デシの『人を伸ばす力』(3)内なる力

(2)のつづき

第五章、有能感をもって世界と関わる

動機づけられるためには、自身の行動と結果の間の連関を知る必要があり、その仕組みを作らねばなりません。
国家的な経済システムから会社のような組織レベル、親子のような二者間レベルまで。
目標が内発的満足であれ、外発的報酬であれ、人はある特定の結果が自らの行為によって生ずると感じられる仕組みがなければ、動機づけられることはありません。

私有財産制に基づく市場経済のシステムには、この動機づけの仕組みが
強力に作用するよう組み込まれています。
この労働と外的報酬のリンクは、良かれ悪かれ人間の心に植えつけられ、人々の動機付けられた行動によって生産性を拡大します。
中央集権的な計画経済が失敗に終わったのは、この人間の心理的な側面(動機づけ)を考慮せず、ただ機械的に労働の疎外を克服するシステムを構築しようとしたからです。

この動機づけの仕組みというものは容易に統制の手段となり、むしろそちらへ流れてしまう危険性の方が大きいと言えます。
本書の目的は、統制的ではないあり方で、その仕組みが稼動するシステムを考察することです。
社会を動かす人達がこれを理解し、自律性を支援するような形で政策決定や企業活動を行うことによって、人々をより健康的で生産的な方向へ向けることができます。

社会の本流にある人とは、この動機づけのシステム(主に外発的な行動随伴性-スキナーの項参照-)に上手く組み込まれた人達です。
お金の稼ぎ方、ステータスの獲得方法、達成感を得る方法などの技術や機会をとらえる術を身に付けた人です。
しかし、この本流から外れたいわゆる「落ちこぼれ」と言われる人達もかなりおり、彼らはこのシステムの中核にある随伴性を獲得できなかったがために、生産的に動機づけられなかった人です(計画経済における労働者の無気力状態に似ています)。
貧困や差別による教育機会の問題や、社会システムそのものへの反抗などによって、こうした手段へのアクセスを持てなかった人達です。
まず人は、行動と結果のリンクが動機づけを生むことを知り、さらにそれが生活にとって有益であると知り、何よりそれが利用できなければならないのです。
社会的に有効な随伴性のシステムから排除された人々は、安易で不健康なものや反社会的なシステムに乗る可能性が高くなります(麻薬の密売や詐欺等)。

仮にこのシステムが適切な形で存在していたとしても、個々人の中に望む結果を自己の活動によって十分達成できるという感覚「有能感」がなければ、生産的な活動はうまく回転しません。
特に内発的動機づけの報酬というものは、その行為自体の楽しさと達成の感覚であるため、上手くこなせるという感覚「有能感」が満足に直結します。

前項でも述べたように、人間には本質的な心理的欲求として「自律性」の感覚というものを挙げましたが、それは「有能感」への欲求へとつながっています。
人は達成感や自分の能力を有効に発揮できている感覚を得るためだけにエネルギッシュに活動します。
それは行為と結果のリンクを、自分が上手くコントロールできているという感覚です。
子供たちの行為を内発的に動機づけているものは、周囲の世界との関わりを通したこの「有能感」への欲求です。

有能感が生まれるには、二つの条件が必要です。
自分自身の思考によって活動ができること、それが最適な難度への挑戦としてあること、です。
出来て当然のことをしても、有能感は感じられません。
努力を必要とする事に対して、自分自身の試行錯誤(思考と行為)によって解決する(結果を生む)時にのみ、有能感は生じます。
実験の結果、難しすぎるパズルを与えられ自分の無能さに直面した被験者は動機づけが低下し、適切な難度を設定された被験者は動機づけが高まりました。

有能感を感じるためには、別に成績がトップである必要はありません。
自分にとって意味のある挑戦を見つけ、「ベストを尽くす」ことが重要です。
成績がトップ云々というのは、他者の視線(評価)を報酬とした外在的なもので、それは手段と目的が転倒された達成感であり、満足としては二次的なものです。
むしろ相対的な勝ち負けの文脈は統制(強制)の要素が非常に強くなり、行為は駆り立てられるものとなります。
元来持っていた有能感への欲求は、プレッシャーによって押さえ込まれ、その内発的動機づけは低下していきます。
結果ばかりを気にして、行為が楽しめない上手くできない、というのは、あらゆる行為において生ずる事実です。

自律性を伴う有能感は人間の健康と成長を促進し、これらは非常に豊かな人生経験をもたらします。
もし、自律性を欠いた有能感であれば、それは様々なネガティブな効果を生み出し、生産性としてマイナスの結果になることが多くなります。
もし、その両方を欠いていれば、抑うつのような恒常的無気力状態を生じさせます。

第六章、発達の内なる力

人間というものは、主体的に世界と関わっていくことにおいて、生命としての統合プロセスを経て発達していきます。
人間には、内的世界を組織化し、より複雑で且つより組織化された、大きな統合性(調和)へ向かっていこうとする基本的性向があるのです。
人間の成長発達とは、生命体がより大きな一貫性を獲得しながら、周囲の世界に対する関係性をより洗練し精緻化するプロセスなのです。

自分の存在価値や存在理由への問いは、統合された自己という感覚を欲する衝動の表れであり、統合へ向かうプロセスは内発的動機づけの現実的な現れです。
人は生涯を通じて、自らの経験とパーソナリティーの発達に対し、一貫性を持たせようとするのです。
それは、フロイトの自我の統合機能や、マズローの自己実現の概念と類似の考え方です。

今まで考察してきたようにこの欲求を阻害するのは、動機づけシステムが上手く機能しない社会的文脈、およびシステムの機能はあってもそれが統制的で自律性を奪う場合などです。
さらに考えなければならない要因として、前章で挙げた個人的側面の「有能感」というものが、当人自身の認知の問題であるということです。
自分が有能であり自律的であると自分自身で認識し心底感じなければ、機能しないのです。
客観的なデータではなく、心理的な実感です。
美を求めるあまり拒食症に陥り、骨と皮だけになってもまだ痩せようとする人にとって、体重計の結果など自分の有能感を何ら保証しません。

「心で感じることなど嘘である」という心理学の立場からすれば、心底感じるなどという事が何を指しているのか分からないかもしれません。
しかし、それは自分自身の行動に感じるある種の「違和感」のようなものから感得することができます。
例えば、本当は義務感や恐怖感から取っている行動に対し、自分を偽り、それが「楽しいからやっている」と言う(思う)時、自分の中にある種のひっかかりや妙な感じ、内的な緊張の高まりなどの違和をうすうす感じ取っているはずです。
外見においても、態度がぎこちなさや不自然さとして現れてくるため、鋭い観察者ならそれを外から指摘することも可能です。

逆にいえば、客観的なデータがどうであれ、人が生き生きとして面目躍如とした自分を素直に感じる時、自律的で統合されたプロセスが機能していると、直感的に理解しています。

(4)へつづく