スマイルズの『西国立志編(自助論)』 (3)自己修練と倹約

(2)のつづき

第十章、お金の力

お金というものは、それ自体は尊くも卑しくもない、単なる道具です。
使い方次第で、その人や人生を良くも悪くもします。
お金の使い方はその人の人格の現れであり、お金の問題は人間の問題です。

善く使えば、それは精神的にも経済的にも自立と安心を与えてくれるものであり、何より基本的な物質的必要の充足は、人格の健康や成長にも必要なものです。
また、快適な生活を得るための努力自体が、自尊感情、実務力、忍耐、勤勉、克己、節度、計画性、目的意識などの、人間にとって重要な特性や能力を獲得する教育的効果を持っています。
将来のために今を犠牲にする計画行動というものは、難事でありながら、幸せな人生を作るために絶対必要なものです。

反対に、悪く使えば、寄る辺ないその日暮らしの精神的不安と状況に依存する奴隷状態の中で、自尊心や自己肯定感を失い、無気力と怠惰と諦めが常態化します。
社会の片隅に追いやられ、無知と不満で心は荒み、不況時には他人の慈悲にすがる物乞いのような存在となります。
貧困は内からも外からも悪徳に対する抵抗力を無くし、改善のための手段を限定してしまいます。
困窮はその場可能性に縛りつけ、別の道を歩む自由を奪っていきます。

凡庸な人でも、勤勉、倹約、節制、正直の徳目に従えば、状況はいくらでも改善し向上します。
労働者に健全な自助の精神が根付けば、底辺での足の引っ張りあいから全体の向上へと社会は動き出します。
惨めな隷属から解き放たれ、知性と美と自由に溢れた生活が約束されます。
お金の正しい使い方はその人の懸命さ、克己心、先見力の証しです。

お金は有意義なものも無意義なものも買え、衣食住だけでなく自尊心や自立心や鷹揚な心を買うこともできます。
生活の足場が安定していることは、希望と明るさと安心を与え、そういう地固めの努力をできる向上的な人は、人としても尊敬に値します。

自立の基本は倹約です。
倹約の本質は家政全般の秩序付けと管理であり、生活に規則を与えることで無駄を省き、人生を有効に使うことです。
将来のために現在を利用し、本能的な動物的欲望を理性によって制御し、後の幸福に向けて快楽を計算する、快楽の経済学です。
倹約は金銭崇拝などではなく、道具としてのお金の使い方の能力です。
倹約は自助の精神の最高形態としての現れです。
倹約は思慮分別が産む子であり、自由と安心と心の余裕を産む母になります。
倹約はケチとはまったく逆のものなのです。

ケチはむしろ計画性のない、近視眼で狭隘な心が生むもので、それは不幸の原因です。
本来、人間という主人の道具であったお金の奴隷となり、人間性と主体性と心を失います。
人間の幸福ではなく、金儲け自体が目的になり、人間を忘却してしまいます。

ケチが計画性のない、盲目的な貯蓄への衝動だとすれば、浪費は計画性のない盲目的な乱費です。
自分の稼ぎで自分の生活をまかなえないその無計画性は、やがて不正な手段や、他人へ依存することになり、自由と自立と善良さが犠牲になります。
浪費家の敵は社会ではなく、自分自身の中にあるのです。

余裕のない浪費は虚飾を生み、上辺を取り繕ったものが跋扈する見掛けだけの社会が生じ、破滅へ向かいます。
不正と嘘に覆われた社会では、分わきまえた本質的な生活を送る正直さや本物は埋もれ消失してゆきます。

お金の使い方は、その後の人格形成や幸福を左右する非常に重要なものなのです。
目先の利益や快楽の誘惑に負けていくごとに人間の抵抗力は弱まり徳が失われていき、逆に勝てば自ずと自信と勇気がついてきます。
やがてそれは習慣となり、自然と徳と勇気の備わった生活を送れるようになります。
自己修練によって自分が自分の主人になり、お金より知恵を求め、倹約によって自立することです。

お金はあくまで道具であって、過大評価してはいけません。
偉人は最低限の資金で十分、人間力を養えます。
目指すのは最大の資産ではなく、最高の人格です。
豊かさは財産の多さはではなく、心の中の欲望の落ち着きにあるのです。
下品な虚飾の金持ちより、つつましい品のある暮らしが豊かさです。
神はいつでも必要十分なパンを与えてくれているのです。

人間的なものが目的であり、それ意外はすべて単なる手段でしかありません。
肩書きだけの地位や名誉よりも、社会人としての責務をまっとうすることです。
お金の力より、知性や道徳の力の方が優れています。
社会や人類を先導する者は、金持ちではなく豊かな人格を持つ人であり、そんな人にとっては世俗の成功や金や名誉など、取るに足らないものでしかありません。

第十一章、自己修養

最高の教育とは、自らが自らに対し行う教育(自己修練)です。
自分固有の状況の中で、自分の手で苦労しつかまえた知識だけが、血肉になります。
自分の頭と身体によって問題をとらえ解決する自己修練の姿勢は、どんな優れた教師や書物に出会ったとしても、基本として必要となるものです。
一方通行的な断片的な知識の押し付けでなく、主体的に知識をつかんでいくことが効果的なのです。
自分の頭も身体も使わない怠惰な姿勢は、安直で邪(よこしま)な考えが入ってくる隙を与えやすく、悪い方へ流されてしまいます。
知的な仕事に携わる人は、身体の健康を疎かにしがちですが、不健全な肉体は、鬱や無気力や不満や忌避を生じさせやすく、注意が必要です。

しっかりとした目標と、惜しまぬ努力さえあれば、誰でも目的とするところまでたどり着けます。
先ず自分が何をしたいのかという確固たる目標を明瞭に自覚すれば、そこへ到るための手段は自ずと導き出されます。
単調な作業の積み重ねが天才へと至る道であり、成長に限界などなく、努力をやめるときが限界なのです。
努力しなければ、成就の可能性すらありません。
偉大な業績は急に生まれることなどなく、その前に地道な準備の努力があります。
努力することによって、最初は難しかったことが難なくできるようになり、その積み重ねによって、偉大なことが実現可能になるのです。
簡単にやってのける大道芸人のお手玉も、忍耐強い練習と挫折の後に獲得されたものなのです。

重要なことは、知識をどれだけ蓄えたかではなく、知識をいかに有効に活用できるかです。
使い方も分からない膨大な知識より、有効な少数の知識を正確に習得する方が知識として優れています。
得た知識はいつでも使えるような状態にして保持しておくことも重要です。

知識を得た後は、自己修練によってそれを越え出て行かねばなりません。
自分の目と頭を働かせ、実生活での経験の中で試行錯誤し、それを本物の知恵として昇華することです。

問題意識を持って学ぶのではなく、遊び半分で勉強していると、やがて勉強が遊戯になってしまいます。
知性と努力の無駄遣いが始まり、空虚な頭と人格が形成されます。
無目的な乱読は、勉強のフリをした惰眠であり、無気力を常態化させます。
人間を高めてくれないような勉強は、知識を装った怠惰と無知でしかありません。
人をより幸福で有徳な人間という目的のための、効果的な道を作ってくれるものだけが知識です。
見栄や気晴らしや蓄集や現実逃避や

そういう実践的な英知を得るための基礎が、自己管理と自己修練であり、それを芯から支えるものが自分への尊敬です。
この世界の中で命を与えられた以上、自己を大切にし、世界のために働く責務と使命を負っているという自負心です。
最善を尽くして自分を磨き、世界に対する畏敬の念をもつことです。

自分を尊敬できない人は、他人からも尊敬されません。
卑屈な心は卑屈な行動を生み、うつむいてばかりいれば前向きな心にはなれません。
いかに物質的に貧しくとも、自己を尊び、しっかりと前を向いて歩いてゆけば、下劣な誘惑を弾き飛ばし、真っ直ぐに目的へ向かうことができます。

そうした自助の修練によって自己の能力が向上していけば、自らを敬う心も自然と高まっていきます。
自己が充足している人には利他心が生じ、自分だけでなく誰かのために働くことに喜びが感じられるようになります。

逆境においてこそ、その人の真の力が剥き出しになり、覚醒します。
失敗は問題を明確化し、集中力を高めてくれます。
人間は苦難に耐えぬき、困難に勇敢に立ち向かい、障害を乗り越えることによって鍛えられ、成長していきます。
反対に、富や?栄などによる安楽は、人間の抵抗力や精神的な筋力を衰退させ、傲慢や吝嗇や卑屈な心を招きよせ、眠たい眼差しは冷静な判断力を鈍らせ、人を堕落させます。
順調な時ほど、規律と自制心が必要となります。

目標を達成する最善の方法は、必ずそれを達成できると強く思うことです。
その時点でほとんどの障害というものは、自然と消えてなくなります。
裏を返せば、障害や限界というものは、自分の心が生み出しているものなのです。
次いで、とにかくやってみることです。
とにかくやってみなければ、自分にいま何があり何が必要かすらわかりません。
画家がキャンバスにまずアタリをつけ、その後そこに絵の具を盛って完成していくように、最初の一歩を踏み出さなければ、その後の歩みは永遠に存在することができません。
千回も望み憧れることより、勇気を持ってたった一度でも試みることの方が、遥かに価値があります。

何度も言うように、世界を動かすのは、天才ではなく、目標に向かって粘り強く努力する者です。
素直に与えられたものの中で一生懸命努力し、最善を尽くしていくことによって、高みへ到る人です。

結論を言えば、真の知識というものは、他人から教わるものではなく、成長の過程で自らの努力によって獲得するものです。
精神と肉体の両面で健康であり、忍耐と努力の習慣をつけ、自己修練に励めば、自ずと目的地へとたどり着くことができます。

(4)へつづく