き手に最大限の豊かさをもたらすことです。
それは、雇用主と働き手の利害対立を前提とする既成の思い込みを捨て、雇用主と働き手の豊かさは互いが互いを前提とする相補的な関係の中で生じるということへの信念です。
互いが協力して最大限の生産性を生むことによってしか、継続的な繁栄は生み出せません。
労働者から搾り取ることしか考えない雇用主と、そんな雇用主に対し出来る限り利益を与えないよう働こうとする労働者の敵対的な関係においては、最大限の生産性向上など不可能です。

労働者の怠業

英米においてスポーツは盛んであり、労働者もみな就業時間外は好きなスポーツに興じます。
そこにおいて彼らは点数や勝利への意欲をみなぎらせ、もしチームメイトが手を抜いていれば、叱咤されます。
しかし、彼らが就業に戻ると、今度は反対にいかに怠惰な労働によって楽して賃金を得るかが問題となります。
彼らの生産性は本来の可能性の半分以下しか発揮されておらず、この可能性を開花させれば生産性は倍以上に伸びることになります。

怠業の原因

怠業の原因となっているものは、概ね以下の三つになります。

第一に、各成員が生産性を上げてしまえば、少ない人数で仕事が達成されることになり、多くの人間から職を奪ってしまうことになるという、既成の思い込みです。
しかし、生産性が拡大すれば、商品の価格が下がり需要が増大するため、解雇どころかより多くの人手が必要となるはずです。

第二に、管理体制にひそむ本質的な問題です。
沢山の人間を同じ場所に集め、同じような作業をさせ、一日あたり同じような賃金を与えると、必然的に楽して働くことが最も得をすることになり、集団は最終的に最低水準の人材へと均質化される傾向にあります。
いかに有能な人材でも、この中にあっては、徐々に能率を落としていき、周囲と同じ水準に落ち着きます。
仮に個人の問題意識において高水準の仕事をする者がいれば、変人扱いで集団から疎外され、下手をすると袋叩きにされます。
これは労働者が現状の管理体制の中で、最も合理的な働き方を考え抜いた末に生じた計画的怠業であり、人間の怠け癖などと言って済ますことのできない深刻な問題です。

計画的怠業のもうひとつの狙いは、雇用主に対し、本当に発揮できる作業ペースを隠すことにあります。
いかに有能に見える者でも、報酬の上限や勤務時間などを考えながら、それに見合った力に上手くセーブしています。
労働者の本当の可能性を見せてしまえば、仕事量が増やされてしまうため、若く経験のない頑張り屋の労働者でもいれば、先輩達から「自分のことしか考えない強欲なエゴイスト」と罵られ、あらゆる教え込みと脅しによって、怠惰の同調へと矯正されることになります。

出来高制を導入しても、怠業が止むのは一時のことで、頑張った成果が後々に出来高制の賃金基準に関わるものである事に気付くと(頑張ればそれだけ単価が下げられる)、さらに周到で組織的な計画的怠業が始まります。
ここにおいて雇用主と労働者間の対立は激しさを増し、労働者はいかに雇用主を出し抜き、生産性を抑えるかに躍起になります。

第三に、労働者の動きが、場当たり的な経験則に頼るものでしかないため、それが非常に非効率で不必要な動作を生んでいるということです。
これを解決するには、作業に対する科学的な分析と研究を行い、より高い効率とより大きな成果を生む最善の動作を発見する必要があります。
マネジャーは労働者の経験則に任せて傍観し、ただ高圧的に命令を出すだけで働き手を孤立させるのではなく、科学に即した知見によって労働者と日常的に関わり、彼らの作業に協力的に関与することが大切なのです。

 

<第二章、科学的管理法の原則(本質)>

従来のマネジメントの本質

従来の職場における作業の手法は、現場の労働者による 口頭伝承と無意識的な模倣によって先輩から後輩へと受け継がれていきます。
それは分析も解説も体系化もされない、現場の経験の蓄積であり、その資産は働き手の中にのみあります。
マネジャーは蚊帳の外であり、結局、最大の利益を上げるためには、働き手の自主性に頼り任せるしかありません。

しかし、先ほども述べたように、働き手は自主性の十分な発揮は自己の利益を減じさせるものであると考えているため、彼らの自主性は一部しか発揮されていません。
そのため、彼らの欲求を刺激する何らかのインセンティブを用意する必要があります。
例えば、昇進や昇給、上乗せ賃金やボーナス、労働時間の短縮、労働環境の向上、などです。
それは働き手に対する感謝と思いやりの表現としての意味も持ち、いかに彼らに働く動機を与えるかが問題となります。

従来の最善のマネジメントの本質とは、「労働者が最大限の自主性を発揮し、雇用主がその対価として特別なインセンティブを与える」というものになります。

科学的管理法の本質

従来の「自主性とインセンティブの交換」の手法では。労働者の自主性の発揮の可能性が不安定で成果が限られますが、科学的管理法を用いると、働き手の自主性が確実に引き出せます。
マネジャーは労働者の知識をすべて集め、分類整理し、法則を抽出します。
マネジャーの主な仕事は以下の四つになります。
1、一人一人、一つ一つの作業において、科学的手法を講じる。
2、働き手の選択によるのではなく、マネジャーの科学的な視点から人材の選別、指導、訓練などを行う。
3、働き手と協力し、開発された科学的手法を確実に作業に適用させる。
4、マネジャーと働き手が、仕事と責任を均等に分け合う。

4については分かりにくいですが、要するに従来の方法では仕事の全体を労働者がすべて引き受けていましたが、新しい方法では、データの収集やプランの制作などのデスクワークをマネジャーが担当し、実務作業は労働者が引き受けるという分業体制がとられるということです(ロボットで喩えれば制御系と駆動系の分業です)。

この新しい管理法において最も重要なのが、作業プランの構想です。
新たな作業が始まるまでに、マネジャーはプランを完成させ、作業員にそれを渡します。
何をどのような方法で為すのかの具体的な指示、タイムスケジュールの提示などです。
もちろん、作業員の健康や幸福もプランの中に含まれます。
身体が資本の労働者がずっと強壮で働き続けてくれることが、成果に直結するからです。
成果を急ぐあまり無理なプランを立て作業員が身体を壊してしまえば、トータルとしては大きな損失です。

<第二章、科学的管理法の原則(実例)>

銑鉄(せんてつ)運搬作業における実例

四十キロの鉄塊を運ぶ作業があります。
日給は1ドルで、作業員は平均一人あたり一日10トン運びます。
しかし中には一日50トンも運ぶ優秀な作業員がいます。
従来の一日平均10トンから、一日平均50トンへと引き上げることが、マネジャーの課題となります。
もちろんそれは一過的なものではなく継続可能なものである必要があります。
労働者も管理者も互いにに満足する、安定した状態で成し遂げられなければなりません。

まず、マネジャーは彼ら作業員を調査観察し、その中から適材と思える者を選び出し、告げます。
「あの鉄塊の山(50トン)を運ぶ作業をやってもらう。今の倍、一日2ドル出すから、この人(管理者)の指示通りに口答えせず黙って働いてくれ。歩けと言われれば歩き、休めと言われれば休む。そうすればすべて上手くいくから任せてくれ」
やがて彼ら全員が毎日このペース(一日50トン)で作業をこなし、以前の倍の給料を得ることに成功しました。
ここにおいて、先に挙げた科学的管理法の本質の四つが上手く機能しています。

現場での諸問題

私(テイラー)がマネジメントの改革に乗り出した時に起こった実際の問題を少し述べます。
まず、作業員たちは改革を拒み、あらゆる方法でそれを阻止しようとします。
マネジャーへの脅しや無視、家族への危害の示唆、意図的に機械を損傷させたり失敗を生み出し、それをマネジャーの責任とし辞めさせようとしたりします。
しかし、この反抗は一方的に労働者が悪いということではなく、マネジャー層が働き手の可能性や限界を十分に理解せずに、能率のみを上げようとした結果生ずる必然的な反動です。

そこで私は人間の運動と疲労の関係を、科学的なデータと観察、実験を通して調べ上げ、最も効率的で疲労のない作業の法則を導出し、それに従い、働き手たちを指導しました。
それにより、作業員は継続的に仕事を受容することができるようになります。

さらに人選というものが非常に重要になります。
鉄塊運びの仕事で言えば、頭を使うのが苦手で単純作業の好きな力の強い屈強な男である必要がありますが、だからといって科学的な法則に基づくマネジャーの指導を理解できないほど頭の回転が悪いと駄目です。
そういう適材を選ぶことで、当然選ばれない者もでますが、それはもっと別の仕事で適所を与えるべきであり、それは働き手の為にもなることです。
水の合わない場所で無理して働くよりも、自分に合った場所で、相応の訓練をしさえすれば、経済的により高い水準を望めますし、心も身体もより健康であることができるからです。

シャベルすくい作業における実例

ただシャベルですくうだけの単純作業においても科学があります。
作業量を最大化するために必要な法則が必ずあるからです。
ひとすくいの量やペースの調節、運搬物(鉱石、灰など)によるシャベルの選択、フォームや動きの矯正等々。
ただ、そういう一般則だけでは駄目で、それが個々の作業員に対応した指導でなければなりません。
例えば、運搬物の種類だけでなく、作業員の身体の大きさによっても適切なシャベルがあるわけですし、作業員それぞれに効果的な指導の方法も違います。

各作業員は出勤すると、毎朝各自に用意されたメモを読み、作業指示や評価や期待などのメッセージを受け取り、物理的にも心理的にも適切な方向へ導かれます。
これらの個別指導は、管理者が集まって、チェスのコマを配置するように現場労働者の最善の動きの綿密なプランニングによって導出されるものです。
このようなマネジャー層と現場労働者たちとの協働体制が必要になります。

これにより人員は増えますが、全体として運搬物1トンあたりのコストは半減し、年間八万ドルの節減となりました。
この改革以来、働き手の生活も健康的になり、経済的にも豊かになり、職場の人間関係も円滑なものとなっていきました。
雇用主は利益を得、労働者は健康と富と仲間を得ることに成功し、対立ではなく協同によって、お互いの幸福を増すこととなりました。

レンガ積み作業における実例

レンガ積みの仕事というものは、この数百年間続いてきた仕事にもかかわらず、ほとんど進歩していません。
私たちはこの変わらぬ伝統的な仕事に、科学的分析と管理法を導入することにしました。
レンガ積み作業から、無駄な動作や工程を徹底的に削ぎ落とし本質的な動きに絞り込むことで、従来の動作数平均18を平均5まで落とすことに成功しました。
工程数だけでなく、作業者の疲労度や作業スピードに関わるどんな些細な無駄もひとつひとつ潰していきます。
作業員の動作、フォーム、従業員間の連携、足の位置、モルタル容器の高さ、レンガの山の積み方、モルタルの練り具合、各道具の機能的な改善と開発、等々。
これらすべてを科学的な実験によって検討し、徹底的な効率化をはかります。

長い歴史を持つレンガ積みが、なぜ進歩しなかったかと言うと、それが複数の職人が横並びで順番に積んでいく作業であるため、誰かが突出した能力を持っていても意味がなく、仲間の平均的な歩調に合わせざるを得ないからです。
ペースを上げるためには、全体を同時に上げる必要があり、全作業員に共通する標準的な作業法の導入や環境の整備、協力体制の編成、そして何より全体に目を配りながら遅い部分を個別にサポートする管理者(マネジャー)の仕事が必須なのです。

ベアリングの検品作業における実例

先に挙げた科学的管理法の四つの本質の中で最も重要なのは、作業の科学的な効率化ですが、業種によっては科学的な観点からの人材の選定が最重要となるものもあります。

ベアリングボールの検品は、非常に高い精度を必要とされ、その分作業員は研ぎ澄まされた集中力と神経の緊張が求められます。
現状の10時間労働では長すぎ怠惰な時間が生じているため、作業員達に日給は据置いたまま労働時間を短縮し、同じ作業量をこなすよう指示します。
作業員もこれを望み、徐々に時間を短くてゆき、やがてそれは八時間となりましたが、この時間短縮の度に検品数はむしろ増えることになりました。
時間を短縮することによって作業員(人材)の集中力(能力)が増したからです。

また、知覚と反応の適性検査によってふるいにかけ、適格者のみをこの作業に当たらせたり、仕事量の増大で品質が落ちないよう検品済みボールのチェック体制や手抜きがばれるようなトラップを作ったり、集中力の持続する休憩の取り方やモチベーションを上げる給与の算出方法を考案したり、様々な改革を進め効率を上げていきます。

これらの改革により、従来120人で行っていた作業を35人で行うことが可能となり、検品の精度は1.7倍ほどに上昇しました。
作業員達の給与は倍近くになり、なおかつ勤務時間は一日二時間の短縮(さらに土曜は半休、月四日の有給)、休憩も一日四回もらえるようになりました。
管理者側は、改革に伴う様々なコスト増より検査コストがはるかに下がったことで大きな利益となり、働き手との共同作業になったことで労使関係は良好となり、ストライキのリスクが無くなりました。

<第三章、科学的管理法の原則(方法)>

手法ではなく、管理の哲学の刷新

管理者は、作業改善の責任が自分にあるという事を自覚せねばなりません。
現場(労働者)の経験則に頼るのではなく、経験を一般化しまとめ、法則を探り出し、それを仕事に生かす必要があります。
現場作業者はあまりにも経験に近すぎ、客観(一般)的な視点から全体を見ることが難しく、仕事に追われているためせっかく経験で得た知識を法則化している時間がないのです。

管理者が科学的管理法を導入することにおいて刷新するのは、管理の手法ではなく哲学です。
管理の哲学、いわば基本理念(原則)の徹底に従ってその具体的な手法が導き出されるのであって、その逆ではありません。
それは、経験則ではなく法則(科学)の重視、働き手と管理者の協力関係、科学的な人選と能力開発による個人と全体の調和、などです。

法則を導き出す具体的な方法

1、経験から理論を抽出する
まず、その作業において最も優秀な人材を、偏りなく(勤務場所や性別など)集めます。
彼らが作業中にどんな動作をするかを観察し、基本となっている動作を選別し、無駄な動作を切り捨てます。
その基本動作をストップウォッチで計測し、さらにその動作を最も効率的で早くこなせる方法を探究します。
そうして無駄な動作や無駄な時間を徹底的に削ぎ落とした動作をつなぎ合わせ、最も効率的な作業の方法が導出されます。

2、ツールの改善
人材と同じことが、作業道具においても適用できます。
作業目的は同じでも、地域や個人によって使う道具の種類や形状は変わります。
それら道具を集め、その可能な改良形を含めたすべてを調べ上げ、その作業において最も早く楽にこなせるものを選び出し、基本となる型を作ります。
その道具が定番となっても、探究を重ね、改良や新たな発明を行います。
これは基本形の抽出であり、さらに各個人に最も適切な調整や改善は、管理者の綿密なプランニングと個人指導によって為されます。

3、課題の設定
ただ、漠然と法則に従えと言っても、作業員は決して向上しません。
それは生徒に対し、教科書を丸投げして家に帰る教師のようなものです。
優れた教師は、各生徒に対し、日々の進展に従った適切で明確な課題を与え、計画的に進歩させます。
よほど自立した向学心のある生徒は別ですが、一般人には課題も与えず頑張りなさいと言うだけでは、何の進歩も見込めません。
課題意識はモチベーションと達成の満足、目的に対する安心(安定)を与えます。

4、賃金の設定
労働者のモチベーションや忍耐力を引き出すためには、賃金の設定の仕方が非常に重要になります。
賃上げが一時的なものではなく、恒常的なものであるという事が約束されないならば彼らは集中力を持続することが不可能ですし、仕事の種類によって最も成果の上がる賃金の上げ幅や与えるタイミングは、当然異なります。

5、プランニング部門の設置
労働者に科学的な仕事のやり方を体系的に教えるためには、様々な専門分野のスタッフが管理者となって話し合い、そのプランを練ることが必要です。
労働者の動作研究を担当する者、機械や道具の分析や改善を行う者、タイムテーブルを作成する者などが集まり、その全体的な視点から最も効率的だと考えられる指示を、労働者個別にメモやカードとして与えます。
各現場にも指導者を配置し、そのカードの指示を作業員が理解し業務を行っているかを管理しサポートします。

6、複数の現場指導者の配置
従来のように現場指導者(職長)を一人だけ配置するのではなく、それぞれの分野ごとに任命された複数の専門的職長によって、現場での指導を行います。、
理論や指示だけでなく、きちんとそれを最善のやり方で実演できる、模範としての職長達です。
労働者は彼ら(部門別職長)から、効率的な作業手順や動き、機械の上手い扱い方や手入れの方法、作業のスケジュールなどを、個別に指導されます。

注意点

これらの手法はあくまでも枝葉に過ぎず、先にも述べたように重要な幹となるのはその管理の哲学です。
その哲学によって、(1)の原則編で挙げたマネジメントの四つのエッセンスや、今回述べた具体的な手法が導出されるのです。
そこを転倒して手法を第一に考えてしまうと、科学的管理法は成果どころか悲惨な結果をもたらすことになります。
哲学(理念)を確固とした軸としつつ、その手法は、状況に応じて柔軟に変えていかねばならないのです。

例えば、その哲学の内の一つが“管理者と労働者の協力関係”ですが、これを忘れ、単なる思考する者(管理者)とその指示を実行するだけの者(労働者)の分業システムととらえてしまえば、現場労働者の貴重なアイデアや問題の発見を得る機会を失ってしまいます。
働き手にも、遠慮なく提案や問題提起を為すよう常にうながし、それを慎重に検討し、改善策のデータとして生かさねばなりません。

また、従来のインセンティブを基にしたマネジメントから科学的管理法へ移行するには、マネジャー及び労働者の考え方や習慣を根本的に変えなければなりません。
人間の考えや発想を変えるには相当の時間を必要とするため、改革は焦らず徐々に行わねばなりません。
やみくもに手法やシステムを性急に変えただけでは、職場を崩壊へと導くだけです。
仕事の複雑さや会社の大きさが増せば増すほど、よりぶれない確固とした理念(哲学)の尊重と、長い時間が必要となるのです。

人々の幸せに貢献すること

科学的管理法を取り入れることで、働き手ひとりひとりの限られた労力から最大の生産力を引き出すことができ、それにより社会全体が繁栄します。
国や社会の経済的豊かさの指標となるものは、一人当たりの生産性なのであり、その事実を踏まえ、「失業は生産性の拡大によって生まれる」という従来の誤解を取り除き、むしろ働き手が意図的に生産性を抑えることが失業率を高める原因だと理解せねばなりません。

生産性が増せば、国民全体に生活必需品も贅沢品も行き渡り、自由時間が増え、より高い教育の可能性や文化や娯楽の機会が増してゆきます。
管理者と働き手が、同じ目的に向かい協力して働くことにより、下らない対立やいさかいに費やす無駄な労力や時間は、有益に使われることになります。

最後に、科学的管理法をその本質的な要素でまとめてみます。
「“科学”によって人々を“調和的”に結びつけ、その中で個々人が“最大の効率”を発揮し、その個々の力たちの“協力”によって“最高の成果”を上げ、皆で“豊かさを享受”すること」

 

おわり

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