相田みつをの『人間だもの』

はじめに

まず本書のエッセイ部分の内容を中心に相田の思想を見ていき、最後に詩を少し紹介します。

にんげんだもの

相田みつをの人間の定義とは「弱さ」です。
偽り、欲深く、躓き、迷い、苦しみ、誤る、弱き者である人間です。
そしてその弱き人間を丸ごと肯定する言葉が、タイトルにある「にんげんだもの」という言葉です。
まずはこの弱さの自覚からはじまります。

根はみえない

その弱さの本質的な問題は「根の弱さ」です。
根の弱い木がそれを忘れて、背伸び(成長)することばかりに躍起になって、根は成長しないままに沢山の枝葉をつけます。
やがてその重みに耐えかね苦しみ、ようやくその事実に気付きます。
そこで自分の根に支えらるだけの枝葉のみ残して、他は切り落とし、自己の根の成長を促します。
もちろんそれは心の根(芯)のことであり、相田にとってそれは仏教であるわけです。
本書の目的は、読者のその無駄な枝葉を落とし、仏教的な智慧(ちえ)によって根を強くすることです。

おかげさま

その仏教的な智慧の基本として、世界はすべて関係性から成り立っていることを語ります。
物も事も人も、けっして単独では存在しえず、関係性の中にしかないということです。
影(陰)があるから光が存在しえるように、劣等生がいるから優等生が光り、脇役の存在が主役を引き立て、綺麗な水は下水なしには在りえません。
そうやって、世の中のものすべてには存在の意味と価値があり、そういう関係性のつながりを「おかげさま」という言葉によって表します。
その「おかげさま」の心(存在の関係性)を忘れた時、物と物の間に争いや憎しみが生じます。

わたしがわたしになる

だから、本質的には存在価値というものは平等であり、影より光の方が偉いとか、トマトよりメロンの方が高級だとか、そういうものは人間がソロバンをはじいて作り上げた社会・経済的な幻想でしかありません。
トマトもメロンも、ただ同等に一生懸命生きているだけであって、それに点数を付けたり競争させたりさせるのは、無知な大人だけだということです。
そういう人間は、トマトもバナナもみんな、強引にお金になるメロンにしようとし、けしかけ、矯正し、ひっぱたき、すべて駄目にしてしまいます。
この世界というものは、私が私に成り、あなたがあなたに成る場所であって、決して別の誰かになる場所ではありません。

意識しない

しかし、私が私になるといっても、私を意識しているかぎり、本当の私には成れません。
例えば、空気の存在を意識するのは、空気が汚れていたり、少なかったり、抵抗(空気抵抗)を感じたりする特異な状況であって、空気が十全にその存在価値を発揮しているところでは、むしろ意識されません。
健康であるとは、何も身体について意識しないでよい時であって、病気や不調や怪我によって身体を意識する時が、健康を損なっているということです。
それと同様、意識したものは本当のものではないのであり、私を意識しながら生きる私は、本当の私ではありません。
子供のようにわれ(私)を忘れ自然に生きている瞬間に、私は本当の私に成っているという事なのです。

やわらかい心

大人である私は、そういう本当の私をほったらかしにして、他人の目に映る私の姿ばかり気にして生きています。
他人の目に映る私とは、いわば「社会的な私」であり、それは社会常識と分別によって規定された、単なる私のラベルです。
私は私に貼り付けられる、そういう社会的なラベルに囚われ、がんじがらめになり、そうして自然な生は、泣きたい時に泣けず、笑いたい時に笑えず、格好ばかりつけて、頭も心も身体も固くなります。
笑う時に一生懸命笑い、泣く時に一生懸命泣き、さっきまで泣いていたのに、もう笑っている、そういう子供のようにやわらかい頭とやわらかい心が大切なのです。

本心を生きる

私が何かのために行為するとき、力んでも駄目で、たるんでも駄目で、力まずに力を発揮することが大切です。
力んで無理して行為すれば、思った結果が得られなかった時に愚痴が出ます。
だからといって、ケチって力を出し切らないならば、自分の力と命をたるませ弱くしてしまいます。
無理とケチの間に本心があり、本心から出た行為の満足は行為そのものの中で充足し、見返りなどには左右されません。
本心から出た行為は、自己の命を本腰で生きることであり、張りのある充実した人生を生じさせます。

本当のしあわせ

人は多くの場合、楽して格好いい人生を送ることが幸せだと思っています。
それは、できるだけ苦労せずスマートに、可能な限り多くのものを獲得する人生です。
しかし、充実感のある生というものは、山登りのように努力や苦労が生むものであって、ヘリコプターで頂上まで行っても何の充実感も感動も得られません。

また、今は楽な環境が与えられていたとしても、将来それがどうなるかは全くわかりません。
軍隊で終戦を迎えた相田にとって、あれだけボロボロで悲惨だった日本が、30年後にこんな豊かな国になるとは想像すらできなかったように、いま現在の豊かな環境も、一瞬にして悲惨な環境に変わる可能性もあります。
そんな時、楽して育てた根の弱い木は、すぐに倒れてしまいます。
運命や外的環境に左右されない、本当の幸せを手に入れるためには、苦労して失敗を繰り返す努力の中で、自分の心の芯となるよう育まれた強い「いのちの根」が必要なのです。

我慢のちから

そのためには積極的に失敗し、恥をさらし、それに耐える機会と訓練が必要です。
それは、思い通りに行かない時に我慢できる強さと自制心を養うことです。
負けないという事は、つねに勝てる相手としか戦っていないということであり、自分が相手の強さを選べる時(例えば、勉強の課題レベルやスポーツの対戦相手等)には機能しますが、運命の波はそんな都合は一切考慮してくれず、とてつもない敵をぶつけてきます。
明日、私は事故で身体が動かなくなってしまうかもしれませんし、天災や戦争ですべての財産と仲間を失うかもしれません。
人生は上手くいく事よりも、上手くいかない事の方が多いのが基本です。
時に運悪く、強い逆風が続いたとしても、失敗に負けないそういう強い根を持っていれば、それに耐えながらも、さらに真っ直ぐに伸びていくことができます。

毅然とした顔

悲しみに耐え、苦しみに耐え、批判に耐え、弁解も言い訳もせず、どんなに苦しくとも辛くとも、弱音も愚痴も吐かない顔。
やらねばならぬことをただ黙ってやり、一番大切なものに一番大切な命をかけていく、そういう毅然とした顔。
そんな顔で生きて欲しいのです。

<詩>

つまづいたって いいじゃないか にんげんだもの (6項)

いいことは おかげさま わるいことは 身から出たさび (10項)

うばい合えば足らぬ わけ合えばあまる うばい合えば憎しみ わけ合えば安心 (12項)

この世は わたしがわたしになるところ あなたがあなたになるところ (14項)

どのような道を どのように歩くとも いのちいっぱい生きればいいぞ (18項)

花は ただ咲く ただひたすらに (23項)

ぼろは初めに見せておけ そうすれば いつでも天下泰平だ (24項)

名もない草も実をつける いのちいっぱいに 自分の花を咲かせて (45項)

うまれかわり死にかわり 永遠の過去のいのちを受けついで いま自分の番を生きている・・・ (69項)

いま ここにしかない わたしのいのち あなたのいのち (74項)

かんがえてばかりいると 日がくれちゃうよ (76項)

一生勉強 一生青春 (78項)

(文化出版局『人間だもの』相田みつを~より)