スマイルズの『西国立志編(自助論)』 (2)勇気と実践

(1)のつづき

第六章、仕事と創造

何らかの目的を達成しようと意を決したなら、起床から就床まで、全身全霊をそこに傾けねばなりません。
たとえ天賦の才や幸運を持っていても、努力によってそれを保持し磨かなければ、輝きを放つことはありません。
結果の果実しか見ない私たちは、それが生まれるまでの勤勉な努力の過程を知らず、まるで天から与えられたもののように感じてしまいます。
しかし、目の前にある一枚の絵(ティツィアーノ『最後の晩餐』)は、7年もの間、毎日描き続けた作品であったりします。
むしろ洗練されたものは努力の跡が見えなくなるので、尚更です。

そんな根気強い努力を堅持するためには、富や名声という外的な褒美ではなく、自身の本分の達成を目的とし、自身の天性を発揮するという内的な褒美を求めねばなりません。
いわば仕事が何らかの別の目的のための手段ではなく、その仕事自体が目的であることによって、安定的で継続した努力へのモチベーションが維持できるのです。
ぶらさげられたニンジンのために走る馬ではなく、面目躍如とした自分の本姓を発揮するために馬が駆けるように。

目の前に与えられたどんな状況や偶然も大切にし、貪欲に自分の目的へ向け変え、今日たとえ一歩でも前進することが大切です。
例えば、ターナーは画家としては下らない絵の仕事(他人の絵の仕上げ作業、パンフレットのイラストや辞典の挿絵など)も引き受け、お金にしました。
どんな瑣末な仕事であっても、それに最善を尽くし、絵の修行の機会とすれば、金を入手するための無駄な時間と労力も、絵のために利用することができます。
「それこそ当時の私にできる最善の練習方法だったのだ」と、ターナーは言います。
常にベストを尽くす努力によってのみ、現状を打破する可能性が与えられ、幸運を手にする資格が与えられます。

第八章、勇気と活力

「われは道を探す。道なくば道を作る」という古代の名言通り、環境というものは自分自身で作っていくものです。
肥えた土地も痩せた土地もある程度は自然に与えられた条件によるものですが、基本的のはそこに住む人々の勤勉な努力の有無によって生まれたものです。
絶望的に駄目な土地を肥沃な土地に変えるお語は、現実でも虚構でも無数にあり、運命を自分の使命によって変えていく姿に人はうたれます。

現実というものは、頭と身体を働かさない限り変わりません。
変えたいものに向かって努力し、努力し、努力し続けることが人生です。
それに必要なものは意志(勇気)と活力であり、厳しく単調な仕事に押しつぶされることなく、前進していきます。
成功に必要なものは環境や才能ではなく、強い意志と努力を継続させる活力です。
活力によって希望が芽生え、同時に希望によって活力が湧き起こるのです。
ヘイスティングズの戦いの地、バトル修道院に残る兜には、「希望は力なり」という言葉が刻まれています。
現実の厳しさというものが世界で最も優れた教師であり、勇気を持ってそれに学ばなければなりません(臆病さはすべての可能性の芽を摘んでしまいます)。

端的に意志というものは可能性への信頼であり、意志薄弱とは不可能性を信じることです。
ナポレオンが不可能という言葉を嫌ったのは、その言葉を発した時点で、負けが決定(不可能が確定)するからです。
戦いにおいては、相手の意志が緩む瞬間がこちらの勝利の機であり、逆にこちらの意志が薄弱になった時、敗北の機が訪れると言います。
成功者と失敗者の違いとは、この意志の有無とそこから生ずる旺盛な活力なのです。
意志の強さは必然的に持続力と粘り強い活きた力となり発揮されます。
それら意志と活力を備えていなければ、たとえ有利な境遇や豊かな才能があってもも、無用の長物でしかありません。
「真の英知とは、確固たる決意のことだ」というのがナポレオンの信条でした。

第九章、実務の力

どんな分野であれ成功のために必要なのは、その道の専門能力に加えて一般的な実務の力が必要です。
映画や文学等で伝えられる偉人、あるいは偉人本人すら、その裏にある退屈な実務の努力を見せないため、巷では天才はビジネスや実務に縁遠いものと思われています。

しかし、現実の偉人は崇高な目標を持ちつつも、その裏で地味で俗っぽい実務を営むことを大切にしていました。
優秀な劇場経営者であったシェークスピアや、秘書官であったミルトン、造幣局長であったニュートン、収入印紙販売員のワーズワース、等、芸術家はむしろ実務面の方で優れていたとも言えます。

そもそも職業が人間の格を決定するのではなく、人間の職業に対する生き方が格を決めるのです。
正当な報酬を得る仕事は、肉体労働であろうが頭を使う仕事であろうが同格に尊いのです。
人間の格を落とすのは、身なりの汚れではなく、精神的な腐敗です。

地味で面倒な回り道によって常識と実務経験を得ることで、成功への道は開けます。
こまめな実践の積み重ねによって歩む道は、着実な成果と困難を乗り越えていく達成感を生みます。
厳しさの中にある緊張感は、人の意識を高め、人間を磨き、他者を感化し仲間を生みます。

反対に安易な近道による成功は、ある種のまぐれ当たりであり、その不安定なギャンブル性への依存が、人生を狂わせ破滅に導きます。
その中で失敗を環境や他人のせいする怠惰心が身に付き、成功者の行動力を厚かましさと非難し自分の実務力のなさを慎ましさと捉えるような、ねじれた人間となります。
実務の力がなければ、どんな幸運な境遇も才能も、宝の持ち腐れとして終わります。

小さな実践の積み重ねの中で重要なことは、その正確さです。
少しずつきちんと正確に仕事をこなすことによって、確実に進歩し、目的地に最も早く着きます。
正確さと同時に大切なのは、本質をつかんだ手際の良さです。
その仕事にとって何が重要で何が不要かの本質をつかみ、無駄を省けば、驚くほどのスピードと少ない労力で、多くの仕事量をこなすことができます。

さらにそれは時間管理の問題にも共通することで、有効に時間を活用すれば、それだけ利用可能時間も増え、良い循環で時間の余裕が生まれます。
逆に、時間管理をおざなりにすれば、それだけ利用可能時間もなくなり、火の車となります。
一度染み付いた時間を無為に過ごす怠惰の姿勢は、なかなか取る事ができません。

地味な回り道の誠実な歩みは、自分のその行為の結果が廻り回ってくるまで時間がかかるため、危険な近道を選びたくなります。
しかし、成功を確実で持続的なものにしたいなら、あえて苦しい回り道を選ぶしか方法はありません。

(3)へつづく